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パウル・クレーと結ぶ縁

2005年6月にパウル・クレー・センターの開館式に出席した新藤氏。トレードマークの蝶ネクタイで

(swissinfo.ch)

「ウマが合うから」と1980年代からクレー家との交流が始まった。「家系図でいえば、僕は孫にあたります」と自称する日本パウル・クレー協会の事務局長、新藤信(まこと/56歳)氏。クレーに関しては無論、百科事典ばりの知識を持っている。クレー家を通してスイスとの長い繋がりが始まった。

 ようやくインタビューできたのは「線を描くこと、色を塗ること」(to draw to paint)と題するクレー展を東京、大阪の大丸デパートで終えたこところだった。日本クレー協会はこの他、様々な近代絵画展覧会の企画をも行っている。

 「日本は文化後進国です。文化にお金を使うのは余剰金でしかない」と苦い顔をしてフルーツパフェを頬張る。そんな新藤氏はこの道40年。展覧会のコーディネーターという仕事自体があまり存在しなかった時代から始めたパイオニアだ。

 劇団四季で2年ほど芝居の勉強をしてから、美術が好きで画廊に勤めた。絵の仕事を覚えてから「今後はこんな仕事が必要だ」と思い立って独立した。美術論を語らせたら終わりがない。ジャンルを問わずよいものは「共通している」。「芸術は生命そのものの表現ではないでしょうか。クレーにとって絵を描くという行為は天地創造する体験と同じだった」

 クレーとの出会いはクレー生誕100周年を祝うクレー展を準備した1979年に息子のフェリックスを訪ねて行ったのが始まりだ。今ではクレーの孫で芸術家のアレキサンダーとは兄弟のごとく、息子の名付親になるほどの仲だ。「ウマが合うっていうか…」という感覚的な新藤氏も芸術家肌だ。そのアレキサンダーとは共著で『パウル・クレー子供の領分』(印象社、1997年刊)も書いている。

 日本クレー協会では勿論、クレーの魅力を知ってもらうのが目的。でも、現在は「クレーの俗化」を望みつつも恐れている。「日本人は芸術を好き嫌いでしか判断しない国民だから」と手厳しい。だから、日本でも盛んな「クレー批判が出てくること」を希望している。


swissinfo 聞き手 屋山明乃(ややまあけの)


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