広島から60年 前 次 ジュノー博士は1930年代に赤十字国際委員会(ICRC)からエチオピア、スペインそして第二次世界大戦中に欧州全土に派遣された。日本には1945年8月9日に着き、外国人医師として初めて広島を訪れ、精力的にに救助活動を行なった 写真:ICRC提供 CICR 原爆の投下後の広島市、中区 写真:中田佐都男撮影 ICRC提供 CICR - NAKATA, Satsuo 1945年8月9日に原爆が投下されてまもなくの長崎 写真:ICRC提供 CICR 原爆の中心からおよそ2.5キロメートルに位置する大州町の木造の家 写真:中田佐都男撮影 ICRC提供 CICR - NAKATA, Satsuo 原爆により火傷を負った被爆者 写真:尾糖政美撮影 ICRC提供 CICR - ONUKA, Masami 女性被爆者の火傷跡 写真:尾糖政美撮影 ICRC提供 CICR - ONUKA, Masami 広島の戦争捕虜を訪問するジュノー博士 写真:ICRC提供 CICR 広島平和公園にあるジュノー博士の記念碑 写真:リュック・シェセックス撮影 ICRC提供 CICR - CHESSEX, Luc 画像 1 画像 2 画像 3 画像 4 画像 5 画像 6 画像 7 画像 8 このコンテンツが公開されたのは、 2005/07/27 12:54 swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。 他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。
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