スイスの視点を10言語で

ミサイル博物館に見る 中立国スイス・冷戦下の国防体制

仮想敵国・東方に向けられたミサイル swissinfo.ch

かつてスイスにはミサイル基地が6つあり、200基が配備されていた。冷戦後、うち5つは破壊され、残されたツーク近郊のメンジンゲン基地は軍事博物館として生まれ変わった。

68年から99年まで主要ミサイル基地の1つだったツーク州メンジンゲン基地は今年、軍事博物館としてオープンした。すでに2000人を超える見学者が訪れており、年末までには5000人を超えそうな勢いの観光新名所となっている。

遠くに見える山々と緑の丘に囲まれたのどかなメンジンゲンに、かつては72基の対空ミサイルが配備されていたとは信じ難い。が、地平線上に立つ灰色のコンクリートのコントロールタワーと基地周辺に張り巡らされた鉄条網が、その現実を物語る。完全予約制のガイドツァーを申し込むと、発射台、レーダーセンター、ミサイルコントロールルーム、格納庫などを見学できる。

ツァーはミサイル4基が並ぶフィールドの真ん中からスタートする。「全ミサイルは東に向けられています。」というのは、兵役期間中同基地指揮官だったベアト・ビュトリッヒ氏。「当時はソ連及びワルシャワ条約機構が我々の脅威だった。が、ミサイルは簡単に方向転換をすることができるので、実際にはどの方向へ向けても発射できた。」。

1961年のキューバ危機を受け、スイス連邦政府は64年、British Aircraft Corporationからミサイル200基の購入を決め、ツーク、チューリッヒ、ルツェルン、フリブール、ソロトルン、アーラウの6基地に配備した。スイスが購入したミサイルMark2Bloodhound systemは全長8m、重量2トン、速度は音速の2.5倍だった。購入価格3億8000万スイスフランは当時としては天文学的数字で、現在の物価に換算すると10倍にあたるという。ミサイル購入は完全極秘とされたが、スイスが購入したミサイルが英空軍のもの(Mark1 system)よりも高性能だった事も極秘にしなければならなかった理由の1つだったという。ミサイル基地に配属された兵士は全員が、家族にも絶対に基地の事を話さないと言う誓約書に署名させられた。

レーダーセンターに入り、室内いっぱいの夥しい数のサーキット、金属管、ケーブル、ダイアルなどを見ると、装備が今や完全に時代遅れのものであることがわかる。ビュトリッヒさんいよると、レーダー室内の全装備が今ではラップトップ1台で足りるという。ミサイルコントロールセンターには、欧州空軍基地地図が壁いっぱいに貼られ、ベルンの政府高官がミサイル発射命令を伝達するホットライン用電話が置かれている。映画でしかあり得ないような光景に、見学者らは冷戦の脅威に対するスイスの国防体制をついつい小馬鹿にしてしまう。が、かつてはミサイルコントロールデスクに着いたビュトリッヒ氏は「有事には大変重要な任務になるということはわかっていた。が、ミサイルで人を殺すという事実を認識することは難しかった。」と述べた。

スイスは中立国としての長い歴史を持ち、冷静ンかのミサイルも国防のためのもので、西側陣営の一員として共産圏攻撃に加わるためのものではなかった。ミサイルが実際に発射されることは一度もなかったが、基地の警戒態勢が高くなる事はしばしばあった。最近では99年、北大西洋条約機構(NATO)のコソボ空爆時には、警戒態勢が最高に引き上げられた。

94年、Bloodhound systemはモバイル・ラピアー・ミサイル・システムに変更され、博物館の展示品としての余生を送っている。ラピアー・ミサイル基地については、機密となっている。

64年、スイス政府は英国から対空ミサイルBloodhound200基を購入、6基地に配備した。
94年、新型ミサイルが配備された。
99年までに6基地中5つは閉鎖、残るツーク州メンジンゲン基地は軍事博物館に。

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部