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パウル・クレー 最後の10年

「壊れたカギ」(1938年)はナチに追われ、病気で伏している時に描かれた。

(swissinfo.ch)

日本でも絶大な人気を博するスイス生まれの画家パウル・クレーの晩年にバーゼルのバイエラー財団美術館が焦点を当てる。

難病に冒されたクレーは最期の2年間、精力的に絵画に取り組んだ。展覧会は「パウル・クレー 晩年の熟成」と題し、画家クレーの病苦がどのように作風に影響したかを見せてくれる。

1930年から1940年まで

 クレーの晩年、二つの劇的な事件が起こった。まずは1933年にナチス政権からデュッセルドルフ芸術アカデミーで教鞭をとっていたクレーに解雇通知が届いた。そのため、ドイツを去り、故郷のベルンに帰郷した後、皮膚硬化症という難病に冒され、1935年には末期だと告知される。

 クレーの病状は一時、キャンバスに向かうの難しいほどだったが、症状が安定した時は人生で最も多作な時期でもあった(1939年だけでも1253点)。財団の創立者である、エルンスト・バイエラー氏はクレーの長年のコレクターであるが、画家の末期こそ、最も素晴らしい作品を生んだという。「量だけでなく形に関しても一番豊かな時期である。病苦にもかかわらず、彼は新しい境地へと拓いたことに感服する」と同氏は語る。

晩年

 クレーが死に近づくと霊妙なテーマと今までとは違ったスタイルが作風に表れる。1937年から亡くなる1940年の間は特に天使のデッサンが多く描かれたことについて、バイエラー氏は死についての考察と考える。「クレーが死に近づくにつれ、作品に多大な影響が現れた。絵画に新たな境地が加わり素晴らしい」と語る。展覧会は「死の天使」と題する1940年、亡くなる直前に描かれた作品で幕を閉じる。クレーは1940年6月にスイスの療養所で息を引き取った。享年60歳だった。


スイス国際放送、ジョアンヌ・シールド 意訳 屋山明乃(ややまあけの)

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バイエラー財団美術館:開館時間は毎日10時から18時(水は20時まで)まで。市電6番、Riehen Dorfで下車。展覧会は11月9日まで。

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