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ボスニア・ヘルツェゴビナに援助をし続け10年

モスタール橋が再建。国外からの援助のシンボルとなっている Keystone

1996年からスイスは、ボスニア・ヘルツェゴビナの復興支援を行ってきた。これまでの援助額は経済投資も含めると4億8600万フラン(約455億円)に上り、他国よりも多額の資金を投入している。

最近の支援は政府の組織改革が中心。そのほか、医療制度や経済振興などにもスイスの援助がある。

 「解決方法を提示するのではなく、再興の機会とスイスの経験を現地の人に提示している。スイスが立派なお手本だからと言ってそれを押し付けることはない」と語るのは、連邦外務省開発協力局(DEZA/DDC)のサラエボのチームリーダー、ルュディ・ショッホ氏だ。

警察改革は文化の改革でもある

 内戦以前からも援助活動を行ってきたスイスだが、内戦後の復興支援では重要な役割を果たしている。現在の課題は、憲法改正に伴う官庁組織の改革。「ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)の憲法改正の目的は、多民族の事情を尊重した上での中央政府の強化にある」とショッホ氏。官庁も簡素化のために新しく組織化されなければならない。「市民社会の導入」も地方自治体の改革と復興計画のキーワードの一つだ。

 EUは2005年11月7日、安定化連合協定締結交渉の開始を承認した。交渉が成功すれば、援助の成果があらゆるところで見られることになる。成果につなげるためには、国際刑事裁判所との協力の強化、憲法改正、すでに試行されている警察改革の実践化が課題だ。

 「警察改革は、組織の中央化と地方の間にある壁を越えて警察の活動を可能にすることにあるが、文化に大きな違いがあり、実践は難しい」とショッホ氏は説明する。スイスは警察改革を実践に移行する計画を主導し、地方の警察組織の再編のための援助を行った。より良い警察を作るため、警察の役割について現地の人に質問をするなどしたという。

医療制度への援助は成功

 DEZA/DDCの援助で大成功だったのは、ジュネーブ大学と協力して行った一般診療だ。現地では一般の患者を診る医者が不足している一方で、専門医は比較的多く、高い診察料を取る。1998年からスイスの援助により、570人の医者と看護士が養成され、一般患者の診療に当たっている。

 医療関係者の育成は現在すでに、ボスニア政府が責任を持って行うようになった。将来は、一般患者を診る医者を増やし、全体の7割まで上げることを目標としている。特に収入の低い人に対する医療の充実が今後の課題だ。

雇用を生み出す援助

 昨年の国内総生産の伸率は5%と、ボスニアの景気は順調に伸びている。しかし、貧富の差は開くばかり。「普通の労働者の給料は、税金や保険などを引かれたら、手取りはほとんど無い状態」とショッホ氏。行政は社会主義時代の名残を残し複雑であり、保険の掛け金も非常に高いことから、企業の負担が給料に反映されてしまうという。「ボスニアはクロアチアなどの隣国と比べると、明らかに不利」とショッホ氏は言う。

 DEZA/DDCは投資の促進と中小企業の起業促進に力を入れ、現地ではおよそ4000人分の雇用が作り出されたと見込まれている。新しい雇用は特に、農業、果物や野菜畑の開墾、木材、家具製造などで生まれた。ただし失業率は40〜20%で、28歳以下では50%以上というから、まだまだ改善されなければならない問題が山積みになっている。

swissinfo、アンドレアス・カイザー 佐藤夕美(さとう ゆうみ)意訳

- 1992年 ユーゴ連邦共和国から独立宣言したが、民族間の内戦に発展した。

- 1995年 デートン合意で内戦終結。内戦では20万人が死亡した。

- 戦後、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の2つから成る。

- 現行の憲法は平和協定の付属文書の一つで、国家の権力は弱い。憲法改正により、複雑化した行政組織を簡素化する必要がある。改革を実行し、EUとの関係を密接にする必要があると専門家は言う。

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