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長い余生を送る作男たち

コッピゲン ( Koppigen ) 市のエシュベルクにある「奉公人ホーム」のお年寄り Keystone

ベルン州には、100年も前から、作男や作女だった人々のための老人ホームがある。エシュベルク( Oeschberg ) にあるこのホームでは、農家で働き続けた人々が、慣れ親しんだ環境で余生を送っている。

このコンテンツは 2006/07/27 15:26

元奉公人への訪問は、スイス農業の機械化が始まる頃に戻る旅でもある。

夏のある暑い日。「奉公人ホーム」に住むお年寄りたちは日陰に腰掛けてうつらうつらとしている。作男や作女だった頃には絶対にできなかったことだ。だが、比較的若いお年寄りは当時と同じように仕事に精を出している。いまはグリンピースやサクランボ、スグリの収穫時期だ。このホームは農家でもある。ここの住人は、慣れ親しんだ仕事に今もなお専念できるのだ。

作男、パウル

その昔、作男だった男たちは、ほとんど無言で家畜小屋と物置小屋の間をゆっくりと、まるでスローモーションのように行き来している。こののんびりとした風景は、すぐそばを走る幹線道路の旧ベルン・チューリヒ街道とまったく対照的だ。その路上をトラックが轟音を上げて走り抜けていく。つい2日前、この老人ホームの住人が横断歩道ではねられて死亡したばかりだ。「惜しいことをした」と、元作男たちは口々に言う。「養老年金もほとんどもらわずになあ」

向かいの家畜小屋からパウルが出てきた。片足を軽く引きずっている。ここではよく見かける風景だ。こんなふうにして、彼は何十年も家畜小屋から脱穀場へと足を運んだ。そして今、私が座っているテーブルへと同じ足取りで近づいてくる。

「わしに聞きたいことがあるそうだが、何でしょうかな」。そういいながらパウルは腰を下ろす。 「ええ。実は、穀物を束ねるときに使う縄にはどうして片方の端に木の皿がついていたのか、いまでもわからないままなんです」。こう質問すると、パウルは笑って答える。「穀物を束ねるときには、縄をその木の皿に何重にも巻かんとなりません。じゃが、そうしておけば、脱穀するときにはそこを引っ張りさえすれば縄がするりと解けるようになっておるんですよ」

パウルはベルン州ヘルツォーゲンブッフゼー ( Herzogenbuchsee ) からほど近いオシュヴァント( Oschwand ) に住んでいた。画家のキュノ・アミエが住んでいた町だ。パウルはアミエをよく知っていた。「いつも夕方の5時から6時まで居酒屋にいて、何かしら飲みながらみんなでワイワイやっていたもんです」

パウルはおよそ60年に渡って親方の下で作男として働き、3世代の交代を経験している。

「わしらが住んどるのはスイスだ」

「わしは子どものときに奉公に出されました。しかし、そういう子どものことはだいたい少々大げさに言われるもんです。わしの知り合いの多くは満足して暮らしておりましたよ」

もちろん、そんな人ばかりではなく、里親のところで苦労した人々もたくさんいる。「でも、わしらが住んでおるのはスイスです。法律もちゃんとある。子どもが奴隷の代わりに使われていたら、きっと当局が介入したでしょう。学校にも、実の親からひどい扱いをされていた級友がいたものです。わしらは、いわば慣習みたいなものだったんでしょう。わしの両親には子どもが7人おりました。全員を食わしていくことが無理なことはわかっておったのです。その傍らでは、農家が新しい労働力をてぐすね引いて待っておりましたしなあ」

労働組合

パウルは小学校4年生のときに奉公に出された。彼の両親はパウルを農家に引き渡した。別れはまったくつらくなかったという。「家を出にゃならんことはわかっとりました。それに、奉公先の待遇もよかったのです」。この里親のところには、それから60年以上「滞在」することになる。

私たちの会話につられてクリスティアンが同じテーブルにやってきた。「わしは奉公に出されたわけではないが作男になった口でね。学校を終えた後、下働きでいろんな会社に勤めて、それから作男になったんだが、嘘じゃない、自然の中での仕事を辞めて退屈な工場生活に戻るなど、絶対にいやだったなあ」

ここでパウルが、作男たちでつくった一種の労働組合「オヒレンベルク/グラスヴィル( Ochlenberg/Grasswil ) 奉公人組合」について話し出す。組合ではただ一緒に時間を過すだけではなく、賃金や自由時間、それに休暇や社会福祉についても話し合われた。「親方作男の間がうまくいかないときは、スイス農業・酪業家協会まで話を持ち込んだものです」しかし、そう言うパウル自身が契約を必要としたことは一度もなかった。

「雪かき祭り」

そうこうするうちに、話題はいつの間にか「雪かき機」に移った。パウルの目が輝く。冬になると、道路や小道の雪は、6頭もの馬で引かなければならないほど大きくて重い木製の三角定規を使ってかき分けられた。

そんな雪かきはたいていお祭りのようだったという。「わしら作男と雪かきの親方がその三角定規の上に座るんです。そうやって、農家1軒の雪をかき終わるたびに強い酒を1杯ずつもらうのですよ。それでもって、わしらがやってくるのを待っている農家は山ほどあったんですからねえ」

馬車からインターネットへ

「わしがここで話したことは、どこに載りますか?」と、唐突にパウルが尋ねる。私がインターネットだと答えると、クリスティアンが再び口を開く。「インターネットが何か、わしが知らんなどと思わんで下さいよ。義理の弟にちゃんと見せてもらったことがあるんですからね」

パウルにとってもインターネットは未知の存在ではない。彼は馬からトラクターへ、穀物結束機から刈り取り脱穀機へと発展する変遷を見てきた。農業の機械化をすべて体験しているのだ。「今じゃあ、1人で何でもできる。わしらはもう必要とされておらんのです。作男は死に絶えてしまいますよ」

こうして私たちが近代までたどり着いたとき、不意に鐘の音が大きく響いた。パウルが「4時の休憩の鐘です」と言うやいなや、辺りがざわざわと動き出す。みんな、食堂へおやつを食べに行く。おしゃべりも終わりだ。

食堂へ続く階段へと四方八方から人が詰めかける。誰かが階段の一番上でくるりと振り返って言った。「47年と49年はひどいかんばつだったんですよ」

swissinfo、ウルス・マウラー、エシュベルク「奉公人ホーム」にて 小山千早(こやま ちはや)意訳

キーワード

エシュベルク奉公人ホームを題材にした写真集『作男と作女( Knechte und Mägde )』をアンドレアス・レーク( Andreas Reeg )が発表。
同写真集には「入居者の要望に応えるホームでの質朴な老人の生活」が収められている。
発行元はベンテリ出版社( Verlag Benteli )。

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補足情報

<エシュベルク「奉公人ホーム」の概要>

- 定員43名。高齢者や介護を要する人々、特に以前農家で奉公していた人々 ( 作男 ) を収容。

- 建物はベルン州エシュベルクの農家で、高速道路のキルヒベルク( Kirchberg ) 出口から約4キロ。

- 同ホームは、1903年および1905年に亡くなったフェルディナントとエリーゼ・アフォルター兄妹の財団が1906年に創設。

- 約6ヘクタールの小さな農耕地と11ヘクタールの森を所有。

- もともとホームの滞在費は無料だったが、現在では1人1日55〜95フラン( 約5000〜9000円 )の費用を支払う。生活は自給。

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