100周年を迎えるスイスの郵便バス
黄色いボディの郵便バス(Postauto)といえばスイス人は、ノスタルジー、開拓精神、わくわくする旅行、荘厳なアルプスといったことを思い起こす。郵便バスは単なる交通手段にとどまらず、スイス人の生活にすっかり溶け込んでいる。
郵便バスが今年で100周年を迎えるにあたり、その歴史を紹介する本も出版された。
郵便バスはスイスの国旗と同じように、スイス人の心に深く結びついている。マルティーニ、ザウラー、ベルナ、FBWなどスイスの自動車産業を代表する会社が郵便バスを製造していたことも、スイス人の誇りとなっている。
信頼度の高いブランドとして
郵便バスの特徴は、村と街や村同士を結ぶ交通手段であることだが、なんといってもスイス人の心を結びつける象徴だということだ。「山道のあそこの急カーブを、郵便バスの運転手はぎりぎりで、しかも手堅くハンドルを切るんだ」といったことが話題になる。
こうした郵便バスにまつわる話は、田舎の生活の急激な都会化やスイス人の生活様式の変化に従って、変動していった。20年前だったら、ティチーノ州を走る郵便バスの運転手は、用心のためスキーもバスに乗せていた。雪崩が起きて道が不通になった時、救助を求めてスキーで谷間の村に戻るためである。今は雪崩の危険があれば、前もって通行禁止になるので、スキーを積む必要はないが、当時は雪崩の危険を冒してでも郵便バスは走行していた。こんなエピソードもスイス人にとっては、勇敢なバスの運転手に対する誇りにつながる。
スイスの1000品の有名ブランドについてのアンケート調査でも、郵便バスは最も信頼のおけるブランドとして認められていることが分かった。スイス人の郵便バスに対する愛着の深さの結果であろう。
その歴史
郵便バスは1906年6月1日、ベルンとデトリンゲンの間に走行していた馬車が3台の乗合自動車に取って代わったことに始まる。ベルンとパピールミューレ間では3年後に一旦、再び馬車が運行するようになったが、これは乗合自動車の燃費が1リットル0.4キロメートルと非常に悪かったことが理由だった。
第一世界大戦後、アルプスの峠が次々と開通し、郵便バスの運行に拍車がかかった。また同じ時期、スイス軍が不要になったトラック100台をスイス郵便に寄贈したことも路線拡大に一役かった。一時期、運転手が観光ガイドも兼任し40馬力の「アルプスポスト(Aplenpost)」の名で山に観光客を運んだこともある。
環境対策の遅れ
山道のカーブを曲がるときに鳴らすクラクションの「テュー・ター・トー、ポストアウトー」と聞こえる独特の音色は、いまでもスイス人に親しまれている。やはり、山の中を走る姿がスイス人の一番好きな郵便バスの姿だ。以前の郵便バスは乗客ばかりではなく、手紙や小包を村に運んだり、絞りたてのミルクやニワトリも運んだりして、村の生活に密着していた。こうしたことが、郵便バスに対するノスタルジーを感じさせる背景となっている。
しかし、町を走る郵便バスの方が本数で見ると多い。郵便バスは、都会で生活する人たちにとって、町から町へ行くための公共交通手段として重要な役割を担っていることがわかる。一方で、郵便バスを運営するポストアウト社の環境対策の遅れも指摘されている。ディーゼルエンジンで走るが、総数2000台のうち、排気ガスをろ過するフィルターが装備されているのは、主にチューリヒとベルンで走行する400台にとどまるという。山中を走る郵便バスは排気ガスを思いっきり、アルプスの山に排出していることになる。「美しいアルプスに走る黄色いバス」の実像は意外なところで、そのイメージを壊している。
swissinfo、アンドレアス・カイザー 佐藤夕美(さとうゆうみ)意訳
郵便バス網 全長1万キロメートル
年間のべ乗客数1億人
年間総走行距離8900万キロメートル。
一日あたり地球を6周することに相当する。
年間売上5億フラン(約454億円)
従業員 2500人
JTI基準に準拠
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