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英金融大手HSBC銀行の巨額脱税ほう助事件

2018年9月11日、スペイン・マドリードの裁判所で行われた自身の「身柄の引き渡し」に関する公聴会後、報道陣のマイクに向かって話すHSBC元IT担当のエルヴェ・ファルチアニ氏。スイスで有罪判決を受けた後も、スペインに滞在を続ける
2018年9月11日、スペイン・マドリードの裁判所で行われた自身の「身柄の引き渡し」に関する公聴会後、報道陣のマイクに向かって話すHSBC元IT担当のエルヴェ・ファルチアニ氏。スイスで有罪判決を受けた後も、スペインに滞在を続ける Copyright 2018 The Associated Press. All Rights Reserved

2008年12月22日を、特別な日として覚えている人はほとんどいないだろう。しかし同日未明、史上最悪の銀行顧客情報の盗難事件が発生した。別名「スイスリークス」と呼ばれるこの事件は、フランスとスイスの関係性をすっかり変えてしまった。

この日、エルヴェ・ファルチアニ氏は、妻と娘を乗せたレンタカーのハンドルを握り、ひたすら走っていた。国境を通過する時も後ろを振り返ることなく、そのままスイスを後にした。車のトランクの中には、複数のPC、CD-ROM、台帳などが積まれている。英金融大手HSBC銀行スイス・プライベート部門IT担当のファルチアニ氏は、ジュネーブのオフィスで数カ月にわたり、10万を超える顧客データのコピーを作成。当初の目的は、このデータを売却することだった。

しかしこの策略は警察当局に察知されてしまう。スイスでは、銀行が顧客情報を漏らすことは犯罪だ。国内にいれば逮捕されるため、同氏は出身地のフランス・ニースへ逃亡する。現地で、すでに面識のあった仏税務当局の捜査員と接触。さっそく訴状が提出され、家宅捜索が行われた。捜査員はすぐに、ファルチアニ氏から提供されたファイルに巨万の富が眠っていることを察知する。そこにはスイスに銀行口座を所有するフランス人9千人分の顧客データが入っていた。そのほとんどが無申告だった。

▼ポッドキャスト・シリーズ『Dangereux Millions(危険な財産)』(仏語)。エピソード5ではHSBC事件を追う

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捜査はまず、ニースのエリック・モンゴルフィエ検察官の指揮で行われる。その後、フランス金融検察局(PNF)に捜査のバトンが渡った。PNFは、ジェローム・カユザック元予算担当相が脱税の現行犯で逮捕され、最終的に有罪となった「カユザック事件」を受けて2013年に設置された。

国際的スキャンダル

HSBCの顧客情報を調査した当時PNFの検察官エリック・ルッソ氏は、パリでの独占取材でこう語った。「この事件の特徴は、世界的な経済・金融界を混乱させた米国のサブプライム危機とほぼ同時期に発覚したことだ。その結果、金融界では常軌を逸した悪習が世界中ではびこり、納税回避や税金詐欺も、悪しき習慣の一側面であるという認識が、世論や政治上の責任者の間で広まった」

しかし、フランスで事件が起訴されないまま、何年もの月日が流れる。国民はこの司法機関の看過にしびれを切らす。2014年、仏日刊紙ル・モンドは、ファルチアニ氏が回収した全データを入手。この時すでに、同氏はスペインに移住していた。

ル・モンド紙は調査のためにこのデータを国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)と共有。米ワシントン拠点の独立系機関ICIJは、その資金力を盾に世界中のメディアを動かし、2015年2月4日、「スイスリークス事件」として報道、スキャンダルは世界中に知れ渡った。

HSBC起訴されず

これは、大規模な租税回避だ。フランスでは複数の有名人が、無申告者として告発された。コメディアンのガッド・エルマレ氏、サッカー選手のクリストフ・デュガリー氏、美容師のジャック・デサンジュ氏、フランス・ジェール県の元上院議員アイメリ・ド・モンテスキュー、芸術家のクリスチャン・ボルタンスキー氏、女優のジャンヌ・モロー氏、そして繊維専門商社タティ(Tati)グループの創業・経営者一族だったウアキ家などが、リストに名を連ねる。

この調査報道を行なった、スイスのメディア企業最大手「タメディア」のジャーナリスト、ティテュス・プラットナー氏は「考えてみると、この事件でスイスが矢面に立ったのは、これが初めてだった」と語る。ICJIの調査の信ぴょう性に疑いが芽生えることはなく、次々と事実が明るみに出て、ついに司法機関もこれを無視できなくなる。裁判所では立て続けに審問が行われた。その結果、手続きに時間がかかるかもしれないが、仏税務局は数億ユーロ分(数百億円)の税金を回収できる見通しだ。

一方でHSBCは訴訟を逃れることができた。同行は2017年、この訴追に終止符を打つためにフランスと「公益のための司法協定」を結び、4千万フラン(約64億円)相当の賠償金を(フランスに)支払った。銀行の元幹部2人は刑事裁判にかけられ、そのうちの1人が有罪。2019年、HSBCプライベート部門のペーター・ブラウンヴァルダー元専務取締役は、執行猶予付き1年の禁錮刑と50万ユーロの罰金刑が科された。一方でファルチアニ氏には、スイスの欠席裁判で有罪判決が下ったが、本人はスペインに滞在したままだ。

*swissinfo.ch、Europe1Studio、 Gotham Cityの共同企画のシリーズ『Dangereux millions 』。スイスが国際的な脱税の舞台となった経緯をたどる。

仏語からの翻訳:中島由貴子

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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