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スイス製暗号機を巡る冷戦スパイスリラー

クリプト社がスイスで最初に製造した暗号機。1952年発売。あまりにも高性能だったったため、米国の諜報機関は特定の顧客に解読が容易な暗号を使わせる目的で、同社に特別な取扱説明書を作成させた Dominik Landwehr

スイスの暗号機製造会社クリプトは、脆弱性のある暗号機を数十年にわたり製造していた。米中央情報局(CIA)や独連邦情報局(BND)は同社を秘密裏に所有し、世界の半数の国の秘密情報を得ていたとされる。事件は今年2月に発覚。スイス連邦議会の調査団は最近、事件に関する報告書を発表した。

このコンテンツは 2020/12/29 08:30
Dominik Landwehr

スウェーデン人のボリス・ハーゲリンは1952年5月13日に株式会社クリプトを設立した。最初の本社はツーク州にある自宅のシャレー(スイス風の木造建築物)に置かれた。居間では秘書が仕事し、ガレージでは技師が機械を組み立てた。新企業のクリプトは今で言うスタートアップ起業とは違った。ハーゲリンにはノウハウも人脈もあったうえ、スウェーデンに「A.B.クリプトテクニク」という成功企業を所有していた。こうしたバックグラウンドを携え、ハーゲリンは会社設立の4年前にスイスへとやってきたのだった。

ハーゲリンマシンと米国

ハーゲリンは第2次世界大戦前、戦地での使用に長けた弁当箱サイズの暗号機M-209、別名ハーゲリンマシンを開発した。米国はこれを購入し、ライセンスの下で14万台を生産委託した。米国はこの開発者から密に助言を得られることになっていた。ノルウェーとデンマークがナチスに占領されたことを受け、スウェーデン人のハーゲリンが40年に渡米を決めたからだ。

米国でハーゲリンは、米国家安全保障局(NSA)の前身である信号情報部(SIS)を共同設立した暗号学者ウィリアム・フレデリック・フリードマンと共に仕事をした。2人は親しい仲となり、フリードマンは戦後も、スイスにいるハーゲリンのもとを訪れた。ハーゲリンは44年にスウェーデンに戻り、48年にスイスに移住した。

移住の理由には冷戦時におけるスイスの姿勢がある。スイス同様に中立国だったスウェーデンは中立をより厳格に解釈し、戦後は暗号機を軍需品とみなし、輸出を制限した。スイスは中立の概念をあいまいなままにすることで、政治体制を巡って争う大国から出来るだけ批判されないようにした。また中立政策や、中立政策から生じる義務の定義も同様の理由から出来るだけあいまいにした。そのためハーゲリンは、スイスは北大西洋条約機構(NATO)から輸出制限を受けてはいるものの、自分の計画を実現するにはスイスが適していると考えた。

暗号学とは

暗号学は暗号化に関する学問。すでに古代ローマで利用され、近世にも暗号化の手法が存在したことが分かっている。20世紀には機械を使った暗号化が行われるようになった。1970年代以降は機械が電子化され、全く新しい暗号方式が開発された。現在の暗号化方法は今では安全なデータ通信の基礎であり、すべての携帯電話およびコンピュータに搭載されている。

暗号学は冷戦時代には隠された科学と称された。だが暗号学は実際は応用数学にすぎず、正確に記述することが可能だ。暗号学の数学的基礎の公開に努めた最初の人物は、ドイツ人数学者フリードリヒ・L・バウアー(1924~2015)。主要著書「Entzifferte Geheimnisse: Methoden und Maximen der Kryptografie(仮訳・解読された秘密 暗号学の手法と原則)」は、幾度も再版され、多数の言語に翻訳された。

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スイスで新しいスタートを切るにあたり、ハーゲリンには資金が必要だった。フリードマンは資金協力者を探す手伝いをしたが、友を助けたい一心だったわけではなかった。フリードマンはハーゲリンに対し、暗号機に関して今後は米国の利益を考慮するよう言いつけた。その代わりにハーゲリンは米国から追加の輸出制限は受けないことが保証された。

ハーゲリンがスイスで製造した最初の暗号機は米国人に衝撃を与えた。あまりにも高性能だったからだ。そこで米国はこの機械で暗号化されたメッセージを解読できるよう、クリプト社に特別な説明書を作成させ、あえて解読しやすい設定を推奨させた。ビジネスパートナーの米国は真剣だった。たとえ外国が機密情報を暗号化したとしても、その内容を把握しておきたかったのだ。こうしたことを受け、ハーゲリンはその後スイス、スウェーデン、NATO加盟国向けには優れた暗号アルゴリズムを持つ暗号機を製造。そしてその他すべての国、とりわけアラブ諸国向けには簡単に解読できる暗号機を製造した。これにより米国の諜報機関は暗号化された無線通信を容易に解読できることとなった。

クリプト社創業者のハーゲリンが70年に引退すると、CIAはドイツのBNDと共同で同社を買収した。買収は中間業者を介して行われ、購入額はたった850万ドル(現在の為替レートで約40億円)だった。こうしてCIAは開発者側に直接指示が出せるようになった。ハーゲリンマシンを利用した諜報活動「ミネルバ作戦(ドイツはルビコン作戦と命名)」は、第2次世界大戦以降で最大規模の諜報活動の一つだった。

CD-52は現在、スイス国立博物館の倉庫に保管されている Dominik Landwehr

ドイツと米国の諜報員はこの作戦の下、100カ国以上の機密情報を盗聴し、アルゼンチンのテロ政権の陰謀やイラン、リビア、パナマの策略について情報を得た。さらに82年のフォークランド戦争、西ベルリンのディスコ「ラ・ベル」での爆破事件を契機とした86年のリビア爆撃、79年のイラン人質事件についても情報を把握した。こうしたことを可能にしたのは、スイスのツーク州にある小さな企業だった。

暗号事件で中立国スイスの名声に傷か

クリプト社を巡る事件は主に米国とドイツのメディアで報道他のサイトへされたが、世界的な批判は今のところ起きていない。政府機関からの公式な反応もほとんどない。米国は諜報活動については一切言及しないとしている。この件を完全に認めたのはドイツの元連邦首相府長官ベルント・シュミットバウアー氏ただ一人だった。特に盗聴されていた側の国は沈黙を保ったままだ。政府がこの件に手を出せば自らの失敗を認めることになるからだ。

スイス連邦議会の事業監査代表団は11月初旬に報告書を発表他のサイトへ。報告書の一部は公開されている。それによると、そのような活動は当時および現在の法的基盤の下では合法であり、他の諜報機関と協力することも合法とされる。一方、報告書は「スイス連邦情報機関はこの慎重を要する活動に関して連邦政府への報告を怠った」と批判した。連邦政府は来年の夏までにこの報告書に対する見解を出すことになっている。

1957年に発売された携帯型暗号機CD 57。解読が難解なバージョンと、容易なバージョンの2つが製造された。高い人気を博し、ドイツ連邦共和国でも使用された。金メッキを施したバージョンも製造された Dominik Landwehr

スイス連邦政府は何を把握していたか?

クリプト社の事業活動はスイスの中立に反しなかったのだろうか?チューリヒ大学のオリヴァー・ディッゲルマン教授(国際法)は、この事件は(ハーグ条約で定められた)中立法に抵触していたと考える。「永世中立国は、2カ国間で紛争が起きた場合、どちらかの国の同盟国であると決めつけられるような態度を取ってはならない。この件ではスイスは米国の手先となり、米国の潜在的な敵対国が握る機密情報を探り出す助けをした」。一方、バーゼル大学のローラン・ゲチェル教授(政治学)は違う見解だ。「中立違反となるのは、当局がこの事件を把握していた場合のみだ」

先述の報告書に記載されていたように、スイスは1993年の秋以降、クリプト社を巡る事件を正式に把握していた。そして2002年以降、脆弱性のある暗号機で暗号化された情報に関しては、解読できる状況にあった。しかしクリプト社が他の諜報機関と協力していたとの指摘はずっと以前からあった。

すでに1970年代半ばには解読が容易な暗号機をクリプト社が製造していたとの情報がスイス軍幹部数人と一人の元連邦検察官の耳に入っていた。情報を提供したのは77年にクリプト社を退職した開発エンジニアだった。連邦検察庁はコードネーム「コード」の下に捜査を行ったが、失敗に終わった。今年初めには事件の資料が紛失したとされたが、皮肉にも今年の夏に秘密司令部施設で見つかった(今年の調査報告書は特に資料の取り扱いを批判している)。

クリプト社は92年、スイス人のセールスエンジニア、ハンス・ビューラーがスパイ容疑でテヘランで逮捕されたことを受け、再び注目を集めた。ビューラーの勾留期間は9カ月に及んだ。帰国後にクリプト社から解雇されたビューラーは、本当の勾留理由をメディアに発表した。それは、クリプト社の暗号機が米国の諜報機関と裏でつながっているのではないかとイラン側から疑いをかけられたことだった。チューリヒ在住のジャーナリスト、レス・シュトレーレ氏はビューラーの件について長年リサーチを行い、94年に著書を初出版した。今年の夏にはこの件に関して2冊目となる著書を発表し、動かぬ証拠を突き付けた。「クリプト社が諜報機関に協力していることは25年以上前から分かっていたが、今まで一度も証明できなかった」とシュトレーレ氏は語る。

連邦警察庁は94年の「ビューラー事件」後も捜査を行い、20人以上を尋問したが、70年代同様に成果はなかった。しかし当局は、クリプト社が米国の諜報機関の手中にあることを遅くともこの時点で把握していた。諜報機関に詳しい専門家らは、連邦情報機関はかなり以前から米独の諜報活動を把握し、クリプト社を保護していたのではないかと考える。また冷戦期における連邦政府のモットーは「聞くな、言うな」「知らないことには関心を向けない」だったと推測する。

(独語からの翻訳・鹿島田芙美)

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