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輸出されていたスイスのスカーフ

グラールス州経済文書管理局のアーカイブが選んだバラの模様のスカーフ。さまざまなデザインで輸出されていた

イスラム教徒の女性がかぶるスカーフが、女性蔑視であるという観点から西ヨーロッパで問題になっている。しかし19世紀には、そのようなタブーはなかったらしい。スイス、グラールス州からバラの模様のスカーフがヒット商品として輸出されていたという。

グラールス州経済文書管理局が州の産業史を調べ上げ、スカーフにまつわる史実を掘り起こし、啓発的な展示会としてまとめた。

年齢や地位によって違う

 「メインのモチーフはバラでした」
グラールス、シュヴァンデン ( Schwanden ) 市の経済文書管理局 ( GWA ) の局長で歴史家のシビル・キンドリマン氏は語る。「グラールスの東南欧向けスカーフ展」で展示されているスカーフは、赤いバラと濃いグリ-ンの葉が帯となっての縁を飾っているが、その並び方はさまざま。デザインの見本カタログには、アラビア文字で何やら記入されている。

 スカーフは、その色と質やスカーフの結び方でこれをかぶる女性の年齢や社会的地位や立場が分かるという。例えば、白から黄色の色調は地方では若い女性が、柄のない真っ黒のスカーフは年配の女性がかぶるといった具合に、決まりごとは何段階にも分かれている。

2社の競争

 展覧会では「グラールスの経済発展の奇跡」がスカーフを通して語られているが、1952年にも、グラールス州歴史家協会のヴァルター・ボドマー氏もグラールス州の経済発展を奇跡的なことであったと語っている。
「グラールスの発展はほかの地方では見られないものです。農業では収益はわずかだったことから、ほかの道を探さなければならなかったのです」
 とキンドリマン氏は説明する。

 展覧会では、この地で営業していた二つの企業の関係が語られている。19世紀、小さな谷の村でこの2社は、世界市場で競争し合ったのだった。2社のスカーフが並べて展示されているが、両者の違いはほとんど無い。「2社は赤の鮮やかさを競い合っていました」と言うキンドリマン氏も、グラールスの繊維会社を経営していたブルーマー家の出身だ。「ブルーマー社 ( Blumer ) 」のあった建物で現在、展覧会は催されている。会場にあるプリントした布を乾かす「干し塔」は、その当時の工場の名残だ。

プリント地の需要高まる

 「18世紀のグラールスは、傭兵がもたらす給料が頼りでした。しかし傭兵は廃れていきます。ブルーマー家は1740年から農産物の販売から家内工業の生地販売に乗り換え、イタリアに輸出するようになりました」
 1788年、家族の1人がイタリアのアドリア海にあるアンコーナで会社を始めた。
「需要が増えるにつれ、1828年には『ブルーマー布プリント社』を創立します。このようにしてグラールスの繊維業界の仲間入りを果たしたのです」
 とキンドリマン氏は語る。
 
 スイス歴史辞典 ( Das historische Lexikon der Schweiz ) によると、1740年にはすでに、グラールス州で初めて布のプリント会社「ヨハン・ハインリッヒ・シュトライフ( Johann Heinrich Streiff ) 」が出現した。その後、手ごろな値段のプリント地の需要はますます増えていった。

 プリントは、はじめ木製の、その後は木と金属の型を使って手で染めていた。当初は、房の付いたヤシの葉のスカーフ、アカネ染料やインディゴブルーの布、トルコ帽、トルコ、レバノン、ペルシア、アフガニスタン向けのカシミアの生地などを染めていた。またバルカン諸国向けには、さまざまなバラの模様のスカーフが特別にデザインされた。このバラ模様が今回の展覧会の主役となっている。これらの模様は見本として集められ、何冊もの本として今に残されている。

 19世紀にはグラールスのプリント地産業が最盛期を迎えた。東南ヨーロッパはこの時代、解放戦争、オスマントルコからの離脱、オーストリアー支配からの独立、国家の独立などと激動の時代でもあった。こうした時代にあった地域にグラールスの繊維業界は輸出を続けた。当時グラールスには、23のプリント地会社があり6100人が働いていたという。そのほかに、製糸工場10社、織物工場3社があり100人の従業員を抱えていた。なお当時の人口は、2万2000人だった。

 展覧会には、スカーフやプリントの型のほか、プリントローラー、手で写したモチーフ本、4万通のビジネスレターが展示されている。

エヴェリン・コブラー 、swissinfo.ch
( ドイツ語からの翻訳、佐藤夕美 )

スカーフと教会

「今日、スカーフはイスラム教徒と結び付けて考えられていますが、今から40年前まで、各地で女性はキリスト教会のミサにスカーフをかぶって行きました」
 とシビル・キンドリマン氏は言う。ハンガリーの民俗学者ハイナルカ・フュレプ氏の企画した展覧会では、ハンガリーの地方によって異なるスカーフのルールが紹介され、スカーフの伝統に関する論争の発端となった。

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グラールスの繊維産業

グラールスでは今でも、高級シルクスカーフを作っている会社が1社だけある。スカーフブームは何度か波があったが、ブルーマー社は1980年、その歴史を閉じた。

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