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「勝利に浸れなかった」元連邦閣僚のブロッハー氏

ブロッハー
「何を言ったのかは覚えていない。気の利くことは話さなかっただろう」と当時の記者会見を振り返るブロッハー氏 Balz Rigendinger

スイスは強大な欧州連合(EU)に囲まれた小さな「島国」だ。そんなスイスは気の毒な存在か、それとも羨望の的だろうか?スイスが独自の道を行くことを決めたのは、今から25年前。当時の国民投票で、EU単一市場にアクセスできる欧州経済領域(EEA)への不参加が決定した。EEA参加がEU加盟の前段階になることを、多くの有権者が危惧(きぐ)した結果だった。スイスインフォはEEA賛成派および反対派の代表に、当時を振り返ってもらった。

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「EUの方がスイスより発展している」左派の元大物政治家

このコンテンツが公開されたのは、 1992年12月6日の国民投票で、スイスの既成政治勢力は敗北を喫した。この国民投票で大敗したのが、左派の社会民主党党首を務め、EUとの強い連携を第一に目指していたペーター・ボーデンマン氏。現在はヴァレー(ヴァリス)州でホテル業を営む同氏は、今も当時の考えが正しかったと確信している。

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EEA参加をめぐる国民投票の背景やその後の影響については「欧州で独自の道を歩んだスイスの25年間」をご覧ください。

 1992年12月6日の国民投票で、スイスの既成政治勢力は敗北を喫した。政府、議会、主要政党の大半はすでにEEA参加を表明し、EUへの加盟申請も行われていた。しかし、EEA反対の右派・保守派は「スイスの独立性が損なわれる」と主張し、市民感情に訴える反対運動を展開。それが功を奏し、国民投票では反対派が勝利した。この国民投票を機に、右派・国民党の父と称されるクリストフ・ブロッハー氏は政治家として大きく躍進した。

スイスインフォ: 「私は疲れ果てた。精神的にも肉体的にも限界だ」と発言したことを覚えていますか?

クリストフ・ブロッハー: あの頃の状態は覚えている。1992年のことだ。

スイスインフォ: EEA参加の是非を巡る国民投票が行われる1週間前のことです。あなたは国民投票に先立ち、数多くの催しに参加しました。

ブロッハー: 1年を通し1日に最低1回、時には2、3回と参加することもあった。国民投票実施日の1年前、世論調査の結果が公表された。それによると、スイス人の8割がEEA参加に賛成だった。すべてのメディア、連邦閣僚、議会、経済団体が賛成なのは分かっていた。「これには反対しなくてはならない。EEAに参加すればひどいことになる」と思った。反対派の主張がメディアに取り上げてもらえないのなら、国民に直接訴えかけるしかない。

スイスインフォ: あなたが話しかけた国民の数は15万人になると言われています。

ブロッハー: それと同時に、私は会社を経営していた。

スイスインフォ: どのように両立したのですか?睡眠時間を4時間に減らしたのですか?

欧州経済領域(EEA)参加の是非を巡る国民投票

連邦閣僚(政府)、議会、主要政党の大半はEEA参加を表明していた。国民の反発を予想していなかった政府は、すでに1992年5月にEUへの加盟申請を行っていた。政府にとってEEA参加はEU加盟への前段階に過ぎなかったが、今日ではこうした政府の態度が致命的なミスだったとされている。その後、EEA参加の是非を問う国民投票は、クリストフ・ブロッハー氏を中心とする反対勢力により、スイスの文化や伝統を巡る感情的な議論に発展した。反対派は「スイス固有の文化や伝統の多くは、スイスが単独の道を行くことで守られる」と主張。また「スイスは独立性を維持し、欧州の官僚主義から守らなければならない」とも訴えていた。

既成の政治勢力は、1992年3月6日の国民投票で敗北を喫した。投票者の50.3%が反対し、州の過半数(23州中16州)がEEA参加に反対した。スイスは2016年6月、正式にEUへの加盟申請を取り下げた。

ブロッハー: それより少ないときもあった。全く眠れない夜もあった。その結果、心身が崩壊した。あれは戦争の後のようだった。立ち上がる力がなく、睡眠も取れず、すっかり疲れ切っていた。国民投票後は静養を取らなければならなかった。

スイスインフォ: 勝利の日には、その場で記者会見を開きました。

ブロッハー: 自分の意見を記者一人ひとりに説明するほどの力がもうなかった。何を言ったのかは覚えていない。気の利くことは話さなかっただろう。

スイスインフォ: 少なくとも勝者が話す感じではなく、喜びの言葉もほとんどありませんでした。

ブロッハー: そういう状態だったということだ。その後、家に帰り、8時にはベッドに入った。

スイスインフォ: そしてようやく8時間眠れましたか?

ブロッハー: いや、睡眠障害があった。今ならバーンアウトと言うだろう。当時は「Ich bi uf de Schnure!(ひどく疲れた)」と言っていた。だが10時になると外でパンと音がした。妻が私を呼び、「ちょっと来て、クリストフ。花火をして祝っている人たちがいる」と言った。私はパジャマ姿で窓辺に立ったが、大苦戦でただ疲れていた。私の主張が正しかったのか、確証はなかった。初めは私に同調する人がほとんどいなかった。私が目指す方向に所属政党が舵を切るかどうかもわからなかった。 

スイスインフォ: しかし、公の場に登場するあなたの姿は自信たっぷりに見えました。

ブロッハー: それは言えている。だが夜になるといつも疑心暗鬼になった。ベッドの中でよく考えたものだ。「私一人だけが正しくて、他のみんなが間違っているなんてことがあるだろうか?」と。悪夢にうなされたこともあった。だが朝になって日が昇ると、私が背負わなくてはならないものがはっきりしていた。

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「スイスは分裂していた」元連邦閣僚のブロッハー氏

このコンテンツが公開されたのは、 スイスは1992年の国民投票で、欧州経済領域(EEA)への不参加を決定した。それから25年経った今、右派国民党の元連邦閣僚クリストフ・ブロッハー氏が当時を振り返る。

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スイスインフォ: あなたに反発する人もいました。脅迫はあったんでしょうか?

ブロッハー: それもあった。それらは全て警察に届け出た。

スイスインフォ: EEA反対運動の中で起きたことで、それが最もひどいことでしたか?

ブロッハー: 最もひどかったのが、ペーター・ボーデンマンがした行為だ。私の商売が標的にされたのだ。

スイスインフォ: 当時の社会民主党党首だったボーデンマン氏は、エムスケミーの経営者であるあなたが従業員に公平な賃金を払っていないと非難しました。

ブロッハー: ボーデンマンは労働組合と共に、朝5時のシフト交代のときに工場の敷地に入って来て、従業員全員に「ここで働く従業員の給料は、他所のエムスケミー従業員の給料よりも低い」と言った。彼は私の従業員にストライキをするようけしかけたのだ。ボーデンマンは言った。「ブロッハーを政治の場で負かすことはもはや出来ない。ならば、ビジネスの場で叩き潰さなくてはならない」と。彼はベルンで記者会見を開き、「ブロッハーは賃金を不当に低く抑えている」と主張した。この発言でかなり危険な状況が引き起こされる可能性があった。

ブロッハーとボーデンマン
ブロッハー氏(左)とボーデンマン氏 Keystone

スイスインフォ: 当時は景気が後退していました。経済危機のときに外国に門戸を開こうとする人はいません。それがEEA反対派の勢いを強めることにつながりました。

ブロッハー: その通り。経済危機になると、企業は手堅いところを抑えようとする。同時に政府も景気後退について議論していた。政府にとって、EEA参加は危機の終わりを約束するものに見えたのだ。

スイスインフォ: そしてあなたはちょうどこの時期に、企業家として成功を収めていました。

ブロッハー: 私は輸出企業経営者の例として引き合いに出されていた。私が鎖国的だとは誰も言えなかった。私は世界を知っていたのだ。そこで、私の成功を逆手に取って、私が資産家であることを非難する人も現れた。だが一般の人たちは、私が企業家として富を得ていることに気を留めなかった。

スイスインフォ: スイスでは当時、政治的議論が激しくなり、二極化の兆しが見えていました。

ブロッハー: 二極化は早急に必要なことだった。西欧諸国では今、国民が既存の政治勢力に反旗を翻しているが、スイスはこの点において先を行っていた。

スイスインフォ: つまり政治運動が台頭し、それまでの政治勢力図が崩れているということですか?

ブロッハー: そうだ。米国のトランプ大統領はいわゆる共和党員ではなく独自の運動を率いている。同じことがフランスのマクロン大統領やイタリアの政治活動家ベッペ・グリッロ氏にも言える。

スイスインフォ: その観点から言えば、あなたも政治運動を率いています。

ブロッハー: 特にEEA反対運動には多くの人が賛同した。国民党に新しい支部ができ、他党から移籍する人たちも出た。

スイスインフォ: そして国民党はブロッハー運動の担い手になったと?

ブロッハー: 私はもちろん国民党に強い影響を及ぼした。だが私はいつも、それが派閥のようにならないよう努めてきた。私たちは自分たちのことではなく、スイスについて議論してきた。方向性の定まらない既成の政治勢力に対し、批判を行ってきたのだ。そのため状況は安定し、極右はあまりいない。

スイスインフォ: 国民党はEUにお礼を言わなければならないかもしれません。EUがなければ、国民党は今ほどの勢力には達しなかったでしょう。

ブロッハー: その通り。私たちだけが、スイスの独立性と自治を守ることを基本にしていた唯一の政党だからだ。

スイスインフォ: あなたは自己資産も投入しています。

ブロッハー: 党に資金提供したことはないが、国民投票のキャンペーンには確かに資金を出した。 

スイスインフォ: EEA反対運動に投入した金額を覚えていますか?

ブロッハー: 覚えていない。

スイスインフォ: もし覚えていたとしたら、金額を話しますか?

ブロッハー: 数百万フランの金額だった。

スイスインフォ: 千万フラン単位には達していませんか?

ブロッハー: 違う。総額でたぶん100万から200万フランを払った。

スイスインフォ: 500万フランではありませんでしたか?

ブロッハー: 500万フランは国民投票のキャンペーンにかかった総額だろう。私たちには寄付金もあった。小額寄付も多かった。1992年当時の私にはそれほど資産はなかった。

ブロッハー氏
膨大な資産について「自分では分からない」と語るブロッハー氏 Balz Rigendinger

スイスインフォ: あなたの家族はスイスで最も裕福な10人の中に入っています。これだけ多くの資産があると、誇らしげに思うものでしょうか?それとも、ありがたみを感じるものでしょうか?

ブロッハー: 自分では分からない。

スイスインフォ: ですが、例えば「これは今の自分には都合が悪いから、反対運動に数百万フランを投入しよう」と簡単に言えますよね?

ブロッハー: いや、そんなに簡単にお金は出せない。なぜ私の家族にこれほどの資産があるのか?それは企業価値が高いからだ。良き企業家は裕福でなければならない。企業家が貧しいことほど悲しいことはないが、実際にそういう人はいる。企業家が貧しいということは、その人の企業には価値がなく、破綻するということだ。

スイスインフォ: つまり、あなたは誇らしげに思っているのですね。

ブロッハー: 誇りではないが、満足している。私は当時、エムスケミーの株式の過半数を市場価値約1億フランで取得した。私はこの会社を救ったのだ。同じ企業でも、今では市場価値が総額約170億フランある。

ブロッハー
「国民の声は神の声ではない。だが国民が決めたことは従わなければならない」。トゥールガウ州で行われたキャンペーンでのブロッハー氏 Keystone

スイスインフォ: 現在の私たちはEUの状況を知っています。欧州には未解決の問題が山積みですが、そんなEUを見てほくそ笑むことはありますか?

ブロッハー: EUの状況が悪くなればいいとは思っていない。EUには安定してほしいと思っている。私はずいぶん前に「EUは集権的な連邦国家か、分権的な緩い国家連合のどちらかに発展する」と言った。後者であればスイスも参加するだろう。EUが後者の方向に発展することをつねづね願っている。だがEUは現在、ユーロの価値を守るために集権化の方向に向かっている。そうでないと裕福な加盟国と貧しい加盟国との間で財政バランスが取れないからだ。無論、EUの状況が悪くなるのは好ましくないと思う。

(独語からの翻訳・鹿島田芙美)

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