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スイスの気候変動訴訟、欧州人権裁判所で審理 史上初

Corina Heri

仏ストラスブールの欧州人権裁判所が史上初めて、気候変動が人権侵害にあたるかどうかを審理する。チューリヒ大学法学研究所のコリーナ・ヘリ氏は、スイスの団体が国を訴えたこのケースが、欧州のみならず世界の気候変動由来の人権訴訟の前例を作る可能性があると考える。

欧州人権裁判所の大法廷は今月29日、2つの気候変動訴訟の審理を開始する。そのうちの1つは、スイスの団体「環境を守るシニア女性(KlimaSeniorinnen外部リンク)」が国を相手取って起こした訴訟だ。

「結果がどうであれ、『環境を守るシニア女性』とその関連訴訟は、気候変動に由来する現実的な人権リスクに注意を喚起するものだ」

チューリヒに拠点を置き、自らを「シニア女性」と呼ぶ平均年齢73歳のメンバーで構成される同団体は、欧州人権裁判所を前に気候変動が生命と健康に与える被害を訴える。自分たちのような年配女性は特に熱波の影響を受けやすく、欧州人権条約が規定する様々な権利が侵害されているというのが主張だ。スイスではこれまでにも、パリ協定の目標に合致する温室効果ガス排出削減を中心に、国にさらに野心的な気候政策を求める訴訟が起きている。

「環境を守るシニア女性の会」及び他の2つの裁判をきっかけに、欧州人権裁判所は、今後の判決に適用できる明確で一貫した気候変動訴訟基準を設定すると思われる。だがそのプロセスは複雑だ。3つの裁判に関わる国は欧州評議会加盟33カ国に上り、各国には様々に異なる既存の訴訟手続きがある。また、スイス団体の訴訟は異例で、政府や法学者、気候科学者、非政府組織(NGO)、その他の利害関係者など多くの第3者が参加する。23の弁論趣意書で明らかになる専門知識の一部は、審理中に口頭で陳述される予定だ。

何が期待できるか?

「環境を守るシニア女性」の訴えを国際人権裁判所がどう処理するのか、予想するのは難しい。訴えが受理されるか否かを含め、あらゆる結果が考えられる。スイス連邦政府は公共の利益に関する訴訟(裁判用語で『民衆訴訟』)に当たると判断し、原告の人権は訴訟を正当化するほど被害を受けていないとして訴えを不受理とした。仮に欧州人権裁判所がそれに同調すれば、気候変動を人権問題として提起する、様々な取り組みに打撃を与える可能性がある。また、欧州人権裁判所の今後の訴訟に影響するだけではなく、国内外の裁判所に同様の制限的な判断を促す可能性もある。

だが訴えが受理される可能性もある。そうなれば、スイスの気候変動対策が不十分なことが、生命権(欧州人権条約第2条)と包括的な「私生活および家族生活の尊重を受ける権利」(同第8条、精神的・身体的完全性も保護)の侵害にあたるかどうかが審理される。「環境を守るシニア女性」は、主張の裏付けとして熱波による年配層の死亡率の高さを示す科学的証拠を提出した。欧州人権裁判所がどのような答えを出すかは分からない。同裁判所はこれまでに、有害な環境は国民の生命と健康を保護する国家義務違反に相当し得ると認定したことはある。だが広範の多種多様な原因が絡みながら地球規模の影響を引き起こす気候変動の訴訟では前例がない。

スイスへの影響

今回の訴訟を受けて、仮に一時的であっても、気候変動を人権問題として取り上げようとする国際人権団体が増えるかもしれない。人権と気候変動法、及び科学が相互作用するためのロードマップもできるだろう。また、気候変動への対策不備が欧州人権条約に違反すると判断した他の加盟国(オランダやベルギーなど)の、国内裁判所の事実認定の正当性を示すと同時に、EU法下で不利な類似訴訟に別の選択肢を提供できる。そして最終的には、欧州人権条約の下で、健康な環境を求める権利のための活動をさらに活発にできるだろう。

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このコンテンツが公開されたのは、 シニア女性で構成されるスイスの団体が、スイスの気候政策は「生存権」を侵害しているとして、欧州人権裁判所に訴訟を起こした。

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原告が勝訴した場合、スイスの気候政策にどのような結果をもたらすのか?欧州人権裁判所は通常、認定した事実を国内法の下で執行するための必要措置を示さない。欧州評議会の監督下にあっても、国内法をどう適用するかは自国の事情に詳しい各国家に委ねられる。つまり、欧州人権裁判所がスイスの気候政策が原告の生命・健康に関する人権を侵害していると判断した場合も、スイス政府に必要措置の決定が委ねられる可能性が高い。

だが「環境を守るシニア女性」は、国際人権裁判所にさらに具体的な踏み込んだ命令を求めている。2030年までの「カーボンネガティブ」(CO₂吸収量が排出量を上回る状態)と、2050年までの「国内カーボンニュートラル」を実現する立法・行政枠組みの導入を、スイスに命じるべきだと主張する。これは可能なことだ。その行使はまれだが、欧州人権裁判所には相当する権限がある(国際人権条約第46条)。国内の裁判所が気候訴訟で同様の命令を下した例もある。欧州人権裁判所がこれに追随すれば前例のないことだが、複数の第3者が科学的専門知識を提供しており、権限行使を後押しする可能性もある。

未来への道筋を描く

欧州人権裁判所が原告の生命と健康リスクを条約違反だと判断しなかったとしても、「環境を守るシニア女性」の訴えは別の意味でも重要だ。スイスの法制度が、告発者に公正な裁判を受ける権利や効果的な救済策(欧州人権条約第6条及び13条で規定)を与えなかったという点で、訴訟手続き上の人権侵害も浮き彫りにする。こうした問題が議論されることで、スイス内外の今後の気候変動訴訟において、国内裁判所の役割が強まるだろう。

次に、個々のメンバーではなく「環境を守るシニア女性」が団体として提訴することが認められれば、長く切望されてきた、訴訟要件の修正をもたらすだろう。環境NGOがメンバーに代わって提訴できるようになれば、個人には要件が厳格過ぎて提訴できない複雑な問題でも、司法制度を利用しやすくなるだろう。

結果がどうであれ、「環境を守るシニア女性」とその関連訴訟は、気候変動に由来する現実的な人権リスクに注意を喚起するものだ。今後の訴訟に影響を与え、気候変動という人権における新分野で未解決だった問題(因果関係やリスクの許容範囲、裁判管轄権など)を明らかにしていくと思われる。欧州人権裁判所は、総合的には大規模な問題を巡る自らの役割を見直す必要があるだろう。将来への道筋を描くべき時であり、各国の意思決定を尊重するのか、それとも新たな課題に直面する「生きた」人権を確実に保護するのか、どちらかを選択しなければならない。

※本記事で述べられている見解は、あくまでも著者のものであり、必ずしもswissinfo.chの見解と一致するものではありません。

英語からの翻訳:由比かおり

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