IV アルプス -4-
山靴とルックサックのこと
村には、ヨーロッパの登山界で最も尊重された山靴造りの名人がいた。その名をアマハーといい、頑固な老人であったが、名声に違わず立派な山靴を造った。足によく合っていてそれで当るところがなく、表皮は鋭い岩角に当っても裂けるようなことはなく厚くて柔軟であり、底は固く締めた丈夫な皮を、三枚乃至四枚重ね、それに鉄製の鋲が打ってある。紐は鯨皮て作ったものであった。私はイギリスの山歩きに使ったロンドンで求めた山靴があったが、それはもはや損傷していたので、アマハーに新規に求めた。かくして草鞋履きで故国の山を歩いていた私は、本格的な山靴を履くことになった。
またルックサックは、ベルンの運動具店などには、いくらでもあったし、また都会人の日常の買物にも使われているので珍しいものではなかったが、これも品質や形などいろいろあった。このルックサック作りの名人がグリンデルヴァルトにいた。キスリングといって馬具とか牛の頸輪などを作っているが、この人の作るルックサックは、当時スイス第一の評があった。グリンデルヴァルトのガイド達の使うルックサックは、みなキスリング製であった。このルックサックは材料のキャンバスが丈夫で、背負皮も上質であり、特色は背によく付いて背負い易いことであった。
日本でキスリング型といっているルックサックは、私が持って帰ったものを見本にして作り出したものである。三十年後に再びキスリングを訪ねたが八十二歳の老齢でも、昔と変りなく、キャンバスの前掛を着けて仕事をしていた。君の名のルックサックが日本で使われているといったら、別段感動するでもなく徴笑していた。キスリングのルックサックの勝れているのは、ガイドたちの経験の結果を取り入れたものなので、市販のものと違うのは当然であった。
一通りの道具が揃うと私は、雨の日以外は弁当をもって附近の山歩きを始めた。グロッセシャイデック、ファウルホルン、メンリッヘン、クライネシャイデックなど飽かず歩き廻って体を鍛えながら、目の前に立つアイガーやヴェッターホルン、フィシャーヘルナー、シュレツホルン、フィンスターアールホルンなどを眺めていた。アルプスの氷河や地質地形については、ティンダルとかアガシの著書に学んだ。
毎日ひとりで山を歩いている私は、小さな村では人目についたと見えて、最初に私を訪ねて来たのは小学生であった。日本の切手が欲しいのであった。村で人々は道で行き交うときはきっと今日はと挨拶した。こんなことをしているうちに村に雪が降り根雪になって冬に入った。子供たちはトボガンやスキーを使って通学するようになった。
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