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アッペンツェル 吹き上げる水源地

ロッハー・ビールの「樽ビール」。オークの樽で醸造される Brauerei Locher

アッペンツェル・インナーローデン州は面積172.46平方キロメートル、人口1万5300人のスイスで最も小さい州だ。しかし、ここにある企業の最近の勢いは、侮れない。

ゼンティス山から流れる水の貯水池のような場所で水源が豊富な上、酪農が中心の平地には多くの種類のハーブが生育する。こうした自然資源の恩恵を十二分に受けた3つのアルコール・清涼飲料会社は、お互いに交流しあいながら、それぞれ堅調な企業経営を進めている。

わたしもあなたもアルペンビッター

 初夏の平日10時40分。アッペンツェル ( Appenzell ) にある「アッペンツェーラー・アルペンビッター ( Appenzeller Alpenbitter ) 」の工場にドイツから50人の見学者が押し寄せた。予定より40分も遅れての到着に、ボランティアのガイド、アッペンツェーラーさんはやっと笑顔になった。アッペンツェーラーさんは市と同じ苗字だが、この日はそんなユーモア付きの説明は抜き。会社案内の映画を上映した後、ハーブ室へ見学者を案内した。ラベンダー、ローズマリー、カモミールなどを手にとって香りをかぐ人たちに向かってアッペンツェーラーさんは説明する。
「アルペンビッターは、42種類のハーブから作られます。当初は43種でしたが、アルペンローゼは保護植物に指定されたため、42種となったのです。配合や作り方は極秘情報で会社でも2人しか知りません。書類は銀行の金庫に保管されています」

 超特急の説明を受けた見学者たちは、試飲室に誘導されていく。夏季には週末も休まず見学者がバス数台で乗り付けるという。
「もちろん、宣伝効果を狙っての見学コースですが、化学薬品などは一切入れていない自然そのもののリキュールの品質は、わが社の誇りですから」
 と商品マネージャーのシルヴィア・ラシン氏は、無料見学を続ける理由を語る。

 シェア的に見てもスイスを代表するアルペンビッターは1902年、当時20歳だったエミル・エブネッター氏によって作られた。
「食前酒でもあり、消化も助ける。世代を超えて愛飲されています。自然志向が現代のライフスタイルにも受けるようです」
 とラシン氏は宣伝する。口に含むとほんのりと干草の匂いがするが、すぐに甘みと重なっていくつものハーブの香りがうす苦く続く。ラベルも1世紀前の会社創立当時とあまり変わらないレトロ調なことや素材がハーブであることから、薬臭さのイメージを持つ人はスイス人にもいるが、筆者は試飲でその偏見が払拭された。

健康志向でビールを飲もう

 アッペンツェル市を流れるジッター川を挟んで、アルペンビッター社の向こう側にあるのはロッハー・ビール社 ( Brauerei Locher ) だ。創業は1886年だが、全国的に販売を展開し始めたのはおよそ15年前。技術的に保存が利かなかったビールは、地方の特産物という性格が強く、半径13キロメートル以上の遠地での販売は禁止されていた。しかし1992年、こうしたカルテルは廃止された。その途端、スイス国内のビール会社には外資による買収嵐が吹き荒れ、19世紀のスイスには600社あったというビール会社は急激に淘汰され、現在は21社しかない。

 一方、ロッハー・ビール社にとってカルテルの廃止は、スイス全国から国外までに飛び立つチャンスとなった。現在、一般消費者向けに販売するビール会社では2番目に大きいが、1番目の会社は近々ハイネッケンに買収されるという。
「創立からずっと家族経営です。ロッハー家はこの会社を売るつもりはありません。ビールは地方のアイデンティティーであり、文化遺産でもあります。大手資本に組み入れられると、商品は平均化されてしまいます。最終的には世界に1つのビールしかなくなってしまい、文化も1つとなってしまいます。違いがなくなることは良いことではありません」
 経営陣の1人、カール・ロッハー氏は反グローバル化論者だ。

 ビールの消費は消費者の健康志向が高まる中、減少する傾向にあるが、ロッハー社は1994年の1万3800ヘクトリッターから、08年の見込み生産量10万ヘクトリッターまで増産した。従業員も10人から60人に増員。
「ビールはもともと薬だったのです。飲みすぎはいけませんが、ビールのヘルシーさを消費者に知ってもらいたい」
 という方針に基づきスイス最古の醸造法で作ったという有機ビール「ニンカシ・ビール ( Ninkasi Bier ) 」は、体の抵抗力をアップする。「満月ビール ( Vollmond Bier ) 」は陰陽暦に従い満月の日に醸造することで、素材が秘める栄養価をより多くビールに生かすなどといった、付加価値を付けたビールが目白押し。1991年から約20種類のビールが開発され販売されてきた。

 1997年に製造を始めた「アッペンツェーラー大麻花ビール ( Appenzeller Hanfblüte ) 」は麻薬の実効成分であるテトラヒドロカンナビノール ( THC ) を取り除いているので麻薬性はないが「特に年配の消費者の間で会社の評判は、下がってしまった」とロッハー氏は明かす。
「でも、このビールは眠れないときに飲むと良い。「栗ビール ( Castégna ) 」も健康に良いから作っている。大手が作るビールは業績を上げるためにある「工業ビール」。わたしたちのビールは醸造にかける時間も4カ月から16カ月。健康に良いものを飲んでもらいたいから作るビールで、顧客もそのことを知っています」

ロマンチストな女性経営者

 ガブリエラ・マンツァー氏が17年間勤めた幼稚園の先生を辞め、祖父の代から続くミネラルウォーターの「ゴバ社 ( Goba ) 」を継いだのは37歳の時だった。
「アッペンツェルの伝統的会社で、今成功しているこの土地の企業は、1からスタートしたわけではないことが、大きなメリットであると思います。しかし、わたしの会社は、前世代のインフラをまったく新しくするために2年半、2003年まで設備投資が続きました」

 アッペンツェル市の隣村、ゴンテンバート ( Gontenbad ) にあり1576年に記録される古い泉がゴバ社の財産だ。この泉の水がゴバ社の手で販売されるようになったのは今から70年前だ。祖父、父親の代の商品はジュースが中心で、生産量は年間200万本。従業員は9人だったという。マンツァー氏に世代が交代した年は、まさに21世紀になろうとしていた。そしてマンツァー氏も父親の代の経営をまったく新しくし、フレッシュなイメージに商品を変身させた。まず、ミネラルウォーターを、含まれる炭酸の量で3段階に分け「騒がしい ( Laut ) 」、「かすかな物音 ( Leise ) 」、「静寂 ( Still ) 」と詩的に名づけてみた。

 その後、数年でゴバをスイス全土に知らしめた、まったく新しい商品が生まれる。アッペンツェルの自然界に生育するハーブの香りで勝負する新しいスタイルのソフトドリンク・ライン、ブルーテンクエレ ( Blütenquelle / 花の泉の意味 ) だ。2002年にニワトコの花の「フラウダー ( Flauder ) 」、2006年にバラの香りの「ヴォンダー ( Wonder ) 」、1年後にはタンポポの花を使った「ヒンムル ( Himml ) 」と名づけた3つの新製品を次々に市場に出したマンツァー氏は、経営を始めて6年でヴーヴ・クリコの「経営者賞」を受賞するまでに有名になった。生産量も現在1400万本、従業員も30人に膨れ上がった。

 「一番売れているのはフラウダーです。おばあさんの時代にはよく作られたのですが、いまは忘れ去られてしまったニワトコの花のシロップからアイディアを得ました」
 とマンツァー氏は言う。フラウダーはチョウ、ヒンムルは一角獣がシンボルで、ラベルの裏にそれぞれのシンボルをプリントし、丁寧な商品作りを心がけていることがうかがわれる。
「わたしにとって物語やメルヘンは大切です。一角獣がお姫様に水を運んでくるという神話はヒンムルにぴったり」

 マンツァー氏は、売り上げには自身の履歴が大きく役立っているという。彼女のカリスマ性が商品の人気につながっているというはっきりした自覚がある。
「キャリアばかりを目指すのではなく、まったくほかのことをやっていた人間が、このような成果を挙げたといったことが、スイスの女性に勇気を与えたのだと思います。女性参政権が長い間認められなかったこの土地でです」

 2009年にはまったく新しい商品を出す計画のマンツァー氏。ある雑誌の切抜きを示し
「日本語でいうKANSEI ( 感性 ) がとても大切だと学びました」と語る。
「社内が創造的で、良い雰囲気で、良い精神を持って働けることが大切ではないでしょうか。従業員の居心地が良いと、生産する態度も違ってきます。そうしたことを消費者は感じ取るはずだというのがわたしの経営哲学です」

 スイス人の8割が知っているというアッペンツェーラー・アルペンビッター。独立性にあくまでもこだわるロッハー・ビール。スイスで最も小さいミネラルウォーターのゴバ。シンプルだがゆったりとした緑の丘陵の向こうには高山が見える環境の恵みを受ける若い世代の手により、アッペンツェルの経済は大きく飛躍している。

swissinfo、アッペンツェル+ゴンテンバートにて 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ )

<アッペンツェーラー・アルペンビッター社>
毎週水曜日10時から1時間半。予約なしで見学可能。
グループの見学は事前に予約をすること。ドイツ語、英語、フランス語で説明してくれる。いずれも無料。

<ロッハー・ビール社>
2009年末まで、改築工事のため見学はできない。

<ゴバ社>
予約して見学できる。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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