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参政権はインクルージョンの道具にあらず

Demi Hablützel

参政権はスイス国籍者にのみ認めるべきだ――。外国人の政治的権利についてスイスでは、こうした意見が多数を占める。保守系右派・国民党青年部バーゼル・シュタット準州支部長で、法学部学生のデミ・ハプリュッツェルさんがその理由を論じる。

スイス国籍は、出生を通じて親から得る(血統主義)か、後から帰化によって取得する。

参政権は国籍と結びついており、国籍が先だ。投票権や選挙権のおかげで、私たちは国籍を有する国(ただし民主国家)において、(より)政治的な社会参加が可能になる。積極的か否かにかかわらず。

最近起きたさまざまな出来事を前にして、私たちは、近年スイスや欧州、世界に危機をもたらした原因は何なのかを考えざるを得なくなった。スイスに関して考えるなら、スイスの民主主義を今後どう発展させ政治参加の機会をどこまで広げれば、民主主義的構造の中で国やチームとして一体となり、危機を克服したり、あわよくば防いだりできるのか。

ここで議論すべき選択肢として登場するのが、排除から分離と統合(インテグレーション)と進む中で「目的地」とされる包摂(インクルージョン)だ。今日、政治や社会の中で目にする機会が増えている言葉であり、誰もが制約無しに参加し関与できる社会のあり方を指し、社会規範や、その人が社会の価値ある一員なのか、そうなろうと努力しているのかは無関係とされる。

世界中で民主主義が危機に瀕している。15年ほど前から、各地で権威主義・独裁主義が顔をのぞかせる。

スイスは安定のとりでだ。政府はほぼ全政党が同等の発言権を持ち、議会に解散総選挙はない。一方で有権者はイニシアチブ(国民発議)やレファレンダム(国民表決)を通じ、他のどの国よりも頻繁にさまざまな案件を自らの手で決められる。

しかしスイスの民主主義の歴史は、誰が発言を許されて、誰が許されないかを物語る。1848年に連邦国家が設立されたとき、国民の23%しか選挙権を持たず、人口の半分に選挙権がなかった時代はスイスの民主主義の歴史上で最も長い。女性が参政権を獲得してからまだ50年しか経っていない。しかし現在もなお、スイスに暮らす多くの人が、自分の意見を表明できない立場にある。

誰が発言権を持ち、誰が持たないかは、政治的に議論が分かれている。スイス国民の大多数は、定住外国人などへの参政権付与をずっと拒否してきた。国民党(SVP/UDC)青年部の政治家で弁護士のデミ・ハブリュッツェル氏が意見書の中で書いているように、「参政権は包摂のためのツールではない」と考えられているためだ。

民主主義国家は、誰がどの程度発言することを許されるのかというデリケートな問題にくりかえし直面する。自由民主主義が世界的な揺るぎなき規範でなくなった今は、民主主義国家は自らの期待に応えなければならない。

swissinfo.chが政治的包摂をテーマにした連載「インクルージョン」に取り組むのにはこうした背景がある。スイスで誰がどれだけ発言権を持つのか、といった観点から、専門家に話を聞き、スイスにおけるマイノリティや部外者のために活動している人々や運動を紹介する。

ちなみに、在外スイス人も長い間排除されていた。投票権が与えられたのは1992年からだ。

成功の鍵としての直接民主制

社会倫理的には、確かにロマンチックな響きがある。しかし、当然落とし穴はある。

先に述べたような危機的状況を受け、活動家たちはより強固な民主主義や政治プロセスへの全員参加の機会拡大を求め始めた。より強固な民主主義?スイスのそれよりも?本気で?

安定した民主主義や政治プロセスにとって住民の直接参加はもちろん重要で、それはスイスの状況が世界の他の国々と比べてパラダイスと言える理由の1つでもある。

多くのことは民主主義の柱があればこそだ。一方で、世界の多くの国がどんな状態にあるかを私たちは知っており、ここで説明する必要もない。

要するにスイスは成功のモデルケースであって、それを保証するのが直接民主制なのだ。市民の誰もが自分たちの将来につながる短・中・長期の政治的(ひいては経済的)意思決定に参加できるのは、そのおかげだ。

投票や選挙におけるフェアな敗北や多数決を受け入れることも、その一部だ。そのためにどん底を味わうこともある。そんな時はスポーツの皮肉な「教訓」を頭に浮かべるのだ。勝敗は付きものだ…と。

典型的な移民社会

ところが左派・緑の党周辺は、スイスに在住する外国人を(ほぼ)ハードルなしにスイスの政治プロセスに組み入れよ、という主張を盛んに繰り返す。しかも、帰化する前に行え、と。それが統合を進め、インクルージョンの成功をもたらすのだと。つまり、文化・国籍にかかわらず、全面的に社会に参加・関与させることが原則だ。

スイスは典型的な移民社会のため、それに応じたダイナミックな人口の増減がある。人口の流出、特に流入は、この国の日常だ。

帰化のチャンスの活用を!

その結果、我が国では住民の4分の1が、政治決定プロセスに参加できない。この状態を左派政党はこんな過激な言葉で表現する。この人たちはスイス社会から疎外されているのだ、と。

したがって「外国人選挙権は必要か」を問うことは当然許される。血統主義の原則は時代遅れなのか?生まれた国の市民権を付与する出生地主義の方が、時代の精神により合致しているのか?

しかし筆者の考えでは、ここで問われるべきは、外国人が現状、政治プロセスから排除されているかどうかではない。実際、彼らは排除されている。当然ながら。

それよりも問うべきは、既に我が国の法律で与えられているスイス国籍取得のチャンスを、なぜ各人が一定期間待った上で活用しようとしないのかという点だ。当人が本当に望んでいるのならば!用意された選択肢の条件も、ほとんどは合理的なものだ。全てではない。それは同意する。修正できる部分はあるだろう。

民主主義には多くの要素があるが、中でも自己決定の権利や、地域や国作りに参加するチャンスは、誰もが平等に与えられている。

統合にふさわしい報酬

出生地主義も外国人参政権も、それ自体が統合を成功させるわけではない。統合とは、何よりもまず当人の意志の問題であり、与えられた「土俵」の上で可能な限り自分のリソースを使うべきものだ。

だからこそ参政権は統合のための道具であってはならない。むしろ、その人が歩んだ統合への道のりの終点を飾るにふさわしい目標であるべきだ。一方、スイスで生まれ育ったからといって、必ずしも統合がうまくいくとは限らない。

出生地主義の場合、自動的に国籍を取得する。例えば米国は、移民促進のために出生地主義を採用した。しかし、よりによってスイスが同じことをする必要があるだろうか?世界中からの移住希望者に事欠かない我が国が?

移民・帰化政策はスイスの真の(主観やイデオロギーに染まったものではなく!)利益を念頭に、合理的に舵を取るもので、血統主義から出生地主義に鞍替えした場合、その目的に逆行することになる。

勝ち目のない外国人参政権イニシアチブ

左派・緑の党陣営は、自治体や州レベルだけでなく連邦レベルでも、性懲りもなく外国人参政権を住民投票に持ち込み続けている。有権者にはそっぽを向かれ、大差での敗北を繰り返しているにもかかわらず。

一体どんな動機が隠されているのだろう。

先に説明した通り、出生地主義でスイスが得る利益は、客観的に見れば皆無だ。

あからさまな言い方をすれば、なぜ仕事より報酬が先なのか?なぜ統合の前に参政権なのか?

参政権付与を先走っても、スイスとその住民のためになるようなインクルージョンの保証とならないのは明らかだ。

独語からの翻訳・フュレマン直美

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