スイスの視点を10言語で

007 マーク・フォースター監督の成功物語

私の名前は「フォースター、マーク・フォースター」 Keystone

新作映画「007/ 慰めの報酬 ( Quantum of Solace ) 」の初公開に現れたり、エイズキャンペーンのポスターを背にポーズと、現在ロサンジェルスに拠点を置くスイス人映画監督マーク・フォースターは神出鬼没だ。ダボスの良家の子弟だったフォースターは今や世界的なスターとなった。

しかし、明るく誠実なまなざしと永遠の学生のような雰囲気を持つスキンヘッドのフォースターは昔と変わっていない。クールなスイス人アーティストのフォースターはその成功によってアメリカ映画産業界で最も人気のある映画監督になったが、まだ40歳前だ。

黄金の少年時代

 ジェームズ・ボンドの22番目の映画の初公開で、フォースターが赤い絨毯の上を立ち止まらずに歩き続けると、カメラマンがフラッシュの一斉射撃を浴びせ、メディアはその後を追う。しかしフォースターは、静けさと慎み、そして唇には微笑をたたえていた。

 新作は「カジノ・ロワイヤル ( Casiono Royal ) 」の続編で、映画史上最もセレブなスパイのアクションムービーだ。ルツェルンで行われたスイスでの初公開は、スイス映画界と社交界の今季最大イベントで、芸能、スポーツ、政治の各界から約1200人の名士が祝祭の夕べに現れた。

 マーク・フォースターは、3人兄弟の末っ子で、ドイツのウルム ( Ulm ) 近郊で生まれた。スイス国籍を持つ父親は、製薬分野の研究で輝かしい経歴を成した医師で、母親はドイツ生まれのスイス人で建築家だった。しばらくして一家はドイツを離れ、スイスのダボス ( Davos ) にある客室5部屋と使用人つきの豪奢な屋敷に落ち着いた。

 私立学校、高価な趣味と豪華なバカンスがフォースター家の生活を彩っていた。しかしマーク少年にとって経済的に恵まれた少年時代はまったく容易なものではなかった。
「裕福であることは一種の障害です。ほかの子どもと違っていると、友だちができません」
 とフォースターは、彼の人生と「007/ 慰めの報酬」の撮影について特集をしたドイツのテレビドキュメンタリー番組で告白している。

非凡な決意

 不運はフォースター家を見逃さなかった。母親の知らぬ間に父親が行ったハイリスクの投資で一家はすべての財産を失った。プライベートジェット機、フェラーリ、高価な絵画など、訴訟と破産が彼らの全財産を奪い取った。

 さらに不幸な出来事が続いた。フォースターは自分の夢を追いかけ、ニューヨークで映画製作の勉強を始めたが、その間に父親がガンで死に、長年統合失調症 ( かつての精神分裂病 ) を患っていた長兄のヴォルフガングが入院先の病院の窓から投身自殺した。

 「わたしはこの試練で、非常に悲しみ傷つきました。父をとても愛していましたし、兄ともとても仲が良かったのです。兄と同様、私もこの世の真実は1つだけではないと感じていました」
 とフォースターは再び告白した。

 「しかしわたしはくじけませんでした。自分の道が不幸で閉ざされるようなことには絶対しないと強く決心しました」
しかし、アメリカに戻ってからは、食べ物にも事欠き、冷たく湿った地下室で生活しなければならなかった。これは富裕層出身の若者にとって厳しいことだった。
「それでも信じられないくらいすっきりした気分で、とても自由を感じました」
とフォースターは強調した。

 彼の作品に気をとめる人間はいなかった。彼は生き残るためには戦わなければならず、そしてしばらくの間自信を失いかけていた。

アメリカンドリーム

 しかしフォースターは自分のやり方に対して誰にも横から口をはさませないような強い性格を持っていた。彼の近親者はみなその頑固さに驚くと同時に心配した。

「自分の名声を落とさない」ためにいくつかの仕事のオファーを拒否するという贅沢を犯したが、ついに彼の決意は報われた。2000年のサンダンス映画祭 ( The Sundance Film Festival ) で「すべて一緒くた ( 仮訳 ) ( Everything Put Together ) 」が脚光を浴び、名声を勝ち取った。映画製作の扉が開き始めた。

フォースターのハリウッド制覇は「チョコレート ( Monster’s Ball ) 」で決定的になった。
「この映画はわたしの人生を変えました」
 と彼はドイツのテレビカメラの前で述べた。

35歳前に監督をした「ネバーランド ( Finding Neverland ) 」は7部門でオスカー賞候補に挙げられた。そしてその後「君のためなら千回でも ( The Kite Runner ) 」を監督し、その非凡な才能、包容力、そして豊かな感性で批評家を魅了した。

 「以前は芸術的な映画の製作だけをしたいと思っていましたが、商業的な映画の方がもっと力を発揮できることに気付きました」
 と彼自身驚いている。今回彼にのしかかるプレッシャーは巨大だ。ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドの役を演じて初登場した前作の「カジノ・ロワイヤル」が5億9400万ドル ( 約575億円 ) の興行収益を上げたからだ。ボンドシリーズのプロデューサーのブロッコリー一族は、これよりも高い目標を設定している。

swissinfo、二コル・デラ・ピエトラ 笠原浩美 ( かさはら ひろみ ) 訳

1969年11月30日ドイツのウルム ( Ulm ) で生まれる。
数年後に、スイス国籍を持つ医者の父親とドイツ生まれのスイス人建築科の母親、2人の兄とともにグラウビュンデン州 ( Graubünden ) のダボスの保養地に移住。
1996年、ニューヨークの映画学校に入学。
ニューヨーク滞在中に、父親がガンのため死亡し、精神病のため長兄のヴォルフガングが33歳で自殺した。
2008年にスイス国籍を取得した。

ロジャー・ミッチェルが監督を降板したあと、2007年6月にマーク・フォースターが引き継いだ。撮影と編集を1年以内で終えた。

007シリーズ22作目「慰めの報酬」は、ダニエル・クレイグが演じた筋肉質で内面的、ハードボイルドなジェームズ・ボンドが登場する「カジノ・ロワイヤル ( Casino Royale ) 」の続編。

有名スパイの冒険にスパイスを利かせるユーモアやロマンスのタッチが徹底的に排除されており、1962年の「ドクター・ノー ( Dr. NO ) 」以来の伝統が無くなった。

「カジノ・ロワイヤル」の製作費は1億7000万ドル ( 約164億円 ) だったが、「慰めの報酬」は2億6000万ドル ( 約251億円 ) と過去の007シリーズの中でも最大の製作費を投入している。

マーク・フォースターのチームが、ロンドンを出発してオーストリアのブレゲンツ ( Bregenz ) 、イタリアのシエナ ( Sienne ) 、チリの高地を経由してパナマに到着するまでに撮影したフィルムのアクションシーンの長さは前作の2倍もある。

新作のジェームズ・ボンドは評価を2分した。これまでのシリーズの中でも抜きんでているものの1つだという意見と、華麗なシークレット・エージェントにふさわしいキャラクターから全くかけ離れているという意見がある。

2008年「007/ 慰めの報酬 ( Quantum of Solace ) 」:若き日のジェームズ・ボンドの冒険譚の22番目のエピソード。「カジノ・ロワイヤル ( Casino Royale ) 」の続編で、スパイ007をイギリス人俳優のダニエル・クレイグが演じている。

1995年「Loungers」( 日本未公開 )
2000年「Everything put together」( 日本未公開 )
2002年「チョコレート ( Monster’s Ball ) 」
2005年「ネバーランド ( Finding Neverland ) 」
2006年「主人公は僕だった ( Stranger than fiction ) 」
2007年「君のためなら千回でも( The Kite Runner ) 」

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部