小さな村の二つの教会 – アルメンスの歴史をひもとく
スイスでは、どんな小さな村にも教会か礼拝堂があり、それがランドマークになっている。でも、とても小さな村に教会が二つもあるのは珍しい。今日はグラウビュンデン州のアルメンス(Almes)の教会にまつわる、スイスの歴史を感じるエピソードについて紹介しよう。
アルメンスは、グラウビュンデン州都クール(Chur)から車で20分ほどのドムレシュク谷にある小さな村だ。住民は200人より少し多い程度、近隣の村々の中でも小さい方だ。その小さな村に立派な教会が二つもある。
それぞれの教会の尖塔に注目すると、ひとつには十字架、もうひとつの方には風見鶏が飾られていて、前者はカトリック、後者はプロテスタントの教会だということがわかる。そして更に珍しいことには、このプロテスタントの教会は、1694年にカトリックのクール大司教が経費を支払って建てた教会なのだ。
日本人は神仏習合もごく普通に受け入れる国民性ゆえ、同じキリスト教のカトリックとプロテスタントが対立する構図には今ひとつピンと来ないかもしれない。けれども、スイスで暮らしていると、同じキリスト教徒同士でお互いの信教に対してあまりよく思っていないことをよく感じる。戦後すぐあたりのスイスでは、カトリックで洗礼を受けた人がプロテスタントの人と結婚するとなると、家族に猛反対されたり、どちらかが改宗をすることになったりと大騒ぎになったという話も聞いた。
ましてや宗教改革とそれに続いたカッペル戦争で国を二分して戦ったばかりの17世紀は、カトリックの大司教にとってプロテスタントの信者たちは不倶戴天の敵に近い存在だった。それなのに、クールの大司教がわざわざこの小さな村にプロテスタントの教会を建てたのだ。この珍事は、とてもスイス的な政治事情に起因している。
スイスには直接民主制を含む民主主義の伝統がある。しかも地方の自治をとても尊重する。近隣諸国と比較すると、例えば隣のフランスは同じ民主主義でも中央集権が強く、パリの政府が決定した政策に地方が黙って従うという構図がある。
宗教改革の旋風が吹き荒れた16世紀、さまざまな血なまぐさい戦いの後に、ヨーロッパの諸国では国の権力者によってそれぞれの国民が信奉するべき宗教が定められた。例えば今日のオーストリア、当時のハプスブルグ帝国ではプロテスタントの信奉は長いこと許されなかったし、オランダは反対に新教化した。その決定に反対するものは虐殺されたり、追放されて海外に移住することとなった。
この当時、スイスはまだひとつの国家ではなくて、誓約同盟という形で現在の州(カントン)が緩くつながった状態だった。そのそれぞれの州がカトリックのままでいるか、プロテスタントの州となるかを決定した。都市部のベルンやチューリヒなどは新教、中央の山岳部に当たるルツェルンやシュヴィーツなどは旧教を選び、他の州はそれを尊重することと決められた。そして、州の決定を受け入れられずにもうひとつの教えを守りたい人は、やはり引越さなくてはならなかった。
当時のグラウビュンデン州は、ひとつのカントンではなくて「灰色同盟(Grauebund)」「聖堂同盟(Gotteshausbund)」「10裁判同盟(Bund der zehn Gerichte)」の集合体だったのだが、旧教に留まるか新教に変わるかを決定することができなかったので、1526年にイランツで開かれた会議を契機に、市町村ごとに信教を決めていいことにした。これが、現在私の住んでいる地域で、教会の尖塔についている飾りの形が違うだけでなく、市町村ごとに祝日が違うような事態も起こっている原因である。
祝日というものは国ごとに決まるものだと思っていた私には、それだけでも驚くべきことだったが、当時のアルメンスはちょうど新教と旧教を信じる人の割合が半々で決められず、「どちらを信じてもいい」という奇妙な決定がなされたのだ。ところが、ひとつの教会を交互に使うことになった両者のあいだで、争いが絶えなくなった。
かつてのカトリックの教会ではイエス・キリストの受難を表す絵画や聖母マリア像を大切にして装飾も多いのが特徴的だったのだが、プロテスタントはそういうものを嫌がり取り外したがる。そうした諍いの報告に常に煩わされていたクールの大司教が「もうアルメンスの争いのことは聞きたくない」と新しい教会を建てることを決定したのだった。
後方のカトリック教会が視界に入る位置で、プロテスタントの教会の正面に掲げられた建設年「1694」の文字を眺める度に、これは実にスイスらしいエピソードだなとしみじみと思う。山の上の小さな村で起こっている小競り合いは、他の国ならどこか中央にいる知らない支配者にどちらかが罰せられておしまいになるだろうが、ここでは住人たちの民主的な意向が一番尊重されるのだ。
アルメンスに限らず、今のスイスでは昔ほど熱心なキリスト教徒は少なくなっていて、クリスマスや復活祭でもない普通の日曜日には、どの教会も閑散としている。「最後に教会に行ったのは娘の洗礼のときだ」などという人も多い。でも、アルメンスには今でも教会が二つ建っているし、「自分たちにとって大切なことは、自分たちで決める」というスイスの直接民主主義も健在だ。
さて、ブログ「もっと知りたい!スイス生活」での私の執筆は、今回で最後になる。2014年からほぼ毎月スイスに関するトピックを書いて、グラウビュンデン州のことをたくさん知ることができた。そして、多くの方に読んでいただき、素晴らしい出会いもたくさんあった。この場を借りて、読者のみなさまと関係者各位にお礼を言いたい。本当にありがとうございました。
ソリーヴァ江口葵
東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。
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