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歴史を想いながらハイキング – ホーエンレーティエンとカルシェンナ

トラヴェルジーンの吊り橋 swissinfo.ch

暖かくなると雪や氷が溶けてハイキングができるようになる。スイスは整備されたハイキング道が縦横にめぐらされていて、散歩道のように楽なものから登山かと思うくらい勾配のきついものまで、自分の体力にあわせて美しい景色ときれいな空気を楽しみつつ歩く事ができる。私の住まいのすぐ側には、石器時代の遺跡とかつての城塞址がある。ここを歩きながら、地域の歴史について想いを馳せてみたい。

 ライン河沿いには小さな塔や城、またはその廃墟がたくさん残っている。かつて南北ヨーロッパを結ぶ通商路を監視して、通行税を徴収していた名残だ。そのひとつであるホーエンレーティエン(Hohen Rätien)は、小さな城塞址だ。トゥージス(Thusis)や私の住むドムレシュク谷のシルス(Sils im Domleschg)から、南に向かう狭い渓谷の上に立っているのを目にする事ができる。この二つのライン川沿いの村と、ホーエンレーティエンとの標高差はおよそ250mである。実際に村からのハイキング道を歩くとわかるが、勾配がきつく大した荷物を持っていなくても息切れがする。教会や城は高い所に作るものだとはいえ、何もこんなに大変な所に作らなくてもいいのにと思った。

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 昔のこの地域の人びともどうやら同じように考えていたらしい。もっと近くに教会があればいいのにと。先日、地域の歴史について詳しい知人が村々の教会建設の歴史について話してくれた。

 ホーエンレーティエンにある洗礼者ヨハネ教会からは、古い洗礼盤が発掘されている。遅くとも6世紀から1505年までの洗礼の記録が残っている。この一帯、現在ドムレシュク(Domleschg)とハイツェンベルク(Heizenberg)と言われる地域には20ほどの村がある。今はどの村にも少なくとも一つの教会があるが、当時この地域には洗礼のできる教会は2つしかなく、およそ10くらいの村の人びとの洗礼がホーエンレーティエンだけで行われていた。また葬儀もこの教会だけで執り行われていた。つまり、この急な坂を人びとは重い棺を持って登ったのだ。

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 1473年にトゥージスと近隣の三村がイタリアへと通じる交通路のうち、車が通れないほどの悪路であったヴィアマーラ(Viamala)を荷車が通れるように拡張し、その見返りとして運送業務を独占することとなった。アルプス越えのルートは他にもいくつもあったのだが、ヴィアマーラ・ルートは起伏が少なく楽なので、荷車が通れるようになったと同時に通行量が激増した。これによって貧しかった地域の村に多くの現金収入が入る事となった。以前よりも裕福になった三村が競うようにして建てたのが洗礼と葬儀のできる教会だった。これが、この地域の村々で教会がほぼ同じ時期、15世紀末から16世紀初頭に建立された理由である。ハイキングで汗をかきながら急な道を登る時には、さもあらんと思う。

 こうして1000年近く人びとの生活の中心であったホーエンレーティエンは、通行税の徴収をするためと、防衛のための砦としての役割のみを果たす事になった。それも17世紀までで、その後は廃墟となって現在に至る。近年、発掘と修復が少しずつ進み、現在では入場してかつての人びとの暮らしや交通路の歴史についての展示を見学する事ができるようになっている。

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 1965年、このホーエンレーティエンからさらに50mほど標高の高い所で、高圧送電線を建設していた電力会社の作業員が石器時代の遺構と思われるものを発見した。レトロロマンシュ語で「昇る月」を意味するカルシェンナ(Carschenna)と呼ばれる遺跡である。大きな岩の表面に人の手による200もの図形が刻まれたもので、一番古いものは青銅器時代に当たる紀元前1500年ごろに刻まれたと推定されている。一番目につくのはいくつもある同心円状の図形で、他にもカラスの足跡のように見えるもの、動物のようなもの、太陽のシンボルなどがある。なんらかの儀式に使用されたと考えられているが、未だにはっきりとはわかっていない。

 このあたりは夏の間に牛の放牧されるアルプになっている場所で、人里から離れている。氷河期が終わり、ライン河によって侵蝕された谷は断崖絶壁となった。そのために人びとの住む村ははるか下方の谷底になったが、その昔の人びとが大変な労力で岩に刻んだ図形は、誰にも知られずにひっそりとこの山の中に残った。ロマンを感じる遺構だ。汗だくになったがこれを見るために頑張って登ってきた甲斐があったなと思った。ちなみにレプリカでよければ、この岩に刻まれた図形はグラウビュンデン州都のクール(Chur)にあるレーティッシュ博物館でも見ることができる。

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 さて、ここからヴィアマーラ渓谷までは、これまでの勾配が嘘のように緩やかなハイキング道になる。いかにもスイスらしい小さい野生の花の咲く草原や、木陰が涼しい道を歩いていく。ダイナミックな渓谷美を楽しんで歩いていくと、近年かけ直された大きな吊り橋に差し掛かる。そこからもう少しだけ歩けば、ヴィアマーラに到着する。かつての人びとが通商のために危険を冒して通った場所は、現在は何台もの観光バスが乗りつける夏の観光名所となっている。

 私のハイキングはいつもここで終わる。ここから公道を通ってトゥージスまで歩いて戻る事もできるが、バスも通っている。時間と体力が許せば、数日かかるがさらにイタリアへと歩いていく事もできる。まだ実現できていないが、いつかはこの道を通ってイタリアまで歴史を学びながらハイキングをする、歩く休暇にトライしたいと思っている。

ソリーヴァ江口葵

東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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