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ダボスの魔の山にあった影?

医者が命じたのは新鮮な空気の中で長時間過ごすことだった alombredelamontagne.ch

1930~40年代、ダボスのサナトリウムには、雪道を越えてやってきたナチスの役人、アメリカ人パイロット、難民、スイス人から成る不思議な集団が滞在していた。

スイス人映画監督のダニエル・イエギ氏が、政治ドキュメンタリー映
画「山の影」を制作した。

トーマス・マンの「魔の山」

 イエギ監督は映像資料と結核患者だった父親からの手紙をもとに、アルプスのリゾート地ダボスの不可思議な療養所、そしてスイス史の不透明な部分を探った。
「父が結核を患っていたので、私は長い間スイスのサナトリウムの映画を作りたいと思っていました。父はサナトリウムのことをまるで秘密ごとのように、決して話すことはありませんでした。後に父の手紙を発見しましたが、両親のプライバシーを探ることになると、私は長い間その手紙に触れる気になりませんでした」

 子ども時代のイエギ監督は、父親がどこへなぜ行くのかわからないまま長期間いなくなってしまうことを経験してきた。それから60年が経ち、イエギ監督は母親宛てに送られたアルプスの絵ハガキを通して、父親が旅したローザンヌからダボスへの道のりを辿った。スイス東部の山岳リゾート地ダボスは、作家、産業界のリーダー、そして健康問題を持つ人々を引き付けてきた。

 ローザンヌの医学生だったイエギ監督の父親フランソワ・イエギ氏は、1931年から1950年の間、結核治療のためダボスのシャッツァルプ ( Schatzalp ) のサナトリウムに度々滞在した。

 ハンガリー系ユダヤ人で、やはりローザンヌで医学を学んでいた妻のアニエスに宛てた痛ましい手紙では、自分の病状の深刻さを隠しながらも、妻と娘から遠く離れなければならない苦悩を行間ににじませている。

 父イエギ氏は映画の中で、奇妙な治療法や、情勢が静止していた時代に「ロシアの王女」やたくさんの「ドイツの実業家」がいた豪華な療養所の異様な雰囲気について語っている。

 単調な日々の繰り返しに飽いた父イエギ氏は、主人公がやはりダボスのサナトリウムに滞在する物語、トーマス・マンの「魔の山」を再読した。 

新鮮な空気と牛の腸から出るガス

 18世紀半ば以来、ダボスは金持ちと病人に人気の高い場所になった。当時の医者は、高地ダボスの谷間のおだやかな気候が「街の悪い空気」が引き起こす病に効果があり、病気治療、特に結核の闘病に理想的だと信じていた。

 当時の写真や映像資料は冷たい空気の中、サナトリウムのテラスで毛布にくるまりほほ笑みながら一列になって日光浴をする患者を写し出している。屋外での長時間の昼寝は、朝7時から夜10時まで続く厳格な日課の一部だった。そしてハイキング、贅沢な食事や豊富なミルクとワインの頻繁な摂取なども病を克服するための日課だった。
 
 結核患者のために用いられた地元の民間療法は、牛の腸から出るアンモニウムを利用するために牛小屋で泊るという方法だった。
「医者は結核を治す方法を知らず、患者を閉じ込めるだけでした。アルプスの新鮮な空気、赤肉、赤ワインそして白いミルクなどは、いわば全体の純粋さを象徴するものだったのです」
 とイエギ監督は語る。

 父イエギ氏は、療養所の生活の暗部も発見した。
「死者は夜間に地下トンネルと小型のソリを使って運び出された」 

ナチスの台頭

 しかし父イエギ氏は、リゾート地ダボスにおけるナチスの台頭に対する憂慮も記している。長年ダボスは、高地での療養を求めるドイツ語圏の人々の間で人気の高い場所だった。

 1933年以降、国家社会主義ドイツ労働者党 ( ナチス ) がダボスのドイツ人居留社会を支配するようになった。ダボスに滞在するそれらのドイツ人は、親ドイツ派スイス人を含む全住民の4分の1を占めていた。ナチスはダボスの不動産に大金を投資し、多数のサナトリウムを買収した。

 ダボスには、ナチスの支部が所有するサナトリウムの横に、かつて「スイス気象研究所 ( The Swiss Meteorological Institute ) 」の職員だったヴィルヘルム・グストロフ が経営するサナトリウムが並んでいた。
「スイス人はただ事が起きるがままにさせているだけで、深刻に警戒する者は無かった」
と父イエギ氏は書いている。

 しかしナチスの存在を憂慮していたのは父イエギ氏だけではなかった。1936年、グストロフは若いユダヤ人医学生のダーフィト・フランクフルターに暗殺された。それによってナチスの役人だったグストロフは殉教者に祭り上げられた。
「ここは極度に緊迫している。グストロフはブタだ。しかし起きたことは大きな政治的過ちだ。」
 と父イエギ氏は記している。

 そしてさらに
「ダボスの空気が純粋だったというのは伝説に過ぎず、人はそのような伝説に注意しなければならないことを示したかった」
 と書いている。

開かれた扉

 第2次世界大戦中、スイスはドイツとイタリアと良好な関係を保ち続けた。ドイツの医者の証明書さえあれば国境を超えることができたドイツ人にとって、ダボスは「開かれた扉」だった。しかしユダヤ人に対する扱いは全く違っていたと父イエギ氏は書いている。
 
 父イエギ氏はある手紙の中で、スイス当局がナチスに対して、ユダヤ系ドイツ人のパスポートに「J」の文字のスタンプを押すよう要請したことの影響を憂慮している。
「住民許可証を更新したかい?」
 と妻のアニエスに尋ねた後、
「このような出来事に対し、私たちは受け身のままでいてはいけない。」
 と書いている。 

奇妙な混在

 第2次世界大戦末期、ダボスにはナチスの役人と、スイスに不時着した300人から400人のアメリカ人パイロットという非現実的な組み合わせの一団が存在していた。映画では隣接した斜面で彼らがスキーをしている場面を見ることができる。
 
 停戦条約が結ばれると、ダボスのナチスは独自の連絡網を使い、スイス国内で目立たないよう身を潜めた。

 戦争末期には、強制収容所にいた人々を含む難民もまたダボスにやって来た。地元の治安判事モーゼス・シルバーロート氏は、パレスチナへ行く途中のユダヤ人の子どもたちを受け入れようとした。しかしこの計画は、旧ナチス本部の建物を、こうした子どもたちの一時滞在に使うよりも、ホテルに改装した方が良いとする地元当局に阻まれた。

 しかしイエギ監督のドキュメンタリー映画は、スイス史の暗い時期を覗く窓というだけではない。これは父親に対する個人的な探求と療養所の体制に対する批評でもある。

 映画の終わりにイエギ監督は、父親からもらったダボスの空気が入った栓のしてある小瓶を打ち砕いて壊す。そして瓶の中のバクテリアが映し出される。それは最終的に父親を救い、サナトリウムを衰退に追い込んだペニシリンの発見につながったバクテリアだ。

 「私は、ダボスの空気が純粋だったというのは伝説に過ぎず、人はそのような伝説に注意しなければならないことを示したかったのです」
 とイエギ監督は語った。

サイモン・ブラッドレー 、swissinfo.ch
( 英語からの翻訳、笠原浩美 )

ダニエル・イエギ氏は、スイス人の父親とハンガリー人の母のもと、1945年2月24日ローザンヌで誕生した。
ジュネーブの音楽学校で音楽を学んだ後、1970年からパリのIDHECで映画製作を学んだ。
「プラハの少女 ( La fille de Prague ) 」( 1978 )、「ナム・ジュンのアーチ ( L’arche de Nam June ) 」( 1980 )、「 国境のすぐ近くに ( Tout près de la frontier ) 」( 1982 ) 「音信不通 ( Losing touch ) 」( 1992 ) 、「星空に ( Dans le champ des étoiles ) 」
( 2000 ) などドキュメンタリーを含む作品を製作している。
現在パリ第8大学で映画製作を教えている。
イエギ氏の作品は、12月にスイスのフランス語圏で上映された ( 12月11日サント・クロワ ( Sainte Croix ) 、12月12日マルティニー ( Martigny ) ) 。ドイツ語圏では2010年春から上映予定。

ナチスの降伏によって6年間にわたるヨーロッパの恐怖は終結し、中立を保っていたスイスには大きな安堵が訪れた。スイスは第2次世界大戦中ナチスと敵対することを避けたが、ドイツ侵攻の恐怖に常にさらされていた。
1990年代に、ナチスが戦時中に略奪した資産をスイスの銀行が保管していたことが発覚した。スイスの銀行はホロコーストの犠牲者の休眠口座の詳細を公表することを拒否した。
このスキャンダルによってスイス政府は、スイス人歴史学者ジャン・フランソワ・ベルジエ氏率いる専門家から成る独立委員会を設立し、戦時中のスイスの過去を調査した。
2002年に提出された最終報告書は、戦時中のスイスの歴史に関する虚構の多くに終止符を打った。ベルジエ氏の委員会は、政府と産業界がナチスに協力していたこと、国境で何千人ものユダヤ難民が送り返されたことを発見した。
また同報告書は、スイスの防衛がナチスの侵攻を防いだという見解を粉砕し、スイスとドイツの不安定な関係を明らかにした。
5年間の調査の後2002年に公表された報告書の中で、独立専門委員会 ( ICE ) は政府のナチスに対する方策と難民への対処を糾弾している。
第2次世界大戦中に国境警備官は少なくとも2万4000人の難民を追い返した。その大半がユダヤ人だった。しかしスイスは戦時中に約30万人の人々を庇護した。

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