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山から来た表現主義

キルヒナーは季節のリズムと共にある、ほとんど原始的な山の農民の生活に 感銘を受けた。ダボス生活初期のこの作品には、ベルリン時代のデフォルメ的表現が残る。エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、『アルプスの生活』

ドイツ表現主義の一派「ブリュッケ ( Brücke )」を結成したエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーは、心身共に疲労し、グラウビュンデン州のダボス ( Davos ) にやって来た。

この地で癒されたキルヒナーは表現法を変える。それは、ダボスにいた外国の画家や、スイスの画家たちに影響を与えた。ベルン美術館の「山から来た表現主義展」はダボスの山を中心に繰り広げられたキルヒナーと若い5人の画家との相互交流を描き出す展覧会である。

 人物をデフォルメし、荒々しい感情的表現を作風としていたキルヒナーは、第1次大戦に従軍し、心身共に病みダボスにやって来た。対象の本質を描き出すキルヒナーの基本的なスタイルは変わらないものの、技法はダボスで大きく変化する。若いスイス人の画家とドイツ人、オランダ人の2人の画家は、こうしたキルヒナーを「師」としながらも模倣せず、自己の手法を確立。それが反対にキルヒナーにも影響を与え、この相互交流は「山で生まれたスイス表現主義」ともいえる一次期を形成した。

タペストリー的スタイル

 展覧会場に入ると大きな、横幅4メートルのキルヒナーの作品『高山の牧場の日曜日』が出迎えてくれる。そこにはキルヒナーが親交を深めたダボスの農民たちが、山を背景にタペストリーの絵柄のように並んで描かれている。

「キルヒナーがダボスに来た1917年頃は、ベルリン時代の神経質で、ドラマチックな表現がまだ残っていますが、やがて構造のしっかりしたデフォルメのない、いわゆる『タペストリー的スタイル』に変わるのです。1920年代にはもうベルリン時代表現主義のレッテルを貼られるを拒否していました」と同展の開催者で、学芸員のサミュエル・ビタリ氏は解説する。

 色彩にも変化が現れる。1920年以前にはなかった紫やピンクが多量に使われ始める。紫は特に、光があたる道や人物の顔の部分に使われている。

 キルヒナーは山の生活を愛した。山はモチーフそのものになると同時に、農民たちの素朴で自然と一体化した生活態度がキルヒナーの精神性を変える。「農民たちも彼らなりの方法でキルヒナーを受け入れるのです」とビタリ氏。

 もう1人山の生活を深く愛した画家に、ダボスに住んでいたドイツ人、フィリップ・バウクネッヒトがいる。彼はキルヒナーと出会う前に、自己流の強い色彩の表現主義を確立していた。キルヒナーの紫色の出現はバウクネッヒトの影響とも言われている。

作風の同一性と差異

 今回、各展示室にはテーマが付けられている。「ダボスのアルプス風景」と題された部屋に入ると、森の木々を描いた4点の似たような油絵が目に飛び込む。キルヒナーの作品が2点。アルベルト・ミュラーの作品が2点。

 「同じモチーフを扱ったキルヒナーの絵と、他の画家の作品を出来る限り横に並べています。キルヒナーの影響を受け一見、キルヒナー的作風ですが、同じテーマを扱いながら個性の違い、技法の違いが見えるよう展示したのです」とビタリ氏。

 このキルヒナーの影響を受けた若い画家に、バーゼルのアルベルト・ミュラー、ヘルマン・シェレール、ポール・カメニッシュがいる。1923年、バーゼルで行われたキルヒナー展に感銘を受けたミュラーとシェレールはただちにダボスに赴き、キルヒナーの指導を受ける。だが、例えばシェレールはあくまでドラマチックな表現で、構成的になったキルヒナーとは一線を画すのである。

 こうした山での交流の様子は「自画像と画家の像」と題された部屋の作品群から汲み取れる。23年にキルヒナーに出会ったミュラーとシェレールだが、それぞれ26年と27年に若くして突然病気で他界。「3〜4年の短い期間ですが、集中的な交流で生まれた作風の同一性と差異は非常に豊かです。それはある意味でスイスの表現主義的な一次期を形成しました。それを展示で味わって欲しいと思います」とビタリ氏は言う。

swissinfo、 里信邦子 ( さとのぶ くにこ )

キーワード

<ベルン美術館 ( Kunstmuseum Bern )>
山から来た表現主義 4月27日〜8月19日
水曜日〜日曜日 10〜17時
火曜日 10〜21時
閉館日 5月17日と5月27日、28日
入場料 16フラン、割引券12フラン
カタログ 68フラン
交通手段 ベルン駅から徒歩5分

<出展作品>
油絵、彫刻、版画、デッサンなど計160点、( キルヒナーの作品55点 )

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山から来た表現主義展

同展は「キルヒナーと5人の画家」と副題を付けてもいいような形で、ダボスでのキルヒナーと5人の画家の相互交流を描き出している。それはキルヒナーが夢見た画家のコミュニティのようなものであったが、わずか4年ばかりの期間であった。

5人の画家は、バーゼルのアルベルト・ミュラー、ヘルマン・シェレール、ポール・カメニッシュとドイツ人フィリップ・バウクネッヒト、オランダ人ヤン・ビーガース。

「師」として尊敬されたキルヒナー。だが、もともと石の彫刻家であったシェレールに木彫りを教え、弟子の優れた木彫に嫉妬し、「自分を模倣をしている」と批判したりもした。一方ミュラーとは深い親交を結んだ。

バーゼルの3人の画家はキルヒナーの影響下、1924から1925年の年の変わり目に「赤、青 ( Rot-Blau ) 」というグループを結成した。これは新しい技法を謳ったグループではなく、バーゼルの伝統的な美術界に反抗し、自分たちの作品展示の機会がもっと持てることを目的に創られた。しかしこれもミュラー、シェレールの死で自然消滅した。

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タペストリー的スタイル

タペストリー ( つづれ織り ) 的スタイルとは、遠近感をなくし、縦軸と横軸の構造 ( 格子構造 ) の上にのっとって、様々なモチーフを配置する技法。

今回、キルヒナーの作品『高山の牧場の日曜日』 ( ギャラリーの絵no.2参照 ) では、人物が、縦軸にそって、ほとんどまっすぐ立ち、一つのモチーフのように繰り返して並べられている。

これは、ベルリン時代の表現主義が残る記事中の絵『アルプスの生活』中の斜めに描かれている農民の人物像と対照をなす。

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