ルーマニアの孤児院で「父」と呼ばれたスイス人

鉄のカーテン崩壊後、スイス人のシュテファン・ビュヒさんはルーマニアの孤児院への短期派遣に手を挙げた。これが、恵まれない人々を支援し、民主的な社会を促進するという生涯にわたる取り組みの始まりだった。ビュヒさんは65歳の今も、ルーマニアとスイスを行き来する生活を送っている。

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「私の第二の故郷のことがとても心配なんです」。昨年の11月25日、ルーマニア大統領選挙の第1回投票の翌朝に、ビュヒさんはそう話した。「過激な勢力の台頭というのは、まずい兆候です」と話すビュヒさんの眉間に深いしわが寄った。だが、すぐにその顔には穏やかな笑みが浮かんだ。「とはいえ、あのルーマニアの人たちのことです。この危機も乗り越えてくれるでしょう」
ビュヒさんとルーマニアとの付き合いは30年以上前に遡る。当時のビュヒさんは30代前半。ケーニッツ市とベルン青少年裁判所でソーシャルワーカーとして働き出して数年が経ち、キャリアの新たなチャレンジを模索していた。
ルーマニアでの活動開始
そこでビュヒさんは国外に出て仕事をしようと、様々な団体に応募した。「最初はアフリカで仕事をしようと考えていました。母がベルン・ジュラ(ベルン州北部のフランス語圏の自治体)の出身で、私はドイツ語とフランス語のバイリンガルとして育ちましたから」。アフリカのフランス語圏で働くことも視野に入れていたというビュヒさんだが、最終的に、スイス東部トローゲンのペスタロッチ子ども村財団に職を得た。そして、スイス人の同僚もう1人と共に、アドバイザーとしてルーマニアに派遣され、首都ブカレストとその周辺地域の孤児院で支援を行うことになった。
1991年の春、数千キロもの道のりを車で進み、ようやくルーマニアに到着したビュヒさんが直面したのは、スイスとはまったく異なる現実だった。「当時の入所施設は国の厳しい統制下に置かれ、100人以上の子どもたちが1つの施設で共同生活を送り、集団の中で画一的に育てられていました。個人の持ち物などないに等しく、入所時にはみんな丸坊主にされていたんです。施設の周囲には野良犬が何匹もうろつき、子どもたちは犬から身を守らなくてはなりませんでした。部外者からすると、犬たちはまるで番犬のようにも見えましたが」

共産主義体制下のチャウシェスク独裁政権崩壊後の1990年代初頭、「子どもの強制収容所」という言葉すら浮かぶような孤児院の実情がメディアによって報じられ、世界中に一大センセーションを巻き起こした。ビュヒさんによると、これがきっかけとなり「様々な支援団体がルーマニアに一斉に駆けつけた」のだという。
ビュヒさんは対応の追いつかない行政当局に的確なアドバイスを行い、支援物資の分配に携わった。短期派遣のはずだったが、期間満了後、スイスに戻らずルーマニアに残ろうと決めた。「あれほど大変な環境でも、子どもたちが生きる喜びを見せてくれたことは驚きで、その姿に突き動かされたんです」
女子孤児院の改善に尽力
その後、ビュヒさんは女子向けの孤児院で施設の改善に努めた。当時唯一の男性かつ外国人だったビュヒさんは、ベッドを新調し、個人用ロッカーを設置し、ランドリーやトイレ、洗面所、シャワーといった衛生設備を最新式に整えた。
さらに、スイスで得たソーシャルワーカーとしての知識も活用した。「1人1人を個人として尊重しながらサポートし、責任感を育む活動に重点を置きました」
ビュヒさんは子どもや若者たちと一緒に新聞を発行したり、遠足やキャンプの企画をしたりと、様々なことを実践した。
「ケーニッツでボーイスカウトのリーダーをしていた頃に、遊びを通じてチームワークを高める多くの方法論を身につけました。それを向こうでも生かしたんです」。ルーマニア語をすぐに覚えたことも、活動の後押しになったという。
「シュテファンは、孤児院が国家の厳しい統制下に置かれていた当時のルーマニアに、斬新なアイディアをたくさん持ち込んでくれました」。ビュヒさんがルーマニアに入った当初から共に活動してきた現地スタッフの1人、クラウディア・ステファネスクさんはこう語る。「中でも特に印象的だったのは、子どもたち1人1人の可能性を見出し、それを具体的な支援につなげていくシュテファンの力です」
シュテファンは、私にとって父親のような存在
2000年に入り、ペスタロッチ財団主体の支援は終了した。これを受け、ビュヒさんはスイスとルーマニアの友人たちと共に、ルーマニアの恵まれない子どもたちと青少年を支援する独自の団体を設立した。
ビュヒさんは「私たちは、施設を出た子たちが共同で暮らせる住居を確保し、教育機関や就労先などと連携し、学費や職業訓練を受けるために必要な資金を提供しました」と振り返る。施設で育った人たちの多くと今も連絡を取り合い、親しくしているという。
その1人、アドリアナ・アンゲルさんは「シュテファンは私にとって父親のような存在です。長年ずっと支えてくれました」と話す。

アンゲルさんは幼い頃にブカレストの南にあるホタレレの孤児院に入り、そこでペスタロッチ財団から派遣されていたビュヒさんと出会った。ビュヒさんらの支援を受けながら学校を卒業し、その後、看護師になるための専門教育を受けた。
「シュテファンは私たちの宿題を手伝ってくれました。私の採用面接の時は飛行機代を負担してくれたんですよ」と話すアンゲルさんは現在42歳。支援を受けていたのも過去の話となった。結婚し、3歳の息子がおり、数年前からロンドンの病院に勤務している。
ビュヒさんの活動が市民の力に
ビュヒさんが初めて訪問した頃から、ルーマニアは目を見張るほどの発展を遂げた。世界銀行によると、国民1人あたりの国内総生産は1995年のほぼ4倍に増加している。
国土23万8000平方キロメートル、人口2000万人弱のルーマニアは、オーストリア商工会議所の調査によると、現在「欧州連合(EU)で最も経済が安定している国の1つ」だという。
ルーマニアは2025年1月1日にシェンゲン協定へ完全加盟した(協定締約国との出入国審査についてはこれまで海路と空路が廃止されていたが、陸路も廃止)。マルチェル・ボロシュ前財務相(現投資・欧州プロジェクト相)は南北の陸路出入国審査廃止を受け「歴史的な転機」とコメントしている。
ブカレストのドライフルーツ専門貿易会社のオーナー、ステファン・スタンクさんはswissinfo.chのインタビューに対し「今のルーマニアは、30年前と比べたら社会も経済もはるかに良くなっていますよ」と力を込めて言う。
スタンクさんは2000年前後にビュヒさんと知り合い、ビュヒさんの団体が実施する複数の支援プロジェクトに参加した。「プロジェクトを通じて、私も、この国のほかの多くの人たちも、無償で地域に貢献することや自発的に活動することが今の社会では重要なのだ、と学んだと思います」
長年ビュヒさんと活動しているステファネスクさんや、孤児院で育ったアンゲルさんと同じように、実業家のスタンクさんも、ビュヒさんの粘り強い活動を通じて、自分にもできるという自信と知識を得た。ビュヒさんに影響を受けた人々は今、それぞれが責任ある市民として、民主化へと歩みを進める社会に貢献している。
EUとスイスの支援プロジェクトでも活躍
2007年にルーマニアがEUに加入すると、ビュヒさんは同国での長年の活躍と人脈の広さを買われ、EUとスイスが現地で展開した支援プロジェクトにアドバイザー及び評価担当者として加わることになった。
2000年初頭にスイス政府の依頼で、青少年向け社会福祉・教育プロジェクトの評価を行った経験があるビュヒさんは、EUの委託を受け、ルーマニアの教育・研究省に家族保護と子どもの権利に関する助言を行った。ビュヒさんは当時の任務について「医療や福祉の行き届かない地域に住む子どもたちが適切なサービスを受けられるよう、地方行政機関の職員、医師、教師の意識を高めることが重要でした」と説明する。

ビュヒさんによると、スイスの支援政策はEUのものとは異なるという。「スイスは支援先の選定に慎重ですし、どこにどのように資金を投じれば最も効率よく活用できるのか、EUよりもしっかりと監督しています」
スイスによるEU新規加盟国への経済支援プログラムのため、2010年から16年までルーマニア現地オフィスの代表を務め、現在はブルガリアの首都ソフィアで同様の任務に従事している外交官のトーマス・シュタウファーさんは「ビュヒさんは非常にプロフェッショナルで有能、そして献身的なエキスパートだと感じました」と評価する。
「民主主義が機能していれば対応できる」
ルーマニアにいるビュヒさんの仲間たちはswissinfo.chの取材に対し、ビュヒさんの団体が企画したスイスへの「視察旅行」で大いに感銘を受けたと口々に語る。スタンクさんは「民主主義が機能していれば難しい問題にもうまく対応できるのだと、あの視察で目の当たりにしました」と感心し、スイス連邦憲法が謳う「『世界における民主主義の促進』は、今の時代におけるスイスの最も重要な任務」だと話す。
ルーマニアでは、昨年末に無効と判断された大統領選挙のやり直しが今年5月に予定されている。
ビュヒさんは「第二の祖国」の動向を常に追っている。スイスに一時帰国中の今も毎晩、独語圏のスイス公共放送(SRF)のニュース番組「ターゲスシャウ(Tagesschau)」を見る前に、ルーマニア国営テレビ局(Televiziunea Română)のメインニュース番組をチェックしている。
今はもう、視察や研修のためにルーマニアの仲間たちをスイスに招くことはなくなった。数年前に1人で旅行会社を設立し、ルーマニアに関心のある個人旅行者や小グループ向けにツアーを企画し、各地を案内している。
ルーマニアの民主化への橋渡し役を長年務め、辛抱強く取り組んできたビュヒさん。その旅は今も続いている。
編集: Mark Livingston、独語からの翻訳:吉田奈保子、校正:ムートゥ朋子

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