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気候変動は人権への脅威?

「環境を守るシニア女性の会」は、スイス政府が気候保護に十分に取り組んでいないと非難する。写真は総会の様子 Keystone / Lukas Lehmann

シニア女性で構成されるスイスの団体が、スイスの気候政策は「生存権」を侵害しているとして、欧州人権裁判所に訴訟を起こした。

このコンテンツは 2020/12/15 09:00

「気候変動に関する緊急対策の必要性は、もうずいぶん前から分かっていたことだ。それなのに私たちは何もしてこなかった。政治家が動かないのであれば、正義が介入するしかない。生存と健康の基本的人権が脅かされているのだから」とアンネ・マーラー氏(72)はswissinfo.chに語る。

スイスの「環境を守るシニア女性の会他のサイトへ」の共同会長を務めるマーラー氏は、ストラスブールの欧州人権裁判所の建物前で「強く感情を込め、たくさんの希望を持って」一連の訴訟内容をアピールし、10月末にスイスに帰国した。これは単なる象徴的な行為に終わるかもしれないが、欧州人権裁判所の前で気候保護をめぐるスイス政策の失敗を糾弾するという、決定的で具体性の伴う行動だった。

スイス政府による温暖化対策の目標設定が不十分なのは、スイス連邦憲法と欧州人権条約にある「生存権」の侵害にあたるとマーラー氏は言う。年配女性として、地球温暖化には特に危機感を募らせている。「これは自分勝手な行為ではない。我々の勝利は、全ての人の勝利につながるのだから」

「環境を守るシニア女性の会」の共同会長の2人(左:アンネ・マーラー氏、右:ローズマリー・ヴィドラー・ヴェルティ氏)。2020年10月27日、欧州人権裁判所前にて Keystone / Leandre Duggan

何がマーラー氏をストラスブールの欧州人権裁判所の建物前へと駆り立てたのか。それを理解するには数年前にさかのぼる必要がある。正確には2015年6月24日、「革命的」と言われた判決が下された日だ。

オランダ最高裁の判決

当時、緑の党の下院議員他のサイトへだったマーラー氏は「ちょうど二酸化炭素(CO2)の排出量に関連した法の改正や気候政策に全く進展が見られないと議論していた」と振り返る。「そんな時、オランダからこのひらめきを得た」

マーラー氏が言っているのはオランダのデン・ハーグ地方裁判所が下した判決のことだ。環境団体ウルヘンダ財団の支援する886人の市民グループは、CO2排出量の削減をめぐり、オランダ政府にさらなる努力を求める訴訟を起こした。そして裁判所は団体の要求を受け入れる判決を下した。

この判決は、裁判所が国家に国際的な気候変動協定を守るよう命じた初の判決だ。やがて2019年12月、オランダ最高裁もその内容を認めた他のサイトへ

「オランダは海面上昇の脅威に直面している。これはスイスにはない問題だが、この国もアルプスなどで特に温暖化の影響を受けている。氷河や永久凍土が解けると地滑りの危険性が高まり、山間部の村や住民への大きな脅威となる」とマーラー氏は言う。

2016年8月、スイスの「環境を守るシニア女性の会」は自然保護団体グリーンピースの協力で設立された。「スイスでは集団訴訟を起こせない。そのため気候変動、特に熱波の危険に最もさらされている人々を結集した協会を設立した」(マーラー氏)

男性よりも影響を受けやすい女性

連邦内務省保健庁によると、65歳以上の高齢者が最も熱波の影響を受けやすい。2003年夏の猛暑の際、この年齢層の死亡率は急激に上昇し、スイスでは975人、欧州では7万人以上が死亡した。世界保健機関(WHO)が引用した研究他のサイトへによると、女性は男性よりも影響を受けやすい。

お年寄り、特に慢性疾患を抱える人は喉の渇きを感じにくいうえ、高温にも弱い。体温の調整機能が低下しているため、熱波の影響を最も受けやすい Keystone / Jean-christophe Bott

「環境を守るシニア女性の会」は、高齢男性や病人、子供たちも熱波や地球温暖化の影響で苦しんでいることを認識している。しかし、年配女性に対象を限定することで、法律レベルでの成功率が高まるという。「それでも結果的には、全ての人に利益をもたらすことになる」とマーラー氏は強調する。

当局は申請を拒否

会員の女性らはすぐに行動に出た。設立総会からわずか数カ月後、協会は正式に連邦当局に申請書を提出。スイス政府に対し、2020年までに排出量を少なくとも25%削減し(政府目標は20%)、2030年までにより野心的な政策に取り組むよう求めた。

そうしなければ地球の気温上昇を2度未満に抑えるという目標は達成されず、高齢女性の健康と生活を危険にさらすことになると警告した。

しかし連邦環境・運輸・エネルギー・通信省(UVEK/DETEC)は原告側の要請には応じないとの決断を下した。これを受け、同協会は次に連邦行政裁判所(BVGer)に訴えた。

しかし連邦行政裁判所も、「65歳以上の国民が気候変動の影響を受ける唯一の年齢層ではない」という理由で訴えを棄却。女性会員らは諦めずに、今度はスイス連邦最高裁判所(BGer)の門をたたいた。

「司法の介入が必要」

しかしスイス最上位の法的機関である連邦行政裁判所も、「気温上昇を2度未満に抑える」目標のタイムリミットはまだ先の話で、達成できないとは言い切れないとの見解を示し、ここでも原告側の要求は取り下げられた。

残念ながら、スイスの裁判官たちには「気候分野における基本的権利の尊重」という根本的な問題に向き合う勇気が欠けていたのかもしれない。「ストラスブールに行く決心をしたのはそのためだ」(マーラー氏)

「環境を守るシニア女性の会」は、約1700人の年金受給年齢の女性会員で構成される。人権問題や環境問題を欧州人権裁判所に持ち込んだ最初の団体に数えられる。しかし、裁判という手段に踏み切った団体は他にもある。

世界中で訴訟の動き

ロイター通信他のサイトへによると、「裁判所は気候変動の問題に取り組むためにますます重要な機関になっている」とペンシルベニア州立大学法学部長のハリ・M・オソフスキー学部長は述べた。

オランダのケースに続き、他国の政府に対しても法的措置がとられた。それにはカナダ、コロンビア、ドイツ、フランス、ベルギー、英国、ノルウェー、ニュージーランド、インド、メキシコが含まれる。

既にいくつかの訴訟は実を結んでいる。7月末、アイルランドの最高裁はアイルランド政府に対し、気候政策で不十分と判断した一部内容の見直しを命じた。ごく最近のケースでは、先月19日にフランス国務院がパリ政府に対し、「2030年までに排出量を4割削減する」という目標が実現可能かどうか、遅くとも3カ月後までに実証するよう最後通牒をつきつけている。

「気候協定や環境協定の大半は、最も緊急性の高い環境問題を解決するには不十分だ」とセライナ・ペーターセン氏は報告書他のサイトへに書いている。ペーターセン氏は政府の外交政策に関するシンクタンク「フォラウス(Foraus)」が主導するプログラム「外交とグローバルプレーヤー」の共同ディレクターを務める。

同氏は、環境に関する法の支配を強化する必要があると言う。「そのためには、環境問題を取り扱う国際法廷の能力を高め、環境法の原則と範囲を明らかにし、判決が実際に守られ実施されるように強化する必要がある」

欧州と世界の前例

欧州人権裁判所が訴えの許容性を決定し、もしかしたら判決が下りるのを待つ間(場合によっては数年かかる)、マーラー氏は確信している。「裁判所は、気候変動と人権の関連性をより真剣に受け止めるようになってきた。国連の人権高等弁務官他のサイトへでさえ、気候変動が人権を脅かし、国はその脅威から国民を守るべきだと発言している」

グリーンピース・スイスの気候専門家であるゲオルク・クリンガー氏は、欧州人権裁判所が「環境を守るシニア女性の会」の訴えを取り上げる可能性は高いと考える。そうなれば「欧州や世界の初の前例」を作ることになる。

ザンクト・ガレン大学のライナー・シュヴァイツァー教授(公法学)も、この訴えにはチャンスがあると考える。欧州人権裁判所では通常、訴えの圧倒的多数を却下するが、人権条約のいくつかの条項の解釈と適用という観点から、スイスの事例は根本的な問題に関わっている。「そのため、裁判所が訴えを取り上げる可能性は非常に高いと思う」と同氏はドイツ語圏のスイス公共放送(SRF)のラジオ番組で語った。

(独語からの翻訳・シュミット一恵)

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