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パンデミックの歴史 よみがえる「恐れ」の記憶

渡航制限(写真は2021年1月、サンモリッツ)は、中世から知られている感染症流行抑制策の1つだ
渡航制限(写真は2021年1月、サンモリッツ)は、中世から知られている感染症流行抑制策の1つだ Keystone / Giancarlo Cattaneo

西洋社会が何世紀ものあいだ伝染病の脅威と共にあったことは、医学の進歩のおかげで忘れられていた。そこへ起きた新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、人類が依然脆弱であることを現代人に知らしめた。スイスの医学史研究者が、コロナ禍が呼び起こした太古の昔からの恐怖心について語る。

社会がパンデミックの影響下に置かれて2年が経つ。世論は、ロックダウン(都市封鎖)やワクチン接種など当局が推奨する対策を巡って分断されている。

しかし、世界が深刻な疫病に直面するのはこれが初めてではない。現在の状況と過去はどこまで比較できるのか。医学史研究者、アラン・ボッソン氏外部リンクに話を聞いた。

swissinfo.ch:歴史家が伝染病との関連で参照する最も重要な対象は何ですか?

アラン・ボッソン:中世のペストです。6世紀以降ペストを免れていた西欧で、1347年から1351年にかけて初めて黙示録級の流行が発生しました。

地域によっては人口の3分の1から2分の1が犠牲となり、その後18世紀に至るまで中断を挟んで何度も流行が繰り返されました。

流行が始まると支配者たちは対策を打たねばなりませんでした。病人の隔離や検疫、渡航制限といった手段でペストの影響に歯止めがかかる傾向が分かると、その後の流行でもそうした措置が取られるようになりました。

つまり、歴史家にとって目新しいことは何一つありません。今観察されるのは、人類が既に経験済みの典型的な不安や行動様式です。

swissinfo.ch:新型コロナによるパンデミックは第一次世界大戦末期のスペイン風邪とよく比較されますが、どういった点が共通していますか?

ボッソン:どちらのケースもパンデミックであり、急速に世界中に広がりました。規模も似ています。この点、ペストは違いました。

スイスでは、1918年から1920年にかけて人口の3分の1から2分の1がスペイン風邪にかかったと推定されています。新型コロナを大幅に上回る、並外れた罹患率でした。

しかし、比較できるのはここまでです。スペイン風邪が引き起こした不安ははるかに深刻なものでした。当時はまだウイルスの存在が知られておらず、敵の正体が全く分かっていなかったのです。

最初のうち世間では、これはペストの一種ではないかと考える人もいました。今は、現在進行形でパンデミックを引き起こしているウイルスについて、まだグレーな部分はあるにせよ、ずっと多くのことが分かっています。

何よりも深刻だったのは死亡率です。スペイン風邪のウイルスは新型コロナとは違い、高齢者ではなく主に20~35歳の世代を死に至らしめました。

当時の新聞は、両親が亡くなって子供や祖父母が残されるといった痛ましい悲劇を報じています。社会の推進基盤を弱体化させるという点でも、当時のパンデミックは今よりもはるかに大きな不安を呼び起こしました。

swissinfo.ch:とはいえ、100年前より今の方がパニックが広がっているという印象を受けます。

ボッソン:モダンもしくはポストモダン社会に生きる現代人は、健康を非常に重視しています。各家庭では、医療システムへの期待を込めて多額の健康保険料を納めています。

現在平均寿命は80歳を超えていますが、20世紀初頭は45〜50歳でした。出産や幼少期の病気など人生において予測不能な出来事のために、多くの人は長生きすることができませんでした。

その後、再び50歳で大きな生死の分かれ目が訪れました。運命論といっても良いが、当時の人々はもっと死ぬことを前提に生きていた。しかし、無関心だったわけではありません。

アラン・ボッソン氏はフリブール大学で現代史の博士号を取得。現在は高等学校(ギムナジウム)の歴史教師を務めながら、主にフリブール州の医療史をテーマに執筆活動を行っている。最新作は、中世からアンシャンレジーム末期までのフリブールの薬局がテーマ。
アラン・ボッソン氏はフリブール大学で現代史の博士号を取得。現在は高等学校(ギムナジウム)の歴史教師を務めながら、主にフリブール州の医療史をテーマに執筆活動を行っている。最新作は、中世からアンシャンレジーム末期までのフリブールの薬局がテーマ。 Alain Bosson

人々が非常な苦しみの末に死んでいったスペイン風邪は本当に恐ろしいものでした。

しかし、人々は大きな不安と折り合いをつけたのです。現代では反応はもっと激しい。それも死をほとんどタブー化した社会の反映です。

swissinfo.ch:ワクチン接種に抵抗したりあからさまな敵意を示したりする人々がいます。これは昔からあることでしょうか。それとも新しい現象でしょうか。

ボッソン:何らかの抵抗は最初からありました。欧州でワクチン接種が始まったのは天然痘を撲滅するためでした。これは何世紀にもわたり何千万人もの人々の命を奪った恐ろしい病気でした。

これと戦うべく、天然痘よりも弱い牛痘(ぎゅうとう)ワクチンの接種が行われました。

ワクチンは奇跡の治療法と考えられていましたが、ウイルスについてはまだ何も分かっていませんでした。この方法は正しい推測に基づいてはいたものの、科学的確証は無かったのです。

ワクチン接種が免疫系を刺激することだけは分かっていたが、そのプロセスにはリスクもあったため、19世紀当時、ワクチンを接種するには勇気が必要でした。

ルイ・パスツールの狂犬病予防接種の研究により現代免疫学への道が開かれました。しかし、この発見にもかかわらず、ロベルト・コッホがドイツで最初に試みた結核ワクチンの開発は失敗し、死者を出しました。

つまり、ワクチン接種の歴史はリスクと不確実性に満ちており、そのことが今でも私たちの集団的潜在意識の中に根付いているのです。

swissinfo.ch:ワクチン接種の義務化が難しい背景には、そうしたことも理由にあるのでしょうか?

ボッソン:スイス連邦政府が予防接種の義務化を試みたのは、1879年に伝染病に関する連邦法を制定しようとした時だけです。しかし、法案に対してレファレンダムが提起され、1882年の国民投票の結果、反対80%で否決されました。予防接種に義務的側面があった点が主な要因です。

いくつかの州でも、接種義務を導入する動きがありました。例えばフリブール州は1872年5月14日に義務化しました。ですが接種についての判断を保留する人があまりにも多く、結局ごく一部の人しか接種しなかったために、この決定はまもなく撤回されました。

こうした経験を経たおかげで、予防接種義務化という考え方に対して当局には持続的な「免疫ができた」と言えるでしょう。ワクチン接種はやはりあくまでも医療行為であり、患者の同意は必要だと思われます。

swissinfo.ch:しかし、予防接種の歴史は目覚ましい成功の歴史でもあります。

ボッソン:第二次世界大戦後、ポリオや天然痘は実際に根絶されました。こうした素晴らしい成功は、医学がその最盛期に達したという歴史的文脈の中で見るべきものです。

当時は1967年のバーナード教授による世界初の心臓移植を始め、医学が勝利を収め、ほぼあらゆるものが治ると信じられていた時代でもありました。世論は医学の味方で、信頼も非常に高かったのです。

しかし、1980年代のエイズ流行を境にその信頼は失われていきました。ある意味、医学の限界を思い知らされたからです。またこの時期、自然により近いとされる治療法のリバイバルも起こりました。

例えば、病院での出産を避けるために助産施設が作られました。また、自然医療を支持する人々の間でワクチン接種に対し不信感が高まりました。

swissinfo.ch:その頃から医療関係者や保健当局の言葉が疑問視されることが増えたのでしょうか。

ボッソン:そうです。1980年代までは医療関係者の言葉が聞き入れられていました。1960年代には専門家の意見がメディアで問われることなど考えられませんでした。一般社会でも、当局の言葉を疑うことはほとんどなかったのです。

最近では、科学的事実も全て意見上の問題に矮小化できるかのような風潮があります。例えばワクチン接種の場合「あなたはワクチンの効果を信じますか、信じませんか」といった問いに終始してしまっています。

以前のように全てをうのみにせず批判的に考えるようになったのは確かに良いことです。困るのは、科学の世界には明確に確立され、定義された事実があるのに、その事実に反論できるだけの資格を持たない人々が議論に割って入る場合です。

(独語からの翻訳・フュレマン直美)

(Übertragung aus dem Französischen: Christian Raaflaub)

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