マッターホルンの絵がボトルに描かれたボディーソープや火薬―。スイスを代表する山マッターホルン(ヴァレー州、4478メートル)の世界的な知名度にあやかるため、縁もゆかりもない商品の広告塔にこの山が使われるケースは珍しくない。そんな珍商品が一堂に会した特別展「マッターホルンマニア外部リンク」が、近くのゴルナーグラート展望台で開かれている。10月15日まで。
このコンテンツが公開されたのは、
1965年スイス生まれ。チューリヒで写真を学んだ後、1989年からフォトジャーナリストとして活動。1990年、スイス人カメラマンの代理店Lookat Photosを設立。世界報道写真財団(オランダ)の世界報道写真コンテストを2度受賞したほか、スイスの奨学金を多数獲得。その作品は多くの展覧会やコレクションで紹介されている。
Marie Gfeller, Thomas Kern
特別展は、ベルンにあるスイスアルプス博物館、マッターホルン登山の拠点となる町ツェルマットのホテルなどで作るマッターホルングループ、展望台と町をつなぐゴルナーグラート鉄道の運営会社などが企画。地元のマッターホルン博物館も協力した。
マレーシア産のタバコだろうがカナダ産のビールだろうがお構いなし。展示されている商品のパッケージやラベルには、マッターホルンを象徴するとがった山の絵が付いている。マッターホルンの絵をつければ売れるからだ。
1865年の初登頂以来、ツェルマットには世界中から多くの観光客と登山家が集まる。年間観光収入は5億フラン(約570億円)に上る。
このため、自治体と観光協会はマッターホルンとツェルマットのブランドイメージ保護に努めてきた。その一環で、マッターホルンの名前をベルンにある特許庁に出願した。
地元自治体などには毎月、マッターホルンの名前を宣伝目的で使いたいとの依頼が数多く寄せられる。はがきにつける小さな岩を売りたい、ゲリラ的な宣伝活動に使いたい、など内容はさまざまだ。だが、それには自治体と観光協会の許可が必要となる。
(英語からの翻訳・宇田薫)
(英語からの翻訳・宇田薫)
続きを読む
おすすめの記事
ケーブルカーとロープウェイの国、スイス
このコンテンツが公開されたのは、
スイスのケーブルカー、ロープウェイはヴァリス(ヴァレー)、グラウビュンデン、ベルナーオーバーラント、ティチーノをはじめとするスイスのあらゆる地域に存在する。息をのむ絶景とともに山の頂へと急勾配の岩壁を登り、大小の山々を上…
もっと読む ケーブルカーとロープウェイの国、スイス
おすすめの記事
マッターホルン初登頂から150年 ガイドの子孫が語る歴史の裏側
このコンテンツが公開されたのは、
マッターホルンの初登頂から150年。実はこの登山隊にはツェルマット村のタウクヴァルター父子がガイドとして加わっていた。しかし、この登頂は悲劇に終わった。4人が下山中に命を落としたからだ。そして2015年、このガイドの子孫が「新たな冒険」に挑戦する。山と村と自分たちの一家に深く影響を与えたこのできごとを再現する演劇で、先祖の役を演じるのだ。野外劇場で上演されるこの劇は、今大きな注目を集めている。
もっと読む マッターホルン初登頂から150年 ガイドの子孫が語る歴史の裏側
おすすめの記事
有名ブランドを守る独占的ガイドコミュニティー
このコンテンツが公開されたのは、
ツェルマットの山岳ガイドたちは誇り高く、よそ者をなかなか受け付けない。そんな彼らが築いてきた文化は、19世紀後半から冒険を求める旅人を引きつけてきた、難攻不落といわれたマッターホルンに通じるものがある。
まるで恐竜の歯のような現実離れした姿で、ツェルマット村の上に高くそびえるマッターホルン。まれに見る完璧な構造の山だ。
この地域には、マッターホルンのほかにも4千メートル級の山々があり、強烈な魅力で人々を引きつけてきた。山岳ガイド組合はこうした人々の対応に努めるとともに、組合の結束力も維持してきた。地元のギルド(中世の同業者組合)のようなこの組合には100人弱のアクティブメンバーがいる。外部から入るのが難しいことで知られる。
スイスの有名登山家たちはおそらく、マッターホルンの原型的な美にはあらがいがたい魅力があると言うだろう。地元の山岳ガイド組合は毎年、頂上へ登りたいと望む大勢の人々で潤っている。「マッターホルンを見れば、頂上へ登りたいと思うものだ」と、世界中で新たな登山ルートを開拓してきたプロ登山家兼ガイドのロジャー・シェーリさんは話す。
よそ者お断り
ツェルマット出身ではないシェーリさんは、ここはよそ者にとっては働きにくい場所だと考えている。「ツェルマット出身者でなければ、かなり大変だ」。ツェルマットの山岳ガイドたちは村では尊敬の目で見られている。マッターホルンなどの登山ルートを隅々まで熟知しているためだ。そんなガイドたちをシェーリさんは「地元のスーパーヒーロー」と呼ぶ。
これまで、約500人がスイス側で、イタリア側では200人が命を落とした。しかし、マッターホルンで山岳ガイドがついていた場合の事故は少なく、ガイドなしの登山隊が事故に遭うケースが多いと、シェーリさんは言う。
「ツェルマットのガイド文化の歴史は長く、逸話も多く、素晴らしいものだが、一方で非常に閉鎖的で、地元ガイド以外の人間がツェルマットでガイドをするのは難しい。しかも地元ガイドたちは非常に保護主義的だ。これはある意味、健全なことだ。この資源を非常に大切にしているということだから」。米国の教育者であり、四大陸でベテランの山岳ガイドとして活躍し、米国山岳ガイド協会の会長を務めたマット・カルバーソンさんはそう話す。
金のなる木
初登頂が達成される以前から、ツェルマットにはアルプスの魅力に引かれて登山やハイキングにやってくる観光客が増えつつあり、スイスの農家はそこから利益を得るようになっていた。
しかし、マッターホルンに登るのは不可能だとか、悪霊が住んでいるなどと広く考えられており、ツェルマットの山岳ガイドにはこの山を避ける人たちもいた。だが、皆が皆そうだったわけではない。
スイス人農夫で山岳ガイドでもあったペーター・タウクヴァルターのように、冒険心に富んだ一部の者は、スイスとイタリアの国境にまたがるマッターホルンの登頂は可能だと考えていた。登山の黄金期に、マッターホルンは誰もが憧れる存在になった。
石工で山岳ガイドだったイタリア人ジャン・アントワーヌ・カレルはイタリア側から登頂を試みたが、失敗に終わった。初登頂を成功させたのは、ツェルマットの山岳ガイドだったペーター・タウクヴァルター父子と英国人登山家エドワード・ウィンパーの3人で、1865年のことだった。この登山にはほかにも登山者が同行していたが、あえなく命を落とした。
スイス側からヘルンリ尾根を登るルートはタウクヴァルター・シニアが開拓したもので、現在は標準的なルートとなっている。
世界的に有名に
ウィンパーの手柄でかすんでしまったが、カレルもその3日後に第2回登頂を成し遂げた。初登頂をきっかけとして、登山は名誉ある、死と隣り合わせの魅力を放つものと見なされるようになり、マッター谷とその上に位置するツェルマットは一躍世界的に有名になった。
国際的に知られるようになった山村のツェルマットは現在、ホテルの宿泊日数でいえば、金融とビジネスの中心地ではるかに規模の大きい国際都市チューリヒとジュネーブに次いで第3位となっている。
ツェルマット観光局のエディット・ツヴァイフェルさんによると、マッターホルン初登頂はアルプス登山の人気の火付け役になり、それ以来、ツェルマットとマッターホルンは世界的なブランドになったという。今では毎夏、3千人の登山者が訪れる。
ガイドの実情
夏と冬の観光ブームにあやかり、スイスの山岳ガイド産業は軌道に乗った。しかし、ウィンパーが語った初登頂の悲劇は、山岳ガイドたちの間に深い傷を残した。「それでも、ツェルマットにとってアルプス登山は中心的位置を占めている」とツヴァイフェルさん。
家族のいる若い山岳ガイドは、子どもと長い時間離れたくないがゆえに、日帰り登山にこだわる場合もある。しかし、天候に左右される商売ゆえ、お金を稼がねばというプレッシャーも感じるかもしれない。
「家族がいる場合、ガイドとしてやっていくのは簡単ではない。お金持ちにはなれない」と、タウクヴァルター父子の直系の子孫であるジャンニ・マッツォーネさんは言う。ただ、山岳ガイドとして働いていた先祖はもっとずっと大変だったことも理解している。
「一般的に、今の時代にガイドとして働くのは昔よりはるかに簡単だ。装備の点からいっても、昔はアイゼンもなかった。想像できるかい?ピッケルはあったが、重くて長いものだった。衣類も重かった。今より大変だったことは間違いない。また、顧客を獲得するのも難しかった。列車は谷の下の方までしか来なかったので、ガイドたちはそこまで歩いて下りていって一泊し、顧客集めのために宣伝もしなければならなかった。顧客の大半は英国人だった。ガイドの多くは牛や羊といった家畜を飼っていたので、父親が山に登る間、誰かが世話をしなければならなかった」
残された家族は、ガイドが帰ってこないのではないかと毎日心配して過ごすことも多かった。しかし、ガイドという職業の危険性は必ずしも減ったわけではない。今は山に簡単に行けるようになった結果、天気がよければ週に7日、顧客とともに登山に出ることもある。つまり、ガイドに疲労がたまり、危険にさらされる頻度が上がる可能性がある。「マーフィーの法則のようなものだ」と、マッツォーネさんは半分冗談で言う。
「私は今も仕事への意欲は高い。しかし結局のところ、何よりも大切なのは顧客を山から無事に連れて帰ることだ。銀行の口座残高を増やすことではない」
もっと読む 有名ブランドを守る独占的ガイドコミュニティー
おすすめの記事
有名観光地ツェルマット 家族経営が村を支える
このコンテンツが公開されたのは、
ツェルマット村の外周道路を歩けば、新築工事現場を見かけることは珍しくない。急斜面の土地に高級シャレー(山小屋)の建設が進み、敷地にクレーンがそびえ立っている。 しかし、ツェルマット村の中心部では、何世代にもわたって同…
もっと読む 有名観光地ツェルマット 家族経営が村を支える
おすすめの記事
マッターホルンから世界の屋根へ
このコンテンツが公開されたのは、
ネパールのフィッシュテイル・エア社のパイロット、サビン・バスニヤトは同国で最も経験を積んだパイロットの1人だったが、そこまで標高の高いところにヘリを飛ばしたことはなかった。空気が薄いところでは、ヘリは飛べないというのが通…
もっと読む マッターホルンから世界の屋根へ
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。