スイス企業が外国で行う活動の責任を問う難しさ
スイス企業が外国で行う活動による人権侵害や環境被害に対する法的責任を企業に問うことができるようにする「責任ある企業イニシアチブ(国民発議)」の賛否が、スイス国民に近く問われる。この記事で取り上げる3つのケースは、現行の制度の下で正義を獲得する困難さを浮き彫りにする。
もし、スイスに本社を置く企業やその子会社が外国で不正を犯せば、被害を受けた人は現地の裁判所に訴える、報道機関に訴える、抗議する、ストライキをするなどの手段を取ることができる。しかし、労働法や環境法の違反を処罰する厳格な現地法が無ければ、地元の裁判所に出来ることは限られている。外国からの投資が遠のくことを何としても避けたい政府は、世論の反対をしばしば刑法で抑えつけようとする。
スイスで正義を求めようとする場合、選択肢は更に限定される。連邦議会で審議中の「責任ある企業イニシアチブ」は、全国レベルの国民投票に掛けられると見込まれる。イニシアチブが可決されれば、この状況を変えることができるかもしれない。このイニシアチブは、スイスに拠点を置く企業に対し、外国で人権や環境基準を尊重するよう適切な注意を払う義務を課し、人権侵害や環境法違反がある場合には法的責任を問うものだ。
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これまで、外国で被害を受けた人がスイスで訴える方法は1つしか無かった。経済協力開発機構(OECD)のスイス連絡窓口(NCP)に申し立てることだ。スイスNCPに処罰する権限は無く、両方の当事者がスイスで談判する手助けをするに過ぎない。それにもかかわらず、被害を受けた地域の多くが、企業の決定権者と会合を持つためにスイスNCPを利用してきた。自国でそのような機会を持つことは不可能に近いからだ。
スイスNCPに持ち込まれたケースの中から、次の3つの事案を取り上げる。
ケース1:スイスのセメント大手ホルシムと住民との土地の権利を巡る事案(インドネシア)
インドネシア中部・東ジャワ州クディリの村リンギンレジョ の住民は、スイカやキャッサバ、トウモロコシを栽培して生計を立てている。しかし、住民にはその土地にいる法的権利が無い。スイスのセメント大手ホルシム(現ラファージュホルシム)は2008年、不透明な方法によりリンギンレジョの土地を買収した。同社は13年、他の森林の使用権を得る代わりに、リンギンレジョの土地をインドネシアの森林省に譲渡した。その結果、800世帯余りが今では森林に分類される土地の不法占拠者になった。
15年、スイスNCPにこの事案が持ち込まれ、NCPはスイスで調停の場を設けた。土地の権利に関する問題を解決し得る選択肢の一覧について、ホルシムと村は最終的に合意することができた。ところが、インドネシアの森林環境省は土地の再分類の要求を無視し、問題の解決を阻んでいる。
「村人は土地を耕しているが、何らの法的権利も持たない。いつ何時、警察に強制退去させられるか分からない。村人に土地の権利を与えるために、住民参加型の社会林業を促進するプログラムを利用したいと考えている」と不服を申し立てたインドネシアの人権団体、政策研究・人権擁護研究所(ELSAM)外部リンクのアンディ・ムッタキエンさんは話す。
ムッタキエンさんによれば、スイスNCPのおかげで、村人はホルシム・インドネシアの決定権者と話し合うことができた。以前では有り得なかったことだ。
「我々の経験から、スイスNCPの制度は問題に対処するための手段として十分だ。しかし、ジャカルタのスイス大使館が、合意内容の実施を監視し、促してくれれば助かる」とムッタキエンさんは希望する。
このケースでは、村人の要求を考慮するようホルシムに働きかける上でスイスNCPが重要な役割を果たした。しかし、インドネシア政府の頑なな態度によって、今も村人は不安定な立場に置かれている。
ケース2:スイスの繊維商社3社を相手取った児童労働を巡る事案(ウズベキスタン)
スイスNCPに持ち込まれたもう1つのケースは、ウズベキスタンから綿花を調達していたスイス拠点の繊維商社3社に関するものだ。国際人権NGOの欧州憲法・人権センター(ECCHR)外部リンクは綿花労働者を代表して、綿花取引業者のルイ・ドレフュス、パウル・ラインハルト及びイーコム・アグロインダストリアルを、綿花の収穫期に児童労働者を使ったウズベキスタンの国営綿花会社から綿花を購入していたとしてスイスNCPに訴えた。
ウズベキスタンにおける児童労働問題に取り組むために一役買うことに繊維商社3社は合意しながらも、同国の綿花輸出業者と全ての取引を中止することは逆効果になるのではないかと憂慮した。そこで3社は、現地に良い影響を与えるための「マル秘措置」をECCHRと共に実施することに合意した。ところが、ECCHRには合意したとおり3社が喜んで協力しているとは感じられず、数カ月後には一緒に活動することを諦めた。ECCHRと他の団体によるキャンペーンは12年以降ある程度の影響を与えることに成功した。
「おそらく国際的な圧力により、ウズベキスタン当局は、これまでの収穫期とは異なり、どの小学校からも綿花の収穫に子供を動員することはなかった」とECCHRのOECDメカニズム分析担当者は話す。
しかし、スイスNCPの取り組み自体は何らの打開策も提示することができなかった。
「NCPの調停には、制裁措置が無く、調停の結果得られた合意に従うよう企業に強制する権力も無い。調停で我々がスイスの繊維商社に要求できることはほとんど無かった。その上、調停が終わると、企業が約束したほんの少しのことを実施させるのに我々は大変苦労した」とECCHRのミリアム・ザーゲマースさんは話す。
ザーゲマースさんによれば、スイスNCPに法的根拠があれば、スイス企業の人権遵守義務を明らかにし、違反に対して制裁を与えることもできただろう。ウズベキスタン政府は綿花の収穫のために毎年 約100万の国民を動員し続けている。年少の子供の参加は要求されなくなったものの、生産ノルマを達成するために、17歳以上の若者は依然として動員されることがあるという。
ケース3:ネスレと工場労働者との間の労働基本権を巡る争議(インドネシア)
08年、インドネシア・スマトラ島南部パンジャンにあるネスカフェ工場の労働者が、賃金交渉のための団結権をネスレが労働者に認めないとして、スイスNCPに申し立てた。ネスレ・インドネシア・パンジャン労働組合(SBNIP)によると、ネスレは賃金の公表を「商売上の秘密」として拒否し、SBNIPを弱体化させるための御用組合を使ったという。
ネスレは、現地法によれば労働者の要求を満たす必要は無いとしたうえで、要求に対応し、スイスNCPの調停を経て交渉の席に着くことに合意した。
ネスレの11年年次報告書外部リンクには、「本件は10年6月に決着し、SBNIPとネスレ・インドネシアは11年、新たに団体交渉を開始するための規則を明確にすることで和解した」とある。
しかし、インドネシアの工場労働者が闘っていた「十分な交渉に基づく賃金表と、改善された賃金上昇率や勤続年数に応じた調整のある賃金体系」を手にするまでには更に2年を要した。
最終的にネスレの譲歩を引き出したのは、スイスNCPの調停ではなく、活発な市民キャンペーンだった。
「NCPが助けにならなかった訳ではないが、我々が成功した理由ではなかった。問題の一端は、NCPには合意を強制する監督権限が全く無いことにある」とUIF外部リンクのロン・オズワルドさんは指摘する。 UIFは国際労働組合連盟の1つで、SBNIPを代表してスイスNCPに訴えた。
法的拘束力を持つ監督制度があれば、当時きっと役に立っただろうとオズワルドさんは話す。厳格な現地労働法が無かったために、ネスレには労働組合に賃金体系を公開する法的義務は無く、SBNIPの団体交渉力を弱めることになった。
十分とは言えないスイスNCPの制度
たとえスイスNCPが事案を引き受けたとしても、調停で合意されたことが実行されるという保証は無い。全体的に見て企業に有利で、成果が得られるかは企業の善意に懸かっている。
責任ある企業イニシアチブは、企業に責任を問うためのスイスにおける法的根拠を要求する。あるいは、ウズベキスタンの児童労働を巡る事案の対応を分析する中でECCHRが言及したように調停役以上の行動を取ることができる権限をNCPに与えることだ。各国のNCPが企業の違反を裁定することができて初めて、OECDの多国籍企業行動指針は十分に機能するとECCHRは強調した。
「この点で、各国のNCPは調停役と仲裁役の二役を担う」
(英語からの翻訳・江藤真理)
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