
スイス映画が向き合うポスト植民地主義

スイス西部ニヨンで開催されるドキュメンタリー映画祭「ヴィジョン・デュ・レール映画祭」では今年、スイス映画部門にアフリカを題材とした作品が3本選出された。いずれも植民地時代の負の遺産と向き合いながら、ポスト植民地主義の意義を今改めて観客に問いかける。swissinfo.chは、スイス映画界に広がりつつあるこの新たな潮流を追った。

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スイス西部のニヨンで開催されるヴィジョン・デュ・レール映画祭は、世界を牽引するドキュメンタリー映画祭だ。今年は4月3~13日に開催され、57カ国から過去最多となる154本もの作品が出品された。しかし海外からの参加者は、この映画祭のスイス映画部門に選出されたドキュメンタリー作品を見逃してしまうことも多い。なぜなら、注目度の高い2部門(国際長編、国際中・短編)に関心が集中しているか、他の映画祭で最新のトレンドを追いかけようとしているからだ。
その一方で、スイス映画部門に選出された作品は、現在のスイスにおけるドキュメンタリー制作の動向や関心を知る上で重要な手がかりとなる。注目すべきことに、今回のスイス映画部門では、アフリカを題材とした映画が3本選出された。
植民地主義と向き合う3人の女性監督
サラ・イムサンド監督の「Kevine et Fortune(仮訳:ケヴィーヌとフォーチュン)」は、プロのサッカー選手として海外で活躍することを夢見る、カメルーン出身の若い女性2人の友情を丁寧に描いた作品だ。ファビエンヌ・スタイナー監督の「Fitting In(仮訳:フィッティング・イン)」では、アパルトヘイト体制の影響が今なお色濃く残る、南アフリカのステレンボッシュ大学の男子学生寮へと足を踏み入れる。そして、ローレンス・ファーヴル監督の「Lettres au Docteur L(仮訳:L医師への手紙)」は、19世紀に宣教師として南アフリカへと渡った医師の手記を紐解く、実験的なドキュメンタリーとなっている。
これら3本の映画は、それぞれ異なる語り口や撮影手法を駆使しながら、西洋の一部に何世紀も残り続ける植民地支配の影響と向き合っている。かつて社会の支配層だった西洋諸国が広めた経済や文化の規範は、今なお社会に深く根付いている。これらの映画はそのような現実に対して、控えめながらも鋭いまなざしを向ける試みだ。
そもそもドキュメンタリー制作という表現形式には、カメラの前に立つ被写体と、その背後にいる制作者との間に生じる力の不均衡という問題が付きまとう。このような作品の制作者は西洋の白人男性であることが通例で、スイスもその例外ではなかった。
そのような問題を掘り下げたのが、ミシャ・ヘディンガー監督による2019年の映画「African Mirror(仮訳:アフリカの鏡)」だ。この作品はスイスの旅行家であり映画監督でもあったルネ・ガルディ氏に関する資料を基に制作され、典型的な西洋の視点から捉えられたアフリカ像を鋭く問い直している。
時代は少しずつ変わりつつある。スイスでは文化や民族の多様性が拡大の一途をたどり外部リンク、今年のヴィジョン・デュ・レール映画祭に出品されたこれら3作品にも、新たな社会的価値観が反映されている。国境に囚われず、社会の中であまり注目されてこなかった人々に目を向け、そして何よりも、紹介した3作品の監督がすべて女性であるという事実が物語る、ジェンダー多様性の高まりを反映する価値観だ。

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混ざり合った遺産――「ケヴィーヌとフォーチュン」
イムサンド監督は、映画制作の限界を強く意識しているという。「『ケヴィーヌとフォーチュン』は、私にとって重要な最初の一歩です。これからも既存の表現形式を絶えず磨き続けながら、さらなる高みを目指したいと思っています」。エチオピア人の父とスイス人の母を持つ同氏は、スイス社会でアフリカ系の人々に向けられる差別的な視線を、敏感に感じ取ってきたという。そのような背景を持つ同氏ならではの鋭い感性が、作品にも落とし込まれている。
「ケヴィーヌとフォーチュン」の着想は、スイス、カメルーン、セネガルが共同で実施した、アフリカにおける若い女性とサッカーとの関係性を調査する学術プロジェクトにまで遡る。その調査の成果を映像作品という形で表現したのが本作だ。
同氏のドキュメンタリーは驚くほど優しく、温かなまなざしに満ちている。包括的な社会文化的分析を行うのではなく、友情を重視する。「私はこの作品を、カメルーン社会や女性の置かれた状況に関する一般論を語るものにはしたくありませんでした。なぜなら、そのような撮り方をすることで、私自身が相手よりも優位に立ってしまうと思ったからです」
イムサンド監督の次回作は、自身の父方の家族に関する個人的なドキュメンタリーとなる予定だ。その作品を通じて、自身とエチオピアとの結びつきを掘り下げたいと語る。「私はスイスで生まれ育ちましたが、エチオピアの家族との繋がりの中で、自分がどのような存在なのかを知りたいと思っています。自分が家族から何を受け継ぎ、受け継がなかったのかを。そして、なぜそれが私に伝えられなかったのかを」
過去の過ち――「L医師への手紙」

「L医師への手紙」を手掛けたファーヴル監督は、かつてスイス人宣教師として活動していた親族に関する映像や手紙を受け継いだことをきっかけに、宣教師のアーカイブに対する関心を深めていった。その関心が初めて形となったのが、2013年の短編映画「Nwa-Mankamana」だ。
「過去と同じ過ちを繰り返さないようにするにはどうすれば良いかを、自分自身に問い続けることが重要です」と同氏は指摘する。「L医師への手紙」は、時代や場所を超えた対話という形式を採用する。南アフリカの人々が登場し、L医師に宛てた手紙に自らの思いをしたためる。これらの手紙はボイスオーバーとして読み上げられ、時間を旅するサウンドカプセルのような役割を果たす。
近年のスイスでは、植民地主義に関するイベントが増加している。このような流れの中で現れる「脱植民地への転換点」などの言葉の使い方について、ファーヴル監督は注意を促す。「アーカイブを見て、『昔はなんてひどい時代だったんだ』と驚く人はたくさんいます。それはあたかも、差別主義的な社会構造がすでに過去のものであるかのような反応です。実際には、私たちはこの問題に対する最初の一歩を踏み出したばかりにすぎません。そしてその一歩を、実態よりもはるかに過大評価してしまうことが多いのです」
スイスの植民地主義的なまなざし
フランスやベルギーといったかつて植民地を支配していた国々では、植民地時代の遺産が形を変えて生き続けており、映画がその償いや報いの手段として用いられることがしばしばある。この点に関して、スイスは特殊な立ち位置を占めている。歴史上植民地を保有したことはないものの、ヨーロッパの白人に浸透していた植民地主義的なまなざしに深く影響されてきたからだ。
ヴィジョン・デュ・レール映画祭の芸術監督、エミリー・ビュジェス氏は、アフリカを題材とした3本の映画がスイス映画部門に選出されたことについて、「スイスには、外国での映画撮影に関して長い伝統があります」とコメントした。同氏は、外国で撮影されたスイス映画が増えているとはみていないが、非主要経済国を舞台や題材にした映画が、長きにわたり存在してきたことは事実だと指摘した。
同氏はこのような傾向が、文化的な要因というよりも、制作費などの経済的な事情によるものだと分析する。「スイスの映画制作者は、異なる4つの国に渡って撮影することもできるでしょう。なぜなら十分な資金があるからです。これは無視できない事実です」

ヨーロッパの観客はいまだに、ポスト植民地主義的な解釈や歴史修正主義に比較的不慣れだとされる。それどころか、「ウォーク」と呼ばれる社会的不平等に対する近年の意識の高まりに対して、潜在的な脅威を感じている人さえいる。とはいえ、このような議論そのものが、映画産業を取り巻く世界的な潮流の変化を反映するものだ。
このような状況の中で、ビュジェス氏は観客の力を信じていると語る。「個人の考え方が正しいかどうかは議論が難しい問題で、確定的な判断は下せません。なぜなら私たちは映画の社会的意義や価値をしっかりと見極める賢さを備えているからです」
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編集:Catherine Hickley/gw、英語からの翻訳:本田未喜、校正:ムートゥ朋子

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