「ゴミ」から生まれたスイスの国民飲料・リヴェラ

スイスの国民飲料、リヴェラ。発明したのは法律家、原材料の一つは牛乳の「廃棄成分」という珍品だった。

このコンテンツは 2019/01/16 12:00
Gabriel Heim、スイス国立博物館
1950年代、スイス各地でリヴェラの試飲会が開かれた Rivella

それはチューリヒ湖畔の小さな町、ラッパースビルで始まった。1951年、ロバート・バルトという名の若い弁護士が「魔法使いの弟子」になろうと励んでいた。魔法使いと言ってもほうきに乗って飛ぼうとしたわけではなく、ミネラルウォーターとハーブ、乳清(ホエー)から蛋白を取り除いた液体を混ぜて新しい飲み物を作ろうとしていたのだ。

試行錯誤を繰り返しながら、彼はこう悪態をついていたかもしれない。「部屋も階段もびしょびしょだ!この厄介な液体め!」。だが彼は何かにとり憑かれたように作業に没頭した。彼が取り組んでいたのは、あり余るほど膨大な量の乳清を原料にした、香り豊かな清涼飲料の開発だ。

彼はなけなしの投資金をはたいて専門家を探した。そして見つけたのがスイス連邦工科大学チューリヒ校の乳生物学者、ハンス・ズュースリだった。彼はすぐさま製品化に向けた技術的な基礎を編み出し、バルトは再び情熱に燃えて冒険の世界に飛び込んでいった。こうしてスイスの国民飲料の誕生へと突き進んだ。

1952年、バルトはチューリヒ州シュテーファにある元ワイン販売店を改造し、最初の生産拠点を構えた。「ミルキン研究所」と名付けたその場所に、全国から中古の製造機械をかき集め、友人たちとともに生産工場に組み替えた。

残るは新商品にヒットをもたらす商品名とロゴだ。会社の伝説によると、スイス南部・ティチーノ州の小さな村リヴァ・サン・ヴィターレから、イタリア語で「ひらめき」を意味する「Rivelazione」を連想したのが商品名の由来だという。

だがレストランで「お姉さん、『ひらめき』を一つください!」と注文するのはあまり洒落ているとはいえない。そこで単語を割って「Rivella」とし、65年以上も「ノンアルコールで低カロリーな食事のお供」と銘打った瓶やボトルにその名が刻まれることになった。

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乳製品産業との二人三脚

乳製品業界にとって乳清は処分に困る副産物にすぎなかった。その「鮮やか」な解決策が誕生したというニュースはまたたくまに業界に広まった。

リヴェラの宣伝ポスター(1956年) RIVELLA

ロバート・バルトは53年、チューリヒ州ウスターにある北東スイス生乳連盟と密接な協力関係を結んだ。乳製品を製造するときに発生する乳清を直接買い取る協業体制が構築された。

新しい清涼飲料は人気を博した。「軽い酸味が爽やかに舌に広がり、すっきりした飲み口」。ドイツ語圏の日刊紙NZZは当時こう評した。だが酷評するライバルもあった。スイス鉱泉連盟は小売店に対し、リヴェラを取り扱えばミネラルウォーターや「エルマー・ツィトロ」「ペピータ」「ヴィヴィ・コーラ」といった甘味飲料の供給を止めると脅した。

世界的ヒットは起こらず

1955年夏のスイス体操競技会でも、リヴェラ禁止令が敷かれた。だがロバート・バルトは屈しなかった。ボイコット運動を起こして独占への反対キャンペーンを繰り広げ、世論を味方につけた。そこから先、リヴェラの躍進を止めるものはなかった。「スポーツの後にはリヴェラ」というキャッチコピーは、プロ・アマ問わずスポーツを愛する若い世代の心を掴んだ。

残念ながら、ロバート・バルトや多くのリヴェラファンが切望した、スイスの国民飲料を世界ブランドに育てるという夢は達成できなかった。「スイス発の新感覚飲料」という触れ込みは国外では受けず、リヴェラはドメスティック商品に留まっている。ひょっとしたら、スイスのアイデンティティーと結びつきすぎてしまったせいかもしれない。

※本記事はスイス国立博物館の公式ブログ記事を転載・翻訳したものです。

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