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精神障害と闘いながら独創性を発揮した画家、アロイーズ・コルバス

ヴォー州立美術館で開かれている特別展「アロイーズ。太陽の下で飛び跳ねる(Aloïse. Le ricochet solaire)」の会場 Nora Rupp

既存の概念に縛られることなく独自の手法で絵を描いてきた画家、アロイーズ・コルバス。彼女の変幻自在な作品は、精神障害との長い闘いから生み出されてきた。もし薬物治療を受けていたら、アロイーズは何も描けなかったかもしれない。

 ローザンヌでは今夏、アロイーズの展示がアール・ブリュット・コレクション(la Collection de l’Art Brut)とヴォー州立美術館で開かれるなど、アロイーズの作品に注目が集まっている。

 こうした中、彼女の独創的な才能は現代の薬物治療を受けても変わることがなかったのかと、想像を膨らます人も少なくない。抗精神病薬や抗うつ剤のおかげで苦しみを緩和できた人は大勢いるが、同時に創造力をとたんに失ってしまう人も多いからだ。

 これまで薬が創造力に与える影響について、あまりはっきりしたことは分かっていなかった。だが、スウェーデンのカロリンスカ研究所(Karolinska Institute)は2010年、ドーパミン受容体の働きが弱いと、異常な結合が脳内で起きやすいという研究結果を発表した。

 それによれば、抗精神病薬はドーパミンの量をコントロールするため、予期せぬ(クリエイティブな)結合ができにくくなるという。

 アロイーズは32歳で統合失調症のため、精神病院に入院。苦悩を追い払おうと独自の世界を作り出し、46年間、それを紙の上に描き続けた。

 「今だったら、アロイーズが入院させられることはないだろう」。そう話すのは、アール・ブリュット・コレクッションの学芸員パスカル・マリニ氏だ。「現代の治療法であればアロイーズは薬を処方されるため、彼女の独創力を存分に発揮できるような守られた環境は失われていただろう」 

「永久のエクスタシー」

 アロイーズが絵を描き始めたのは、1918年に精神病院に入院してすぐのことだった。最初は隠れながら古紙にバラバラな考えを書いた。その後、色鉛筆や大きな紙をもらうようになり、自身の特徴的な絵を描くようになる。

 「アロイーズは自分だけの世界を作り、世界の創造者デミウルゴスとなった。(精神障害という)苦悩から逃れるには最高の避難先だった」とマリニ氏は語る。

 アール・ブリュット・コレクションが今回、アロイーズの作品を展示するのは、「同じような病を抱える人たちが苦悩に立ち向かう際、創造力が重要な役割をすることを紹介したかったからだ」とマリニ氏。

 アロイーズ自身、創造力を「不思議なもの」で、「永久のエクスタシー、唯一の源」と呼んだことがある。

 既成概念に捕らわれない、独創力あふれる芸術の形「アール・ブリュット(Art Brut)」を提唱したフランス人画家ジャン・デュビュッフェも、創造力が心の苦しみを和らげる効果があると認めている。デュビュッフェは約20年にわたりアロイーズの作品を見守り、スイスにいる彼女に会いに行くことも度々あった。1964年にアロイーズが亡くなった時、デュビュッフェは「芸術が彼女を癒やしたのだ」と話している。

 アロイーズの作品をデュビュッフェに紹介したのは、ジャクリーヌ・ポレ・フォレル医師だった。当時は医学生だったポレ・フォレル氏はアロイーズの絵を見て、すかさず彼女の特異性を見抜いた。

 アロイーズと出会った1941年以降、ポレ・フォレル氏はアロイーズと外の世界とをつなぐ窓となり、その後10年間はアロイーズの爆発的な創造力を促す存在となった。「彼女は私の関心を心で感じることができた」と、ポレ・フォレル氏は語る。

絵の中に生きる

 ポレ・フォレル氏が率先してアロイーズの認知度を高めていった結果、日本でもアロイーズの展覧会が数回開かれるほどになった。現在96歳のポレ・フォレル氏だが、アロイーズへの情熱は衰えることを知らない。最近はオンライン版解題目録も作成した。「アロイーズが私を前に進ませてくれる」と笑顔を見せる。

 「彼女は、自分の絵になってしまいたいと思っていた。肉体から切り離された感覚があったアロイーズにとって、(絵を描くことで)自分の存在感を認識し、肉体を再び手に入れることができた。そのため、自分が描いた花や動物が自分を象徴していたとき、アロイーズはこの上なく喜んだ」

 ポレ・フォレル氏もまた、1950年以降に普及した抗精神病薬がアロイーズに投与されていたら、アロイーズは全く違う人生を歩んだのだろうと確信している。「抗精神病薬は心の世界を一変させる」

 もし投薬されたとしたら、アロイーズは違った絵を描いただろうと想像するポレ・フォレル氏だが、医師としては、精神障害を患う人に薬を与えないのは正しくないと考える。

 反対の意見を主張したのは、「叫び」で有名なノルウェー画家のエドバルド・ムンクだ。「(私の苦悩は)私の一部であり、私の芸術の一部でもある。(苦悩は)私そのものであり、(治療は)私の芸術を破壊するだろう。私は苦悩を抱え続けたい」

 一方、アロイーズの場合はムンクとは若干違うと、ポレ・フォレル氏は付け加える。デュビュッフェもそう言ったように、アロイーズの並外れた才能は彼女の心を癒やしたからだ。

アート・セラピーではない

 ただ、精神障害と芸術との関係にまつわる誤解は解かねばならないと、ポレ・フォレル氏は言う。「一般的には、精神障害を患う人の方がそうでない人たちに比べて芸術家が多いと考えられているが、それは違う。また、アール・ブリュットの芸術家になるのは精神的に不安定な人だけというわけでもない。私が長年、ジャン・デュビュッフェの著書を研究するなどして分かったのは、アール・ブリュットの芸術家は目でなく、心で世界を見る人たちだということだ」。こうした芸術家の中には霊媒師も含まれるという。

 アール・ブリュットの芸術家は、心の中のイメージを身近な支えに移す。こうした一方行だけを向いた制作作業は、見るものと描くものとの間で行き来する従来の芸術家のやり方とは全く異なる。この点において、アール・ブリュットをアート・セラピーと混同するのは間違っているという。

 果して、現代の投薬治療はアール・ブリュットの終焉を意味するのだろうか?ポレ・フォレル氏は「アール・ブリュットは運動ではなく、概念だ」と言う。「私たちとは違う心の中のイメージを持つ人は、常に存在するのだ」

アロイーズ・コルバス(1886年~1964年)はローザンヌに生まれる。オペラ歌手を夢見たが、子どもの教育係としてドイツ・ポツダム(Potsdam)のヴィルヘルム2世の宮廷で働く。

1913年にスイスに戻ったアロイーズは、反軍的な主張を叫ぶようになり、次第に妄想が激しくなっていく。1918年に精神病院に入院し、終生をそこで過ごす。

アロイーズは色鉛筆で絵を描き、鉛筆で輪郭を強調した。ゼラニウムの花を使って赤の色合いを豊かにしたり、歯磨き粉を加えたりしたこともよくあった。視力が悪くなり、1950年代末には色鉛筆からクレヨンに変えた。

これまで知られているアロイーズの作品は834点。その多くは両面に絵が描かれており、20点は長いトイレットペーパーに描かれている。ローザンヌではスケッチブックを含む300点が展示される。

作品にはエキゾチックな花や動物が登場する。他にはナポレオン、ローマ法王、オペラに登場するヒロイン、メアリー・スチュアート、アブラハム・リンカーンなどの有名人も描かれている。

アロイーズ作品のオンライン版解題目録が出版されたことを記念して、ローザンヌのアール・ブリュット・コレクション(2012年10月28日まで)と、ヴォー州立美術館(2012年8月末まで)でアロイーズの特別展示が開かれている。

アロイーズはその豊かなシンボリズムで、アール・ブリュットの三大芸術家に数えられている。

「アール・ブリュット(Art Brut)」はフランス人画家ジャン・デュビュッフェによる造語。アロイーズのように、従来の文化的枠組みに捉えられない、高度な創造力から生まれた作品を指す。

アール・ブリュットの芸術家は心の世界を表現することで、苦悩から逃れようとすると言われている。

デュビュッフェは1971年、アール・ブリュット作品の中でも厳選した4000点のコレクションをローザンヌに譲渡するとの遺言をした。

その2年後、市の中心街にあるボーリュー城(Château de Beaulieu)にアール・ブリュット・コレクションが開館。今ではアール・ブリュットの世界的メッカとなっている。

(英語からの翻訳・編集、鹿島田芙美)

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