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アウトサイダーのインサイダー取引の容疑に無罪判決

マルティン・エブナー 「株主至上主義」の先駆者。経済界のエスタブリシュメントに挑むアウトサイダー Keystone

90年代に金融界に君臨したマルティン・エブナー氏に対するインサイダー取引の裁判でチューリヒ州裁判所は25日、同氏が得た情報は取引に影響をもたらすには不十分な内容だったとして、無罪の判決を下した。

タイヤのピレリ株を所有していたエブナー氏は、インサイダー情報に基づいて同社の株を大量に売却したとチューリヒ州検察に訴えられていた。インサイダー取締法は25年前に発効されたものの、有罪判決が下ったことはいまだない。

タイヤの大手・ピレリの株は、スイス証券取引所に上場されている。マルティン・エブナー氏(58)のホールディング会社・BZグループが1998年3月10日から2日間にわたり、所有していたピレリ株8億フラン(およそ680億円)相当を市場で売却した。チューリヒ州検察は、取引の直前にエブナー氏は、ピレリが自社株を株主から買い戻す計画などを知っていたと主張し、執行猶予つきで7ヶ月の実刑を要求していた。

勘違いのおかげ

 エブナー氏は、当時の市場価格より30フラン安い350フラン(およそ3万円)で所有する株を売却しており、最終的には6万6千フラン(およそ56万円)の損失を出した。これはエブナー氏の「勘違い」が元で、実際は45万フランから18億4千万フラン(およそ3千8百25万円から1千564億円)の利益を上げていたはず、とベルン大学のクラウディオ・ロデラー教授は算出している(9月25日付ノイイエ・チュリヒャ・ツァイトゥング)

 この勘違いが、今回の判決でエブナー氏を救ったことになる。「取引の時点で被告は、買い戻しの詳しい内容を知らなかった」と判断され無罪となったからである。

 インサイダー取引の訴訟はこれまでに50件ほどあったが、有罪判決が下ったことはいままでない。今回も、有罪証明が難しく、無罪になるであろうと当初から見られていた。

 起訴内容を全面的に否定していたエブナー氏は
「裁判が自分の潔白を証明した」
と語った。 

経済界の異端児

 エブナー氏は1985年、投資を専門とするBZ銀行を創立し一躍財界に頭角をあらわす。デリバティブ(金融派生商品)の取引が得意で、市場でも同銀行の動向が常に注目されていた。一方、派手な動きに隠れ、企業への資本参加も進めていたといわれる。 欧州では当時、「シェアーホルダーバリュー」という言葉は馴染みがなかったが、株主至上主義を唱え、経済界からは異端児として軽蔑されていた。

 88年、他会社の株式を保有することで支配権を得るホールディング会社を設立し、製薬会社のロシュ(20%)、旧UBS銀行(19%)、ウィンタートゥール保険(14.5%)、重工のABB(14.5%)やアルミのロンツァ(23.4%)などの株の買収を進めていった。

 買収した株を背景に、UBS銀行の経営にも携わろうとする勢いだったが、結局これを断念。それまで、株売買で利ざやを取るだけがエブナー氏の目的と見なされ、2000年に同氏は再度経営欲を発揮。スイスの製造業を代表するアルスイス(アルグループ)の経営陣に乗り込み、周囲を驚かせた。経営人としての手腕は疑問視されていたのである。

 スイス2大製薬会社のロシュに対しては、同社を創立した家族と対立し、ロシュのライバル会社であるノバルティスに所有する株を31億フラン(およそ2千6百35億円)で売却するという、曲芸的な取引を成立させたりもした。

見せかけだったのか

 2000年、BZグループの利益は2億6千万フラン(およそ221億円)まで膨らんだ。投資銀行として、扱う金額は百万フラン単位。それまで個人の投資家には目を向けなかったエブナー氏は方向を180度転換し、個人投資家向けのセミナーを開き、自ら株主至上主義を訴えながら、個人の資金を預かるようにもなる。

 飛ぶ鳥を撃ち落す勢いの同氏とBZグループは2002年7月31日、所有株のパッケージをチューリヒ州銀行に譲渡した。これが引き金となって、経営の悪化が噂されるようになる。

 同年10月にはロンツァの経営陣から身を引き、株の大部分も売却。ABBの役員も辞職した。経営悪化は、市場の株価が大幅に下落したこととされている。

 本年1月には260億フラン(およそ2万2千100億円)の損失を計上するに至り、銀行委員会の監査が入った。総額30億フラン(およそ2千550億円)を融資しているドイツやオーストリアの銀行団は、支払い期限を延長するなどして救済策を提示。BZグループは次々と持ち株を売却することで、倒産を免れ現在にいたっている。

 スイスの経済界のエスタブリッシュメントに噛み付いた異端児エブナー氏。株主至上主義がもてはやされる時代は終わり、いまの不況には経営人の堅実な経営手腕が問われている。
 エブナー氏には今後、企業年金基金に過大な損害を与えたことを理由に、営業停止を求める裁判が待っている。

スイス国際放送 佐藤夕美 (さとうゆうみ)

インサイダー裁判:
ピレリの経営陣から、リストラ計画と株の買戻し計画を知らされていた。
州検察は、エブナー氏はインサイダー情報を受け、株の売買を行ったと起訴した。
エブナー容疑者全面否定
25年間に50件の訴訟 うち有罪判決はゼロ

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