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マッターホルンを失っても平気なトブラローネ

トブレローネ
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誰かが何かをどれだけ愛していたかは、それを失うとわかったときの落胆の大きさで分かる。米国の菓子・スナック企業モンデリーズ・インターナショナルが3日、山型チョコレート「トブラローネ」のシンボルマークであるマッターホルンを「モダンな流線型の山のロゴ」に変更すると発表したが、同社にとってはそう大きな問題ではなさそうだった。

モンデリーズがトブラローネの包装を変更するのは、製造の一部をスイス・ベルンからスロバキアのブラチスラバに移すためだ。このため「Made in Switzerland(スイス製)」と表記したり、スイスを連想させる記号を使ったりできなくなった。「スイスネス法」は、スイス製チョコレートはスイスの牛が作るミルクだけを使い、スイスで製造されなければならないと定める。

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FT

トブラローネは競合他社が似たような山型チョコレートを製造するのを阻止するべく奮闘してきたが、スイスらしさについてはあっさり放棄した。ジャン・トブラーが1899年にチョコレート工場を建設したベルンに固執するよりも、同社が言うところの「パーソナライズされた多様な製品を求める世界的な需要の高まり」に対応するため、ブラチスラバで生産拡大することを選んだ。

これは合理的な感じがする。筆者はトブラローネが好きだが、それがスイス製と意識したことも、マッターホルンについて良く調べたこともない。「キャドバリー」や「スニッカーズ」のように、もう長いことそのルーツから外れてグローバルな製品になった。カカオ固形分28%のミルクチョコレートであるトブラローネを、スイスの高級チョコレートと勘違いする危険もない。

その土地のアイデンティティにこだわり、それを維持・独占するためにあらゆる手段を講じるのは欧州の専売特許だ。フランスのシャンパンやイベリコハムの生産者は「テロワール(土地)」を厳しく保護している。米国はどちらかといえばもっと自由で気楽だ。筆者が初めてフィラデルフィア産「スイスチーズ」を味わった(正確に言えば「味わえなかった」)とき、私はもうエメンタール(訳注:スイスチーズの名産地)にいないことを実感した。

フランスとスイスのグリュイエールチーズ製造業者は今月、米国の控訴裁判所に認証マークをめぐる訴えを却下されたとき、これが代償であると思い知った。判決はチーズが「スイス・フリブール州のラ・グリュイエール地区を起源とする」と認める一方で、米国のメーカーは独自の「グリュイエール」チーズを作り続けることができるとした。

この判決は、パルミジャーノ・レッジャーノチーズをめぐりイタリアのメーカーが勝訴した2008年の欧州司法裁判所(ECJ)判決とは対照的だ。ECJの判決は、欧州連合(EU)の原産地呼称制度は「パルメザン」という用語に関する権利もメーカーに与えていると判断。独自のラベルを付けて販売していたドイツのチーズメーカーはEU法違反と結論づけた。

地理の問題?

法的な原則は、いざ食品のことになると保護主義により歪められることがある。米裁判所の判決はむしろ偏狭だった。米国人は、米国製「グリュイエール」が例えスイス製グリュイエールと似ても似つかぬチーズだったとしても、90日以上熟成させ小さな穴が開いたマイルドチーズの一種であることを認識するようになった。その意味で、その名は総称的だ、という論法だった。

だが判決は「グリュイエールチーズ」「パルメザン・レッジャーノチーズ」「スイスチーズ」など75種のチーズを原産地には触れずに体系化した米連邦法にも合致していた。欧州の伝統は欧州移民とともに米国に吸収され、原産国の訴えは退けられた。

ここで、地理がどれほど重要なのかという疑問が頭をもたげる。町や地域、国は製造やマーケティングにおける地元のアイデンティティを維持したがり、米国にもスイスと同じくらい厳格な「米国製」表示法がある。だがエミリア地方やフリブール州で作られたという理由だけでチーズは美味しさが増すのだろうか?

1つの答えは、重要なのは規模だということだ。小さくまとまりがある文化ほど、厳しい基準と原材料にこだわり、一貫して特定の方法で生産し続けるものだ。トブラローネの例が示すように、「スイス製」は高級さを保証するわけではなく、スイスアルプスの牧草地がチョコレートを美味しくするだけの品質がある、ということだ。

1200のチーズ製造業者と100万頭以上の牛がいる米ウィスコンシン州にも同じことが当てはまる。「米国製」は品質に関しては「英国製」と大差ないが、「Proudly Wisconsin Cheese(誇り高きウィスコンシン産チーズ)」という商標は、職人の知識が注ぎ込まれている製品であることを代弁する。業界団体のうたい文句通り、「英国がこれまで夢見ていたよりも多くのチェダーを扱っている」のだ。

域外独占

それは不謹慎ながら筆者には理解できる。いくらフランスのシャンパーニュやスイスのグリュイエールが素晴らしくても、それだけでその地域以外の競合他社を排除できるわけではない。パルミジャーノ・レッジャーノか、劣っているが安くて一般的なパルメザンチーズを買うかを選べる選択肢が欲しい。きちんと表示されてさえいれば、消費者は判断できる。

各国はこれからも常に国境を取り締まり、可能であれば名声を経済的に利用しようとするだろう。スイスは、「スイス製」のマークで高級品の価格は5割増しになるとしている。だが食べ物や飲み物の域外独占を保証するのは行き過ぎだ。米国人に好きなようにグリュイエールか「スイス産グリュイエール」を買わせたらいいのだ。

トブラローネが選択したのは、一般的な山を模したチョコレートで目的達成には十分だという結論だった。他に同じ地域にとどまり、ハロー効果(後光効果)で儲けるという選択肢もあった。だが重要なのは、食品がどれだけ美味しいかであって、ラベルがどれだけ排他的かではない。

著作権:The Financial Times Limited 2023

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