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アジョワ版わらしべ長者

沖縄県立芸術大学の仲本賢教授(左)と3年生高野大さん。帰国前日、時間ができたので一緒にサン・トゥルザンヌ(St-Ursanne)を散策した swissinfo.ch

ジュラと沖縄に芸術家レベルでの熱い交流があることは今年1月10日掲載のブログ「写真が作る友情の架け橋」で述べた。ジュラ州ボンフォル(Bonfol)村出身、沖縄在住の写真家・映画監督ダニエル・ロペス(Daniel López)を通し、各分野で活躍している沖縄人芸術家達に出会えたお蔭で、私はスイスにいながら沖縄を近く感じることができるようになった。なかでも、沖縄芸術大学美術工芸学部教授の仲本賢(まさる)先生は一番のジュラ・リピーターである。

 仲本先生の「人看板計画」については上記ブログでお話したが、もう一度かいつまんで述べる。まず、1人もしくは複数の人間の全身を、できれば職業や得意分野が分かる格好で撮影する。そしてその写真をスクリーン上に等身大で投影し、木の板で型取りして白く塗る。こうしてできた「人看板」をその地方のどこかに展示するのだが、沖縄では収穫が終わった花畑一面に200体「植えた」そうだ。

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 仲本先生の作品コンセプトは「パブリックアート」、つまり参加型アートである。作品展示をきっかけに人々を呼び込むことでその地域を活気付け、同時に地元の人々にもそのプロジェクトに参加することで自分達の地域の良さ・楽しみ方を再発見して欲しいと願っている。

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 前年度来訪時の約束通り、仲本先生はこの秋、「人看板計画スイス編」準備のため、ジュラに戻ってきた。今回はご自分の生徒、同大学美術工芸学部デザイン専攻3年生の高野大(たかの・だい)さんを伴っていた。私はお2人のガイド兼通訳として、1週間弱ご一緒し、ジュラでもとりわけ仲本先生が愛着を持っているアジョワ(Ajoie、ポラントリュイを行政中心地とする地方)の市町村をまわった。

 この滞在中の目標撮影人数は100人。まずは私の友人知人を中心にお願いしてみたが、ほとんどの人達は、人看板計画や撮影方法について説明すると喜んで協力してくれた。その上、周囲にいる自分の知り合いにまで声をかけ、闖入者である私達の手助けをしてくれた。数日間にわたったこれらの経験を通して思い浮かんだ言葉は「わらしべ長者」。ご存知の通り、このおとぎ話は、1人の貧しい男が藁を持って旅に出て、出会った人達と物々交換をしているうちに大金持ちになる(大きな屋敷を手に入れる)というところで幕を閉じる。富をもたらしたかどうかは別として、私達の旅の経過をほんの一部だけ話してみたい。

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 前出のダニエルの出身村ボンフォルにはフェリシタス・ホルツガング(Felicitas Holzgang)さんという名の陶芸家が住んでいる。彼女は中央スイス・シュヴィーツ州出身で、ベルンの芸術学校を終えた後、ジュラの陶芸家に師事した。現在では唯一のボンフォル伝統陶芸継承者として村内にアトリエを構え、村の陶芸博物館の館長も務めている。以前、私は取材でお邪魔したことがあり、大変お世話になった。仲本先生もスイスに来る度に彼女のアトリエを訪れ、親交を深めている。今回、彼女が私達一行を温かく迎え、撮影に協力してくれたことは言うまでもない。少しでも多くの個性的な被写体を探していると話すと、同じ村に住む、ある画家のところに行くとよいと勧めてくれた。その時、本人がふらりと現れたことで全員が驚いた。画家の名前はルカス・デュブリン(Lukas Düblin)さん。スイス・ドイツ語圏出身同士ということでフェリシタスさんとは長年の良き友である。彼女の説明に、ルカスさんもまた撮影参加を快く引き受けてくれた。

 ルカスさんの愛車に乗って彼のアトリエに向かおうとした時だ。フェリシタスさんが偶然通りかかった男性に親しげに話しかけ、私達を傍に呼んでくれた。新ローマ法王と同姓同名ということで、ジュラの地方新聞に写真入り記事まで掲載されたフランソワ・パップさんであった。(新法王フランチェスコはフランス語でPape Françoisと書く)フェリシタスさんの紹介のお蔭で、私達は先に、パップさんの家にお邪魔して撮影することになった。

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 機械整備士であったパップさんは退職後、広い敷地を持つ農家で悠々自適の生活を送っている。家で蒸留酒やジュースを作っており、年代物の製造機を見せてくれた。また、どこまであるのだろうと思うような広大な庭では羊や鶏、コンクールで賞を取ったという自慢のウサギなどの動物達を飼っていた。何本もあるリンゴの木には実がたわわに成っており、ビニールハウス内ではトマトやキュウリなど、数種類の野菜を作っている。どれも、手入れうんぬんよりも自然の恵みをふんだんに享受し、自由奔放、豪快に茂らせているという印象だった。アジョワはフランス国境に近いせいか、ジュラ人の中でもとりわけ気質がオープンでラテン的だと言われている。絵に描いたような陽気なアジョワ人パップさんの歓待は、この行程の先行きの良さを予感させた。

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 その後訪れたルカスさんのアトリエは、パップさんの家から100メートルほど先にあった。ジュラの農村では珍しく、コンクリート打ちっぱなしの壁で平屋根、いかにも芸術家の邸宅という感じである。彼は今年80歳を迎え、画家人生の集大成とも言える「80歳のルカス・デュブリン」を発表、その記念パーティを行うための準備中だった。巨大なアトリエの壁という壁には隙間のないほど作品が飾られ、生涯を通しての創作意欲の豊かさが窺えた。ステンドグラス職人でもあるルカスさん独特の絵画手法の一つに、幾何学模様での景色や生物の描写がある。幾何学というと何となく堅苦しい感じだが、淡い色彩のせいか、見るものの想像力を楽しく搔き立ててくれる。サービス精神旺盛なルカスさんは、「いかにも画家らしい」格好にこだわり、ベレー帽やダブダブの白衣をわざわざ身に着け、古びたパレットと絵筆を持って撮影に応じてくれた。

 ボンフォル村には地方名物の鯉のフライが食べられるレストランがある。仲本先生はアジョワを訪れる度にこのレストランでの食事を楽しみにしているが、この日はあいにく閉店日。そこで前出のフェリシタスさんの助言で、同じく鯉のフライが名物であるコルノル(Cornol)村のレストランに行くことになった。中でも、昔ながらの調理法でとりわけ美味しいと評判のレストラン「Lion d’or」(リオン・ドール=黄金のライオン)で食事。その後、シェフのイヴ・ロンデ(Yves Rondez)さんは、お昼時で忙しい中、撮影に応じて下さった。

 撮影後はロンデさんの口利きで、同じ村に住む木靴職人、アンドレ・ゲニャ(André Gaignat)さんの工房にお邪魔することができた。彼はスイスでたった1人になってしまった現役の木靴製造者で、スイスフランス語圏の国営テレビにも出演したことがある。一見、気難しそうに見えるアンドレさんだが、私達の目的を知ると、花壇に使う巨大木靴を引っ張り出してきてセットし、工具を持って自らポーズを決めてくれた。左リンクのテレビ番組内でも紹介されているが、現在、娘さんが継承者として修業中である。

 アジョワを巡りながら様々な職業の人達の写真を撮り続けること6日間。仕事や活動に誇りを持つ老若男女、そして伝統職を絶やすまいと互いに支え合いながら努力し続ける人々の厚意にも大いに助けられた。撮影は順調に進み、仲本先生の帰国前々日に目標の100人を軽く突破してしまった。人と人の距離が近く、繋がりが密接で複雑に絡み合い、尚且つ芸術や伝統工芸を大切にする土壌だからこそ成し遂げられたと言えよう。損得抜きの「わらしべ長者的」撮影小旅行、リレー方式で人々との出会いと交流を存分に楽しむことができ、驚きと発見に満たされた日々であった。

マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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