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五輪メダルへの熱意が生み出す闇

積年のトレーニング、厳しい規律、汗と苦痛。それらは全て、オリンピックで金メダルを取るための対価だ。だが一部のアスリートには、もっと大きい代償が降りかかることがある。パワハラやセクハラだ。スポーツの世界では必要悪として長らく容認されてきたが、時代の流れは旧弊にくさびを打ち込もうとしている。

東京オリンピック・パラリンピックの開催を目前に、国際非政府組織(NGO)のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)はスポーツの世界の陰湿な側面に光を当てた。スポーツ界の暴力・体罰をなくすための基準の策定を日本政府に求める請願活動外部リンクを始めた。

HRWが昨年発表した調査外部リンクは、50競技以上に取り組む25歳未満の日本人アスリートの18%が暴力を受けたことがあると明らかにした。言葉の暴力や顔面の殴打、ラケットや棒などを蹴ったり叩いたりといった暴力の他、水を飲ませてもらえない、首を絞められる、竹刀やバットで叩かれる、セクハラなど、「体罰」と呼ばれる文化が日本のスポーツ界にはびこっている。「スポーツで子どもが身体的暴力を受けることは、長年日本で広くみられ、当たり前のこととして受け取られてきた」。そしてスポーツに取り組む日本の青少年がうつや自殺、身体障害、長年のトラウマに悩まされていると報告した。

日本のスポーツ界における暴力が公に語られるようになったのは、日本が2020年のオリンピック・パラリンピックの開催国に選ばれた2013年前後のことだ。柔道女子代表選手に対する園田隆二監督による暴行事件や、大阪府の高校バスケットボール部の男子生徒の自殺といったニュースが相次いだのを受け、主要スポーツ団体が対策に乗り出したとHRWは説明する。

世界的な問題

体罰は日本だけの問題ではない。全くその反対だ。ハイチから米英、アフガニスタンやマリまで、スポーツの世界で起きた心理的・物理的な暴力事件が報じられなかった年はない。殴打や強姦を含む暴力事件の数は3桁を超える。これらの事件に共通するのは、被害者の多くが未成年で、成人後になってようやく被害を受けていたと打ち明けられるようになることだ。そして多くはNGOやメディアが報じて初めて明るみに出る。

スイスでも直近、重大な体罰事件が報じられた。

ドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガー外部リンクは1月、スイスの国立トレーニングセンター外部リンクでの練習中に繰り返された心理的、身体的虐待を受けた8人の女性の証言を掲載した。暴力を受けてから数年間、不安や摂食障害、うつ病、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、さらには自殺願望に苦しみ続けたという。

「疫病のように広がる」

アスリートたちが受ける被害は多種多様で、心理的・物理的暴力がそれぞれ特有の事例なのか、それとも共通項があるのかは分からない。スイス・スポーツ心理学協会(SASP)のカタリーナ・アルバーティン会長は、プロのスポーツ界では、勝利だけを目的とする文化は手段を選ばず「疫病のように広がる」と話す。「成功を収めたという理由で外部からコーチを雇う。数十年かけて、こうした勝利を金科玉条とする文化がスポーツ界に根付いた」

アルバーティン氏はまた、コーチ自身も勝たなければならないという大きなプレッシャーの中で、自分が子供の時にされたのと同じ方法を使ってしまうことがあると指摘する。そして選手の競技への愛を利用する形で権力が悪用される恐れがある。スイスの体操選手、リサ・ルスコーニはあるインタビューの中で、この不均衡を「(コーチたちは)私が夢をかなえるためならなんでもすると分かっていた」ため、初日から黙して苦痛に耐えることを学んだと語った。

「初日から黙して苦痛に耐えることを学んだ」 リサ・ルスコーニ

監視するのは誰?

HRWは、スポーツ界での権力の乱用は世界中で見られる問題で、世界的な解決が必要だと指摘する。今のところ、暴力や虐待に対してはドーピング対策のような統一した明確なシステムはなく、地域的・部分的ルールしかない。

スポーツ団体などのガバナンス(統治)については、国際オリンピック委員会(IOC)や夏季オリンピック国際競技連盟連合(ASOIF)のような国際機関が守るべき基準を定める。IOCや国際サッカー連盟(FIFA)が作ったツールキットもある。

各国政府は、カザン行動計画外部リンクに基づいてスポーツや体育、身体活動の貢献度を測定する指標を国連の持続的開発目標に報告することになっている。

だがIOCは個々のスポーツクラブに対する裁判管轄権は持っていない。責任は各スポーツの国内連盟や現地政府にある。IOCはswissinfo.chの取材に対し、IOCが管轄権を持つのは五輪開催中だけだと回答した。会期の前後に起きた事件についてはIOCの司法管轄権の対象外だという。

国レベルでは、各国は被害者の通報窓口に頼っているのが実情だ。だがそれは被害者自身の負担になることがある。HRWは、地域の通報システムは曖昧で対応が遅く、効率が悪いと批判。アルバーティン氏も、トラウマを抱えた被害者にスポーツクラブで起きた問題を特定させるのは問題があるとみる。「被害者の多くは、自分の苦しい体験が過ぎ去るまで担当機関に通報せず、また文句を言えばそれなりの報いを受けると分かっている」

表面化した事例の数々は法の抜け穴を露呈する。アルバーティン氏によると、例えば暴力を犯したコーチは解雇されても別のクラブや別の国に移ることができる。暴力や犯罪者を記録する国際的なブラックリストが存在しないからだ。

「心理的・身体的安全はスポーツ選手にとって大切な人権問題だと捉えられてこなかった」 杉山翔一

日本大学・中央大学の非常勤講師で日本スポーツ法学会の一員である杉山翔一外部リンク氏は、「心理的・身体的安全はスポーツ選手にとって大切な人権問題だと捉えられてこなかった」と指摘する。

それも変わりつつあるが、歩みは遅い。NGOやメディアは10年以上、世界のスポーツ協会や連盟にはびこった問題と闇の深さに切り込んできた。公的機関やメディアの圧力を受けて、一部の指導者や団体幹部は各地の虐待事件に対する責任を負うようになった。被害者はようやく声を上げ、正義を求めるようになった。

近年ではFIFAが英BBC放送やガーディアン紙の報道を追う形で、アフガニスタンとハイチのナショナルサッカーリーグのトップが性的暴行を犯していたことを明らかにした。バスケットボール界では、マリで組織的なセクハラや女性への暴力が横行していたとする米ニューヨーク・タイムズ紙の調査報道を受け、国際バスケットボール連盟(FIBA)の会長でマリ人のハマネ・ニアン氏が辞任外部リンクを余儀なくされた。

杉山氏は、こうした事例が示唆するのは、暴力に対する責任を負うのは国際連盟であるということだ、と話す。

スイスは問題に法的に対応しようとする数少ない国の1つだ。

2022年、スポーツ犯罪規範を模した行動規範が発効する。不正行為を調査したり、限度を超えた暴力を認定したりできるようになる。

規範では、個人か組織かによって適用される罰則が異なる。コーチや幹部の場合、警告や罰金、一定期間のスポーツ団体からの除名処分に処される。

加えて、連邦政府は通報窓口や通報前のカウンセリングセンターを設置し、クラブ内の自己監視体制の整備や対話の文化を奨励してきた。

だがそれだけで十分なのだろうか?

改善点

アルバーティン氏は、最初の一歩を踏み出すことが第一だが、予防策を講じることも重要だと話す。「選手が心理的に支えられ、適切かつ協力的な訓練を受けられるにはどうすればいいかを考えなければならない」。アルバーティン氏は指導・監督においても何らかの行動が必要だと強調する。「スポーツの世界では、その概念がほぼ存在しない」

同氏はクラブや被害者に頼るのではなく、問題を特定するために親やセラピスト、コーチなどアスリートと接点のある全ての人を巻き込むべきだと語った。

HRWは全ての大人が青少年アスリートへの虐待に関する知識を持ち、問題があれば通報するよう提言する。トレーニング資格の取り消しやトレーニングへの出入り禁止、処罰を受けたトレーナーのための控訴制度、当局への捜査協力、トレーナーのブラックリストの作成など、トレーナーに対する相応の制裁も求める。コーチなど虐待の加害者は軽い処分で済まされたり、被害者を脅迫して口止めできる立場に移ったりするからだ。

セーフスポーツ・インターナショナルのアンヌ・ティヴァ理事長は、「スポーツに取り組む子どもや大人を守るための対策を確立しているスポーツ団体は、世界でもごくわずかだ」と話す。

「だが少なくとも、スポーツ界が前進し始めているという感じはする」

オランダとベルギーで行われたスポーツにおける子どもへの暴力に関する初の大規模調査では、回答者の38%が心理的な暴力を、11%が身体的な暴力を、14%が性的な暴力を経験したことがあると答えた。この調査では少数民族やレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、障害を持つアスリートが暴力を受ける傾向が強いことが分かった。調査は18歳になる前に組織的スポーツに参加した4千人以上の成人を対象とした。

過去10年、「#MeToo」や「#BlackLivesMatter」のような社会変革を求める運動の高まりとともに、スポーツの世界でも暴力を受けた多くの被害者が、閉ざしていた口を開くようになった。ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、一部のクラブには子どもたちの抱える課題に向き合わず、事実を隠ぺいしようとする文化があった。

ローザンヌ大学の調査によると、スイス西部のフランス語圏では、若いスポーツ選手の5人に1人が何らかの暴力を受けている。

調査では18歳になる前にスポーツをしていた287人の若者にインタビューした。その結果、心理的・身体的な暴力を受けたことがある人は20.3%、性的・心理的な暴力を受けたことがある人は15.5%、3つすべての暴力を受けたことがある人は15.5%であることが分かった。

英国ではガーディアン紙が元サッカー選手のアンディ・ウッドワード氏のインタビュー記事を掲載。同氏が強姦されたことや、サッカークラブに所属する何百人もの被害者が少年サッカーチームのコーチからセクハラや性的暴行を受けていたと報じた。

独仏テレビArteで今年放映されたドキュメンタリー映画は、複数の国のさまざまな競技の選手数百人が性的虐待の被害に遭っていたことを明らかにした。2人の元オリンピック選手は、被害を知りショックを受けた母親が自殺したと話した。

(英語からの翻訳・ムートゥ朋子)


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