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スイスと欧州:条約への長い道

欧州大陸でのスイスの孤立は、第2時大戦後から始まったわけではない。実際には、1648年のウェストファリア条約でスイスの中立政策が他の欧州勢力によって承認されて以来、スイスは欧州の傘下から外れて存在し続けて来た。

このコンテンツは 2000/05/23 15:25

欧州大陸でのスイスの孤立は、第2時大戦後から始まったわけではない。実際には、1648年のウェストファリア条約でスイスの中立政策が他の欧州勢力によって承認されて以来、スイスは欧州の傘下から外れて存在し続けて来た。

200年前のナポレオン軍の侵攻以外、スイスは欧州の戦争に介入せず、また20世紀欧州大陸の大部分を震撼させたファシズムや共産主義の破壊的なイデオロギーを直接経験することもなく過ごしてきた。これら歴史的な事実に加え、スイスの直接民主制度が、スイスは独特であるー他の文化や国家よりも独特であるーという見解が国民の間に広く深く浸透するのを支えて来た。そして、政治的主権を多少なりとも放棄せざるを得ないような国際機関や国際プロジェクトに対するスイスの疑い深さを形成してきた。そのため、EUのみならず国連、NATO(北大西洋条約機構)にも、スイスは属さなかった。

しかし、資源がほとんど無い国土を持つスイスの貿易依存度は、世界でも最も高い国の一つだ。それ故、政治的な孤立政策とは対照的に、国際舞台で積極的な経済的役割を果たして来た。故に、スイスはEU(欧州連合)の前身であるEC(欧州共同体)創設に参加しなかったが、純粋な経済機構である経済協力開発機構(OECD)と欧州自由貿易連合(EFTA)では創立メンバーだ。1960年代、いくつかのEFTAの主要加盟国がECへ鞍替えした後、スイス政府はECとの関係強化の必要性を熟慮し始める。それは1972年の国民投票で70%以上が承認した自由貿易協定調印で、最高潮に達した。

1992年のEU単一市場創設計画の際、スイス経済界は好条件での新市場参入を目指し、スイス政府に対しEUと交渉するよう圧力をかけ、欧州経済地域(EEA)参加に備えた。が、スイス連邦政府の動きは、EUとの関係を経済的なものに限定したいと望んでいたスイス国民にとっては早急すぎた。政府は意志決定権なしでEEAに参加するのを好まず、EEA加盟をEU加盟への布石としようとした。が、EU加盟などというのは、当時のスイス人には進み過ぎた考えだった。この政府の致命的な戦略ミスが、1992年国民投票によるEEA加盟案否決を招いた。

1994年から1999年まで5年におよんだ困難な交渉の後、スイスは再び国民に、スイス企業と個人の欧州市場へのアクセスを容易にする一連の手段の是非を問う投票を行った。結果は、承認。が、EU加盟に関しては、政府は長期的には加盟を目指していくとは宣言しているが、今はまだ表立っては打ち上げられない政策だ。

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