認知症でも、自分らしくいられる場所
高齢化と共に、日本同様、スイスでも認知症患者が増えている。次々に消えていく記憶。思い出せない家族の顔。心に残る大切な思い出も、これまで築いてきたプライドも、認知症は容赦なく奪い去る。
認知症患者に対する最善のケアが模索されている中、多くのメディアから賞賛されている介護施設がチューリヒ郊外にある。
認知症患者専門の介護施設「ゾンヴァイト(Sonnweid)」は不安な心の世界を生きる認知症患者一人ひとりに寄り添った介護を目指し、人の尊厳を最大限に重視している。
光が降り注ぐ大きな窓。気持ちを落ち着かせるような青い廊下。緑に覆われた広い庭にはカラフルな彫刻でできた噴水が心地よい音をたてている。チューリヒ州ヴェチコン(Wetzikon)にあるゾンヴァイトは、まるで素敵な保養所を思わせる。
長期滞在者からデイサービス利用者など約150人の重度認知症患者が利用し、若い人では40代もいる。平均滞在期間は2.5年間。入居者の95%はここで生涯を閉じる。入居者はみんな「住人」と呼ばれ、施設内ならどこでも自由に心赴くまま歩き回れる。使用中のトイレを除けば、カギのかかった部屋は原則的に一つもない上、壁で空間を仕切ることを極力避けたオープンな構造になっている。
スタッフはパートも含め、約240人。コックであろうと、清掃員であろうと、スタッフ全員が認知症患者の介護に関してきちんと教育を受けている。
一人ひとりに合った介護
ゾンヴァイトは認知症の程度によって、グループホーム、ハイム、集中介護部門「オアシス」の3カ所に入居者を分けている。ハイムとオアシスはゾンヴァイトの敷地内にあり、グループホームは車で5分ほど離れた町の住宅地にある。
グループホームは一つの住居に6人から10人規模で共同生活をする場所で、個室があり、台所やリビングなどは共有する。ゾンヴァイトには4つのグループホームがあり、計33人が暮らしている。ここにやってくる人は、手助けさえあれば、料理や電話など大体のことは自分できる人たちだ。スタッフはサポート役として、買い物や食事の手伝いをし、住人ができなくなってしまったことを補う。一緒に何かをやるか、ただその場でみんなの様子を眺めるかは本人次第。ここでの基本は、人とのつながりを持つこと、人のそばにいることだ。
人の話す言葉があまり分からなくなり、社会的能力も失われてしまった人は、ハイムに入居する。基本的に2人部屋で、ゾンヴァイトの住人の大半(約100人)がここで暮らし、一生を終える。歌や工作など、一応のプログラムはあるが、それを一緒にやるかやらないかは住人の自由。スタッフがギターをかき鳴らして歌えば一緒に歌ってみる。興味がなかったらほかのところへ行って、好きなように時間を過ごす。スタッフは良きパートナーとなって、その住人が今という時間を精一杯生きられるよう、最期までサポートする。
認知症のみならず、身体的にも重度の介護が必要な人には「オアシス」がある。現在7人の住人が暮らしている「オアシス」は、120平方メートルと間取りが大きく取られ、その広い天井は、朝は温かみのある太陽の色、夜は星の輝く夜空に人工的に変わる。朝にはコーヒーのいい香りが漂い、寝たきりとなっても朝食の時間だと分かる。個室ではないので、周りに人がいることも感じられる。
家族介護はいずれ限界に
「症状の程度にもよるが、自宅での介護にはいずれ限界が来る。仕事をする傍ら認知症の家族を介護し、満足のいく生活を送れる人などほとんどいない」と施設長のミヒャエル・シュミーダー氏は話す。
実際、夫に週3回面会に来るという初老の女性は、夫がここで暮らしていることに非常に満足していると話す。のんびりとオープンテラスでくつろぐ夫に、女性は聞いてみた。「ここでの暮らしはどう?」。少し間をおいて、男性はゆっくりと答えた。「とっても、いい」
たとえ質問の意味がよく分かっていなくても、また自分の状況を把握していなくても、ただ妻と一緒に外の空気を吸い、お茶を飲むという今の瞬間に、男性は満足している。その事実をこの男性は短い言葉で語ってくれたようだ。
気持ちに寄り添う
ゾンヴァイトが実践する介護の基本は、住人の「ウェルネス」。住人にとって居心地のいい場であるために、住人を「患者」ではなく「パートナー」と見なし、常に住人と同じ高さの目線で接する。
「私の夫はどこへ行ったの?」と、すでに20年前に亡くなっている配偶者の姿を探す住人には、「ご主人がここにいらっしゃらなくて、寂しいのですか」と声をかけ、住人の悲しい気持ちを認める。決して、主人が亡くなった事実を説得しようとはしない。
「悲しかったり、寂しかったりする気持ちをありのまま認める。それだけで、自分が他人に受け入れられたと安心できる。これは何も認知症患者に限ったことではない。あなたも自分の気持ちが他人に認められたら嬉しいでしょう」とシュミーダー氏は話す。
鏡に映った自分の姿を見て、「あ、お母さん」と言った住人の女性。記憶がごっそりと消え去り、母親が生きていた頃の自分に戻ってしまったという。認知症患者がどんな世界を、いつの時代を生きているのかを把握するのは難しい。だが、シュミーダー氏にとって、それは大した問題ではない。「住人がどんな世界に生きていようと、みんなが求めていることはただ一つ。それは、どこにいようとも、自分が受け入れられていると感じること」
物忘れが激しくなっても、意思疎通ができなくても、「その人に残る心」を大切にし、同じ目線で接する。人の尊厳を重視するゾンヴァイトは、スタッフの養成や外部に向け講義なども行っており、ヨーロッパを中心に世界中から見学者が訪れている。
「人の尊厳を基本にする介護が広まるよう、ゾンヴァイトが認知症介護の原動力になれば嬉しい」と、シュミーダー氏は力強く言った。
スイス・アルツハイマー協会(Schweizerische Alzheimervereiningung/Association Alzheimer suisse)によれば、人口約787万人のうち、10万7000人がアルツハイマー病などの認知症を患っている。2030年にはその2倍、2050年には30万人以上の認知症患者の増加が見込まれている。
株式会社ゾンヴァイト(Krankenheim Sonnweid AG)は20年以上認知症患者の介護を行っている民間企業。
1998年には認知症介護改善や入居者費用の一部を肩代わりすることを目的としたゾンヴァイト基金を設立。
施設の利用者は約150人で、グループホームに33人、ハイムに約100人、オアシスに7人入居している。申請してから入居までに4カ月から8カ月かかる。
入居者の費用は部屋のタイプや必要とする介護の程度によって差はあるが、重度要介護者の場合、1カ月当たり平均して1人約1万フラン(約84万円)かかる。しかし、健康保険や自治体が負担を一部肩代わりするため、実質6500フラン(約55万円)が入居者負担となる。
金銭的に厳しい状況にある認知症患者には、国からも補助金が支払われる。また、ゾンヴァイト基金による費用負担も可能。
ゾンヴァイトでは2012年1月に、施設で宿泊・食事もできるワークショップ「物忘れホテル(Hotel zum Vergessen)」を3週間限定で開く。
参加希望者は認知症全般に関する知識や認知症介護施設の建築的観点、法律や政治問題、料理や劇など、認知症に関してさまざまなワークショップに参加できる。
1泊朝食付きプラス夜のワークショップ1回参加で70フラン(約6000円)。
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