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かつてのユートピア、モンテ・ベリタ ( スイスめぐり -13- )

「真実の山」から見下ろしたアスコーナの風景 ( 写真提供;ST/swiss-image.ch )

(swissinfo.ch)

アスコーナ ( Ascona ) はスイス南部で最も人気のあるリゾート地だ。昔、ヨーロッパの無政府主義思想のゆりかごだった当時の面影はもうほとんどない。

スイス・ドイツ語圏とドイツからの観光客が、光あふれる湖畔でゆったりと過ごしている。彼らのうち何人が、かつてユートビア建設を目指した芸術家や若者がここに集結したことを知っているのだろうか。

 「最近の観光客はバスで乗り付けて、しかもひどい格好をして」と嘆くのは82歳のウルスラ・レーリさん、地元の住民だ。「昔はこんなじゃなかったのに」

モンテ・ベリタ

 1927年、ドイツ語圏スイス人の建築家が、モンテ・ベリタ ( Monte Verita、真実の山 ) にホテル・バウハウスを設計した。レーリさんは彼の娘だ。モンテ・ベリタとは、アスコーナ を見下ろす丘の名前だ。

 また、モンテ・ベリタは「現存する社会から離れて、新しく理想的な社会を作ろう」という目的で作られた共同体の名前でもある。100年以上も前のことだ。何人かの知識人たちがヨーロッパ各地から集まって、社会主義と菜食主義に根ざし、自然になるべく近い生活をここでおくろうと試みた。

生まれたままの姿で

 このニュースはあっという間に広まって、欧州各地から無政府主義者たちがこの貧しい漁村にやって来た。

 彼らは実験的にいろんなことをやってみたが、これは村人たちの眉をひそめさせるものだった。彼らは信条として、様々な実験を、すべてヌードで行ったからだ。

 「元々、アスコーナは保守的な土地柄で、女性は皆、黒い洋服を着なければならないほどでした」とレーリさんは思い出を語る。「人々はとても信心深く、当然、見知らぬ者たちの行動を快く思いませんでした」

 しかし時が過ぎ、1930年代までにはモンテ・ベリタの内容もずいぶん変わった。そもそもの目的だった「徹底したユートピア主義」は影をひそめた。

 代わりに中心的な活動になったのは、実験的ダンス。しかし彼らの思想は、後に多くの芸術家や作家に影響を及ぼした。その名前はヘルマン・ヘッセ、パウル・クレー、アレクセイ・フォン・ヤヴレンスキーなど、多岐に渡る。

近代思想に大きな影響

 有名人の名前はまだまだ続く。マハトマ・ガンジー、ジョージ・オーウェル、なんとドイツのナチスまで、「アスコーナの共同体から思想が受け継がれた」とアメリカの教授、マーティン・グリーン氏が書いている ( 出典;『真実の山:カウンターカルチャーの始まり』 )。

 しかしカウンターカルチャーがまた違う形に変わっていくのもまた真なり。1950年代までには、無政府主義の色が薄れ、今日のような姿になっていた。つまり、「シックなリゾート地かつ寒いところに住む欧州人が定年後に住みたい陽光あふれる土地」だ。

 「ここにまた芸術家たちがやってきてくれたら、いつでも大歓迎です。作家でも、画家でも、新しいアイデアを持って、この土地に息吹を吹き込んでくれるのだったら誰でも」と語るのは、クラウディオ・ロセッティさん。国際会議場センターのディレクターだ。ユニークな歴史を持ったモンテ・ベリタの建物は、今や会議場になっている。

芸術家さん、いらっしゃい

 すっかり昔の面影はなくなってしまった、と思っていたが、ロセッティさんによるとそうでもないようだ。「モンテ・ベリタの精神を受け継いでいる所があります」とロセッティさんは博物館のドアを開けた。ここで、モンテ・ベリタの昔の姿を見ることができる。

 博物館となっているカーサ・アナタの建物は、最初にユートピアを求めた人々によって建設されたもののうちの1つだ。

 「会議場センターは、チューリヒ工科大学が運営しているのですが、ここを使うのが学者だけというのは、残念なことです。私はもっと芸術的なイベントにも広く門戸を開けるくべきだと思うのです」

 ミケーレ・フェスターさんは改築されたホテル・バウハウスの近くに住んでいる。彼は「モンテ・ベリタはまだ特別な場所だ」と信じている。
 
 「ここにはまだエネルギーが渦巻いています。だからこそ今でも世界中から沢山、興味深い人々がやってく来るのです」とフェスターさんは言う。彼はインテリア・デザイナーだ。

 「ここにやってく来るアーチストは、ここで多くの傑作を生み出していくのですよ」

自給自足

 フェスターさんの祖父、カールさんは、1900年にアスコーナにやってきて、ユートピア建設を目指した最初のメンバーの1人だ。彼は、草が青々と茂る、原始林のような庭とマジョーレ湖を見渡せる丘の上に自宅を建てた。

 今、その家には孫のフェスターさんが住んでいる。彼によると、おじいさんは自分自身のユートピアを作りたかったのだそうだ。このため、カールさんはここでできるだけ自給自足の生活をしようと試みた。自分なりにパンを焼き、ヤギの群れを飼った。

 「まあ、彼は特別なパンを焼いたわね。でも彼は全身、まったくヤギ臭かったわ!」とウルスラ・レーリさんは笑う。「彼はモンテ・ベリタに残った最初のグループの中で最後の人物だったわね」

 カールさんは、レーリさんの思い出の中だけに残っているわけではない。カーサ・アナタの何枚かの写真の中にも、長髪のカールさんが沢山の仲間たちとヌードで踊ったり園芸をしたりしている。

swissinfo、 デイル・ベヒテル ( アスコーナにて )  遊佐弘美 ( ゆさ ひろみ ) 意訳


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