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2016年3月8日、ジュネーブの国際赤十字・赤新月博物館にて(Mark Henley)
Mark Henley
2015年6月11日、「ジュネーブとスイスの交流」イベントでスピーチをするためにティチーノ州ルガーノを訪れたアナン氏(Keystone/Ti-Press/Carlo Reguzzi)
Keystone/Ti-Press/Carlo Reguzzi
6月11日、ルガーノでスピーチをするコフィ・アナン元国連事務総長の手(Keystone/Ti-Press/Carlo Reguzzi)
Keystone/Ti-Press/Carlo Reguzzi
スイスのルース・ドレフュス元連邦大統領と。2009年5月28日、「ジュネーブ栄誉賞」のメダル授与式にて(Keystone/Martial Trezzini)
Keystone/Martial Trezzini
グローバル人道フォーラムを設立したアナン氏と、スイスのミシュラン・カルミー・レイ連邦大統領(当時)。2007年9月17日、ジュネーブにて(Keystone/Dominic Favre)
Keystone/Dominic Favre
ダボス会議の「スポーツが世界に与える影響」をテーマにしたセッションで小さなサッカーボールを投げるアナン氏。国際サッカー連盟(FIFA)会長(当時)のゼップ・ブラッター氏(左)、世界経済フォーラムの創設者クラウス・シュワブ氏と。2006年1月25日(Keystone/AP/Michel Euler)
Keystone/AP/Michel Euler
2006年6月22日、ジュネーブ国連欧州本部で人権に関する記者会見に臨むアナン国連事務総長(Keystone/Martial Trezzini)
Keystone/Martial Trezzini
2006年9月3日、イランのテヘランで記者会見に臨むアナン国連事務総長(Keystone/Vahid Salemi)
Keystone/Vahid Salemi
国連難民高等弁務官(UNHCR)の職員に会うためにジュネーブのパレ・ウィルソンに到着したアナン氏。国連安全保障理事会の常任理事国を招いていた。2003年9月13日(Keystone/Martial Trezzini)
Keystone/Martial Trezzini
2002年9月10日、ニューヨークの国連本部でスイスのカスパー・フィリガー連邦大統領(当時、左)、ジョセフ・ダイス外相(同)に挨拶するアナン氏。この日、スイスは国連の第190番目の加盟国になった(Keystone/Alessandro della Valle)
Keystone/Alessandro della Valle
アナン氏にスイスの絶景を見せようとカンデルシュテークを案内するスイスのアドルフ・オギ大統領(当時)。2000年8月13日(Keystone/Arthur Sieber)
Keystone/Arthur Sieber
18日にスイス・ベルンの病院で死去したコフィ・アナン元国連事務総長は、スイスと強いつながりを持っていた。
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2018/08/22 06:30
ガーナ出身のアナン氏はジュネーブを「第二の故郷」と呼んでいた。1961~62年にジュネーブ国際開発高等研究所で学び、世界保健機関(WHO)で国連キャリアを歩み始めた。弁護士でスウェーデン出身の妻・ナーネさんと知り合ったのもジュネーブだ。
事務総長を2期務めた後の2006年からジュネーブで暮らした。その1年後、ジュネーブにコフィ・アナン財団を立ち上げた。
短い闘病生活の後、スイスの首都ベルンの病院で妻や子供たちに付き添われ息を引き取った。80歳だった。
スイスのアラン・ベルセ連邦大統領は自身のツイッターでアナン氏の家族にお悔やみを述べた。アナン氏は先見の明があるスイスの偉大なる友人と称え、「今日、国際都市ジュネーブはその最も熱烈な促進者を失った」と追悼した。
ジュネーブ州のピエール・モデ州知事はアナン氏を「スイスそしてジュネーブの偉大なる友人」と呼んだ。
ジュネーブにある国連欧州本部のマイケル・モラー事務局長は、アナン氏の容態が急に悪化したことに驚きを隠さなかった。アナン氏の死は「世界にとって極めて大きな損失だ」と述べた。
(英語からの翻訳・ムートゥ朋子)
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