VIII 秩父宮殿下の思い出 -1-
殿下のアルプスご登山
大正十四年(一九二五年)はアルバータのことで過ぎたが、翌十五年正月、細川氏に誘われて再びヨーロッパに渡った。その頃、秩父宮殿下はオックスフォード大学におられた。五月に、秩父宮お付きの林権助氏から促されて私はスイスからオックスフォードヘ行った。
パリから飛行機に乗ったが、それは布張りの複葉機であった。二枚の主翼を繋ぐ細い鉄線がぶるぶる震えているのを覚えているが、そのうちに機関に故障を起し油が流れ出した。この故障のためドーヴァー海峡にさしかかる前、芋畑に不時着し、パイロットは近くの村に駆けていって連絡すると別の飛行機が来てそれに乗り換えロンドンヘ渡った。この時代の飛行機は軽いから、このような便宜もあったのであろう。
林氏の話は殿下がこの夏アルプス登山ご希望であるので、私に案内を引き受けよとのことであった。私はウェストン師とも相談の上、お引き受けすることになり、ロンドン滞在の松方三郎君と準備に取り掛った。
当時ヨーロッパの登山界では、ロンドンのアーサー・ビールのアルパインクラブロープが最も信用あるものであった。材質はマニラ麻であったが、絹が最高のものであることは知られていた。私たちは、アーサー・ビールの店に行って四〇メートルの絹の縄を注文した。私たちにとって絹はそう珍しいものではなかったが、ヨーロッパでは貴重品であっただけに店は驚いたようであった。その他に麻製の登山縄も充分に用意した。この時代の登山用具はアーサー・ビールの縄の他に、靴のジェームス・カーター、テントのシルバー・エディングトン、エヴェレスト服地のキッド、写真機のシンクレアなど何れもロンドンの山道具の有名店であった。私は六月下旬、一行に要する山案内人の選定や、その他の準備のためスイスに渡った。
この殿下のご登山は、お立場を別にしてこの夏、アルプスで最も活躍した一行であり、ヨーロッパ登山界に高く評価されたものである。当時御用掛として行を共にされた学習院教授渡辺八郎氏の記録(『山岳』第二六年第一号記載)に拠って述べたい。
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