ジュネーブ協定から50年 国際都市ジュネーブの活躍
今年はベトナムがフランスの植民地支配から独立して50周年を迎える。1954年のジュネーブ協定でインドシナ戦争終結から50年後、ジュネーブ在住ジャーナリストのギー・メタン氏は「ジュネーブ:平和の町」という題で先週、本を出版した。
同氏は、「当時の国際情勢からすると、インドシナ戦争の関係者をジュネーブに招いて戦争終結への手助けをしたことは、スイスにとって大きな国際貢献だった」と話す。
ジュネーブ協定
メタン氏は、冷戦下の当時をこう振り返る。
「54年の春は、誰もが核兵器を武器に第3次世界大戦が始まると危惧したものだ。フランス軍はベトミン(ベトナム独立同盟)と46年以来ずっと戦っていて、インドシナは冷戦下で最も危険な地域の一つとみなされた。だからあの時点であの協定を結ぶことはとても重要なことだった」と話す。
1954年7月、フランス、ベトナム、中国、米国、ソ連、英国の高官がジュネーブに集まり、ジュネーブ協定を締結。フランスによるベトナム再植民地化が失敗に終わり、フランス軍をベトナムから撤退させた点で、協定には意義があった。
だが一方、協定はベトナムを南北に分断。米国のベトナム介入のきっかけとなり、インドシナ情勢はさらに悪化する。ベトナム戦争でベトナムが米国を追い出し、南北統一を実現させたのは1975年のことだ。
永世中立国スイス
冷戦時代、スイスは東西勢力双方から一歩距離を置いたため、国際社会から孤立してしまう恐れがあった。
「スイスはそれまで、ナチス打倒のために西ヨーロッパ諸国に軍事参加しなかったことで米国から非難を浴び、我々の中立という立場が怠惰だと批判されていた。一方で、共産圏ソ連とも関係を凍結していた」とメタン氏は指摘する。
ジュネーブ市長のクリスティアン・フェラジーノ氏は、メタン氏が書いた本の前書きにこう記す。「この年(1954年)はスイスが国際社会に復帰したことを意味する年だ」。
54年のジュネーブ協定以降、国際都市ジュネーブは各国に国際会議の場所を提供している。
メタン氏は「世界の指導者達は自分達が向き合える場所が必要と感じていると思う。米国や英国などの大国のように影響力を持とうと目指していない永世中立国スイスだからこそ、そういった場所を提供できる」と話している。
スイス国際放送 アナ・ネルソン 安達聡子(あだちさとこ)意訳
1954年7月、フランスはジュネーブ協定を締結し、ベトナムから撤退する。
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