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VIII 秩父宮殿下の思い出 -5-

マッターホルン

 二十九日一行はグリンデルヴァルトを後にしてツェルマットに向った。ツェルマットには松方、松本、藤木の諸君が先着していた。ホテルはモンセルヴァンを選び、この地方の登山に取り掛る予定であるが、ブラヴァンドは軍隊勤務演習のため参加できず、代って、クヌーベルとグリンデルヴァルトから助手としてルビーが加わった。
 三十日午後三時、ホテルを発ちマッターホルンに向う。この日はベルベデールヒュッテ(三三〇〇メートル)まで登って泊る。
 三十一日午前三時小屋を出で組を分け、直ちにマッターホルンの岩場を登り出す。残月の光を頼りに早朝の登攀は快調であって六時四十分ソルベーヒュッテに着く。この小屋は僅かな岩の棚に建つ避難用のものでベルギー人、ソルベー氏の好意によるものと聞く。この辺で夜はすっかり明け、急峻な痩尾根も、太い縄が固定してあって登攀を助ける。八時十五分スイス側頂上に立ち雪稜を伝って最高点(四五〇五メートル)のイタリア側の頂上に立った。この目は恰も天長節に当り、互いに握手して祝い合った。風もなく静かな日和であった。頂上での喜びは羊羹であった。太い重いこの羊羹は有吉公使の献じたものであったが、準備のとき松方君は携帯品からわざと取り除かんとした。お人柄の好い殿下はまんまと松方君の計略にお掛りになって、私が持とうといって、頂上まで背負われたものであった。頂上で食べながら松方君の告白に殿下は初めて計られたことを知られ大笑いであった。この日頂上に立った私たちの隊は、殿下の組、松方、松本の組、渡辺の組、藤木の組と四組で賑やかな一行であった。
 下りはイタリアの稜線をとって、コル・ド・リオンより氷河に出た。氷河上を数時問登ってブロイルヨッホ(三三五七メートル)を越えて再びスイスに入り、午後八時シュワルツゼーホテルに到着。ゆっくり夕食をとって後、夜道をツェルマットに下った。宿のホテルに着いたのは十一時であったが、この日は相当の強行であった。
 九月一日、細川氏一行を迎えて休養をとった。
 二日、チナルロートホルン(四二二三メートル)に登るべく午後ツェルマツトを発ち山麓のトリフトホテルに泊る。
 三日、午前三時ホテルを発って七時四十分チナルロートホルンの西南稜に取り付いた。この山稜は岩登りに快適な場所で、岩は堅く安全で愉快である。午前十一時四十分頂上に立ち、この日も穏やかな日和に小一時問も頂上で休んで楽しんだ。帰路は東側の尾根をとって再びトリフトホテルに帰着、出迎えの細川、前田、中村諸氏と共にツェルマットに帰った。
 四日は休養とした。
 六日、モンテローザからリスカムヘの登山予定であったが、降雨のため延期した。
 六日、快晴、ゴルナーグラート行の登山電車に乗って途中のリッフェルアルプで下車。広いゴルナー氷河を遡ってベタンヒュッテ(二八〇二メートル)に入る。この小屋からの眺望はアレッチ氷河のコンコルディアよりも更に雄大である。前の氷河を越えてオーバーガーベルホルン、ダンブランシュ、マッターホルン、ブライトホルン、リスカム、モンテローザ等の峰々が岩と雪に輝いてそそり立っているのである。

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