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スイス社会から孤立する旧ユーゴ出身の移民

チューリヒの授業風景。移民の子供たちが地域に溶け込めるようなプログラムを組んでいる

(Keystone)

旧ユーゴからの難民・移民は、スイスが国籍を与えた外国人の中で最も多いグループだ。しかし、彼らがスイスの社会に溶け込むのは簡単なことではないようだ。

犯罪や暴力で問題を起こす者はごく一部にもかかわらず、全ての旧ユーゴ人に対して悪いイメージができてしまっている。

 2003年の公式統計によると、これまでスイス人になった外国人で最も多いのはイタリア出身者で31万2000人。この次に来るのがセルビア・モンテネグロ出身者で21万3900人だ。しかし、これにセルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、スロベニア、コソボなど旧ユーゴスラビア諸国全体の出身者を合計すると、この数は37万人にのぼり、最大のグループとなる。

変わる移民のイメージ

 過去3年を振り返っても、旧ユーゴからの移民は外国人全体の3分の1を占める。このうち大多数はすでにスイスでの生活が長い人たちだ。彼らは新しく独立した自分の国の名前ではなく、いっしょくたに「ユーゴ人」と呼ばれる。現在はあまり良いイメージではないこの名称も、20年前まではそんなに悪くなかった。

 セルビア出身のチューリヒ市民、デジャン・ミキッチ氏は、1967年にスイスに移住した。1980年代、ユーゴから人々が大挙してスイスにやって来た当時のことを良く覚えている。新聞を飾る「ユーゴ人がやって来る」という見出しには、多少の警戒がこもっていたものの、そんなにひどい悪意は感じられなかった。

家族も一緒に

 冷戦下の1965年、スイスと当時のユーゴスラビアの間で市民の自由な移動に関する相互条約が締結されて、最初の波がやってきた。彼らの多くは、エンジニアや医師、歯医者など、高い経済的地位にいた人々だった。次にやってきたのは季節労働者だ。

 1980年にユーゴスラビアの伝説的指導者、チトーが亡くなると状況ががらりと変化した。社会福祉や経済状況が悪化し、スイスに職を求める貧しい労働者が押しかけた。そして1991年にユーゴの内戦が勃発すると、それこそありとあらゆる種類の人々が戦火を逃れて一挙にスイスになだれ込んできたのだ。

 年代ごとに変化したのは移住者の職業だけではない。移住と人口調査のスイスフォーラム(SFM)のフィリップ・ワンナー氏は語る。「最初の波では労働者が個人でスイスに移住する例がほとんどでしたが、旧ユーゴの内戦からは家族全部、手に職を持たない者まで難民としてやってきました」

腐ったりんごは一部なのに

 現在、スイス政府は旧ユーゴからの移民受け入れを制限し始めているが、すでにスイスに住んでいる移住者が祖国から呼び寄せる家族は増え続けている。スイス国内でも、彼らに対する目が冷たくなってきた。

 「麻薬密売人やマフィアの一員が紛れ込んでいるのです」とワンナー氏は説明する。そのような犯罪者は一部であるにもかかわらず、彼らの存在は旧ユーゴ出身者全てのイメージを著しく傷つけている。祖国では善良な市民だった人も数多いのに、そのイメージのおかげで苦労しているようだ。

 しかも統計もこのイメージ悪化に一役買っている。1991年には犯罪者総数における旧ユーゴ出身者の割合は20%だったが、1998年には28%に増加した。

 しかしSFMのジャニネ・ダビンデン氏は彼らの状況に同情する。「祖国で私たちが想像もつかないような悲惨な経験をした人たちに対して、私たちはもう少し温かく見守ってあげる必要があります。彼らに対して、受け入れ国は理想的な態度を見せてあげたいものです」

 ダビンデン氏はスイス社会の彼らに対する冷たい目も、彼らが孤立する要因になっているという。旧ユーゴ出身者の子供たちの5人に1人はスイスで生まれているが、スイス国籍を取るのは並大抵のことではない。また、ダビンデン氏によると、仕事場での偏見に満ちた対応や人種差別も珍しいことではない。

 もちろん楽観的に見る人々もいる。最近スイスへの難民・移民に関する著作を書いた大学教授、ルートヴィヒ・ハスラー氏は多様性が出てくるのは良いことだと語る。「30年もすれば、灰色のスイスの音楽に新しい風を吹き込んだ、と喜ぶ日がやってきますよ」

swissinfo、ルイジ・ジョリオ 遊佐弘美(ゆさひろみ)意訳

キーワード

2003年の公式統計によると、旧ユーゴからからの帰化は37万人。
旧ユーゴ出身者よりもっと苦労しているのはアルバニアからの移民だという。

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