映画愛好家にとっての楽園―ロカルノ国際映画祭は他の映画祭と何が違うのか?
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2021/08/10 14:25
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金豹賞はインドネシアのエドウィン監督に ロカルノ映画祭
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2021/08/16
第74回ロカルノ国際映画祭の最優秀賞(金豹賞)は、インドネシアのエドウィン監督の「Vengeance is Mine, All Others Pay Cash(仮題:復讐は私の物、その他は全て現金払い)」に贈られた。
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2020年、ロカルノ国際映画祭は史上初めて開催を中止した。そして第74回が4日から始まる。移動規制のために来られない常連客も多いかもしれないが、ロカルノに到着した映画ファンは矢継ぎ早の上映を心待ちにしている。10日間で約200本の映画が上映され、街中が映画ファンに占拠される。
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ロカルノ新芸術監督「ノスタルジーに浸ることは許されない」
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2021/03/28
昨年末、ロカルノ国際映画祭の芸術監督に就任したジオナ・ナザロ氏。数々の映画祭で活躍してきたベテランのナザロ氏にとっても、ロカルノは大きな挑戦となる。今年は新型コロナのパンデミックだけではなく、映画産業の変化にも対応を迫られている。
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1946年から続くロカルノ国際映画祭はスイスで最も権威のある国際映画祭とされ、カンヌ、ベルリン、ベネチア映画祭と比べ映画界では「最高の中で最小」の映画祭と見なされている。
ロカルノとこれらの大映画祭との違いは何だろうか?第一に、ロカルノは映画スターが集まる舞台ではない。セレブを追いかける報道陣もほんのわずか、もしくはほぼいないと言っていい。著名人は確かにいるが、たいていは映画産業や政策に対して尖った見方をしている。2019年には名誉ゲストの米映画監督ジョン・ウォーターズがセックスと田舎に関して奔放な発言をし、物議を醸した。
今年の目玉ゲストはジョン・ランディス監督だ。ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド主演の「ブルース・ブラザーズ」(1980年)やエディ・マーフィーなど数々の不朽の名作を送り出し、米コメディ映画を活性化させたが、タブロイド紙を飾るような映画界の有名人ではない。ロカルノのゲストは映画や芸術性に対する評価で招かれているのであり、著名人のスター性を映画祭に利用するわけではないのだ。
もう1つの違いは、ロカルノの街そのものが映画祭の規模だということだ。紀元前14世紀には人が住んでいた痕跡を残すこの古い集落には、5平方キロメートルの小さな都市空間に約1万5千人(郊外を含めば5万5千人)が住む。映画熱にあふれた居心地の良い環境で、映画祭が街で唯一の興行であることがにじみ出る。カンヌやベルリン、ベネチアでは、映画祭の会期中も街なかの暮らしは通常通り動いているのとは対照的だ。
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第1回ロカルノ国際映画祭は1946年8月23日に開かれた。誕生の背景には熱心な映画ファンの尽力があった
Locarno Film Festival
初期の映画祭では、第二次世界大戦直後に現れたイタリアのネオリアリズモ作品が目立つ。48年、ロベルト・ロッセリーニ監督(イタリア)の「ドイツ零年」がグランプリを受賞。一方、ビットリオ・デ・シーカ監督(同)の「自転車泥棒」は審査員賞にとどまったため、大きな物議を呼んだ
(Locarno Festival)
イタリアのスター、ビットリオ・デ・シーカ監督(写真左)と女優のジーナ・ロロブリジーダ(左から2人目)。ロカルノは、カンヌ国際映画祭に先駆けて映画スターが集結するイベントとして知られるようになっていった
(Keystone/Locarno Festival)
1940~50年代には、ロカルノの駅前広場に映画スターの大型ポスターが掲げられた
(Locarno Festival)
1960年の映画祭に出席したドイツ出身のハリウッド女優マレーネ・ディートリッヒ。「私は一女優としてフォトアルバムの1ページを飾るだけ。そのアルバムは今後も言葉を発することはない」と言葉少なに語った
© Festival Locarno
1959年、イングマール・ベルイマン監督(スウェーデン)の映画作品シリーズを上映。60年代には回顧部門が常設され、映画祭の目玉になった
Keystone
1959年、スタンリー・キューブリック監督(米国)の「非情の罠」が審査員特別賞を受賞。公開から5年後のことだった
Look Magazine Collection
映画祭は冷戦に反対し、旧ソ連の衛星国の作品を上映。一部のスイスドイツ語圏のメディアは共産主義支持だと厳しく批判した。1964年、旧チェコスロバキアの若手監督ミロス・フォアマンの「Black Peter」がグランプリを獲得。フォアマンは10年後、ジャック・ニコルソン主演の「カッコーの巣の上で」でメガホンを取り、世界的にその名を広めた
Festival del film Locarno
金豹賞という名称は1968年に正式採用されたが、映画祭は政治紛争などの影響に左右された。旧チェコスロバキア出身のイジー・メンツェルを筆頭とする審査員団が旧ソ連のプラハ侵攻に抗議して辞退。運営側はすぐに別の若い映画専門家らを代わりに起用した
Keystone
1969年はミシェル・ステー、フレディ・ムーラー、イヴ・イェルサン、フランシス・ロイセール、クロード・チャンピオン、クレメンス・クロッペンシュタインら、スイス人新鋭監督の作品が続々と登場。ジュネーブ出身のアラン・タネール監督(写真)の「どうなってもシャルル」は金豹賞を受賞し、スイス映画の名を欧州に広めた
cinémathèque suisse
当時のスイス映画で最高傑作の一つとうたわれたフレディ・ムーラー監督(写真左)の「われら山人たち」が1985年の金豹賞を受賞。その後、スイス映画はアンドレア・シュタカ監督の「Das Fräulein」が2006年に金豹賞を取るまで賞レースから遠ざかる
Keystone
1971年は転機の年だった。会場のピアッツァ・グランデ(グランデ広場)に野外スクリーンが設置され、映画祭の目玉になった
Locarno Film Festival
1983年、初訪欧したスパイク・リー監督(米国)の「ジョーズ・バーバー・ショップ」が金豹賞を受賞した。映画史に残る作品になった
Keystone
ロカビリーテイストのリーゼントヘアに、反逆者のようなスタイル。1984年、無名だったジム・ジャームッシュ監督(米国)の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」が金豹賞に輝いた
Keystone
1989年は過去最高となる10万人以上の観客を動員。ピアッツァ・グランデでは9200人がジャームッシュ監督の「ミステリー・トレイン」を鑑賞した
Keystone
イラン映画とロカルノ映画祭の間には深い関係がある。何人かの若いイラン人監督がここから有名になった。その一人、アッバス・キアロスタミ監督は1989年に「友だちのうちはどこ?」で銅豹賞を受賞。ジャファル・パナヒ監督は同映画祭が50周年を迎えた1997年、「Ayneh」でグランプリを獲得した
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1992年から8年間、映画祭のディレクターを務めたマルコ・ミュラーはお気に入りの中国映画をロカルノに持ち込んだ。「Baba」(ワン・シュオ監督)と「リトル・チュン(写真)」(フルーツ・チャン監督)は金豹賞、銀豹賞をそれぞれ獲得。ミュラーがディレクターを務めた最後の年のことだった
Keystone
世紀が変わる年、映画祭は過去最高の17万5千人の観客を動員した
Keystone
英国のケン・ローチ監督は映画祭の常連で、1981年から2016年までに4回出席。03年、ローチが名誉豹賞を受賞した際には、ピアッツァ・グランデにいた観客から18分間もの間、惜しみない拍手が送られた
Festival del film Locarno
2005年、ピアッツァ・グランデのステージに立ったドイツのヴィム・ヴェンダース監督はマイクを握り、イタリア語でこう語った。「名誉豹賞をもらうのはどんな気分かとみんなに聞かれるんだが、今なら分かる。まるで自分が豹に変身したような気分だってね」
Locarno Festival
映画祭は欧州の作品を積極的に取り上げた。2006年、ドイツのフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の「善き人のためのソナタ」が上映されると大きな反響を呼んだ。同作品は翌年、米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞。写真は同作品で秘密警察局員を演じたウルリッヒ・ミューエ(1979~2007)
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1940~50年代、同映画祭には多くの映画スターが集まったが、現在のロカルノは他の豪華な国際映画祭とは距離を置いている。それでもロカルノには今もなお多くのスターがやって来る。写真は2014年に出席したフランスの女優ジュリエット・ビノシュ
Festival del film Locarno/Carlo Reguzzi
70周年となる今年のテーマは「過去と未来を見つめる目を」。受賞レースにはラウル・ルイス監督(チリ)の「La telenovela errante」が出品された。同監督が初めて映画祭に出席したのは1968年だった。作品はなくなったとみられていたが、のちに複製版が見つかった。これが今回の映画祭のハイライトの一つであり、同時にラテンアメリカ映画とロカルノ映画祭の深い関係を示している
pado.ch
最後に、ロカルノは芸術志向の映画が集まるプラットフォームとしての地位を確立してきた。「最高の中で最小」の映画祭として、業界で誇大宣伝された注目作品を呼び込むのは自殺行為ともいえる(大半の監督やプロデューサーは、カンヌでの新作発表を好む)。その代わり、ロカルノは常に最も珍しい映画を探し求める。観客受けは良いがミニシアターで数週間上映されるだけの、他ではめったにお目にかかれない作品たちだ。
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ロカルノ国際映画祭が2018年、映画祭でのジェンダー平等を誓う文書に調印した。あれから3年。今年のプログラムは悲しいことに、目指した理想の姿とは程遠い。
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swissinfo.chは映画祭の現場に入り、ロカルノを多様な切り口で報道する。ブラジル出身でスイスを拠点にするジャーナリスト兼評論家のエドワルド・シマントブと、モザンビーク生まれのイタリア人映像ジャーナリスト、カルロ・ピサーニが、映画祭の評論家アカデミー外部リンク と協力。毎年、映画祭をナビゲートするために世界から10人の若い映画・メディア評論家を招いており、今年はベトナム、ルーマニア、ハンガリー、ブラジル、チリ、ドミニカ共和国、英国、スイスの評論家たちが集まった。
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