フリブールに残る中世の要塞。フリブールの街を敵の侵略から守るために建設された。10月31日まで一般公開されており、要塞の通路を歩くことができる
Carlo Pisani
2018年の欧州文化遺産年を記念し、スイス・フリブール市を外敵から守るため中世時代に作られた要塞の大部分が一般公開されている。欧州で最も保存状態が良く、極めて価値が高い文化遺産という。
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2018/10/16 08:30
フリブール市観光局によると、フリブールの東側は崖とサリーヌ川が「自然の城壁」の役割を果たしていたため、要塞は都市の西側に作られた。現存するのはその一部だ。
観光客はこの要塞の壁の上を歩いたり、塔に上ったりできる。これらの軍事施設へは通常、立ち入りが禁じられているが、欧州文化遺産年を記念し一般公開されることになった。
中世時代の考古学の専門家、ジル・ボルガレル氏は「特筆すべきは、この防衛施設の大きさだ。保存状態は極めて良く、現存する遺物からかつての壁の全体像が容易に想像できる。これは非常に珍しいケースだ。保存状態が劣る場所であっても、中世の都市の境界線を知るには十分貴重といえる」と指摘する。
全長800メートルに及ぶ要塞の壁の上を歩けば、その大きさをいやがおうにも感じるだろう。要塞の壁としてはスイスで最も長い。
swissinfo.ch
守り、威信、そして警察
フリブールの要塞は14世紀後半から15世紀初頭に建設された。もともとは都市の防御が目的で、特に近隣の都市ベルンからの攻撃を想定して作られた。同時にこれは威信の問題でもあった。
ボルガレル氏は「北側奥にある計8カ所の塔は、必要以上に高く建てられている。弓やクロスボウの射程距離を考えれば、こんなに多くの塔を建てなくても防衛できただろう。これだけたくさんの塔を建てることによって、フリブールは繁栄と力を印象付けたかったのだと考えられる」と分析する。
塔と壁には警察機能も備わっていた。同氏は「浮浪者や、招かれざる客の立ち入りを禁じるため、門は夜になると閉じられた」と話す。
大砲に備えて
このフリブールの歴史遺産が興味深いのは、この軍事施設が15世紀以降、大砲からの攻撃にどのように対処したのかを知ることができるからだ。高く傾斜が急な塔と壁は、砲撃の標的にならないよう後になって低く修正され、厚さを増した。その痕跡は残存する壁から見ることができる。
ボルガレル氏は「中世の高い塔は標的としては理想的だった。砲撃が当たれば塹壕の上に落ち、塹壕が埋まる。本来防衛目的で作られたものが脅威と化してしまった」と説明する。
しかし、大砲を擁するのは攻撃する側だけではない。防衛する側もまた、大砲で対抗した。フリブールには、スイスで最も保存状態の良い珍しい軍事用のとりでがある。半円形で塔や要塞の壁に組み込まれ、そこに大砲が設置された。
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破壊するには高すぎる
19世紀後半、スイスや欧州各地で都市要塞の解体が行われた。大砲の技術的進歩によって要塞そのものが時代遅れになったことに加え、ボルガレル氏は「城壁として機能するためには、市全体を囲まなければいけない。それは不可能だった」と話す。つまり都市の拡大に伴い、要塞が合わなくなったのだという。
フリブールもその影響を逃れられなかった。塔と壁が交通を妨げていた地区で解体工事が始まり、新たな区画ができた。19世紀、鉄道駅周辺でこの近代化の動きがまず起こった。近代都市の中心に残ったのはたった一つの塔。これは墓地のそばにあったという理由で残されたとみられる。
ボルガレル氏は「城壁の残った部分は非常に急なところ、もしくはアクセスが難しい場所だ。取り壊しが材料コストを考えても採算の取れるものではなかったために残ったのだろう」と話す。また「19世紀終盤から20世紀初頭にかけ、この歴史遺産の価値がようやく認識されるようになった」が、「その頃には塔と壁の半分以上が取り壊されていた」と嘆く。
ただ、たとえ一部とはいえ、中世が残したそのすばらしい遺産を見るチャンスでもある。一般公開は10月31日まで行われている。
欧州連合(EU)の欧州議会と欧州理事会は2017年5月17日、18年を欧州文化遺産年 とすることを決定外部リンク した。
同日の決定によれば、18年は文化遺産を文化的多様性と異文化交流の中心的要素と位置づけて促進するほか、遺産の保全、啓発活動に力を入れるとした。
スイスは文化遺産年に参加しており、連邦内務省文化局外部リンク がキャンペーンを支援。1年間を通じ、公的機関・民間によるさまざまな催し外部リンク が行われている。
(独語からの翻訳・宇田薫)
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同書に掲載された12件のルポルタージュには、資産の保管部屋や水力発電所、ハイテクな実験室、病院、トンネル、秘密の洞窟に加え、閣僚のために作られた「トップシークレット」の地下施設など、興味深い内容が収められている。さらに面白いのは、地下施設の建設から垣間見えるスイスの特異な世界観があぶり出されている点だ。
国内最大の地下施設
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スイスは世界を信用していないのか
アウフデアマウアー氏は、この国の隠れた特異性をあぶりだす優れた観察者であり、またその特異性に一定の尊敬を抱いている。スイスの世界観や国民意識は巨大な地下建築と密接に関係し、同書ではこうしたスイスの精神をつまびらかにしている。スイスの地下世界は「地上の世界」に対する同国の心理的反応ともとれるというわけだ。
アウフデアマウアー氏は同書で、文字通り地下深くに目を向けるだけでなく、地下施設と密接に絡み合った国の精神の歴史を深く掘り下げた。スイスはこれほど未来を信用しないのか。大規模な地下施設を目にすればそんな疑問が浮かんでくる。同氏は著書の中で「たとえそうであっても、私はずっと、この地下世界に足を踏み入れたかった。これこそ典型的なスイスの姿であり、隠れた特異性だからだ」と語る。
岩の中の政府官邸
同書では1章を割いて、ウーリ州の小さな村アムシュテーグに建設された、閣僚用の核シェルターを紹介している。
岩盤をくりぬいて作られた設備は驚くようなものだ。もともと第二次世界大戦中、閣僚が「石造りの中枢」に避難できるようにと建設された。同書では「広さは3千平方メートルで、2階建て構造に居住区とオフィススペースがあり、山中に政府官邸も備えられている」と紹介されている。必要な機能と快適さを完備したこの核シェルターでは、寝室を3つのランクに分けている。個室は閣僚用、2人部屋は政府職員、大部屋はその他のスタッフ用、という風にだ。
この地下施設は2002年に「ただ同然で」売却された。同書によると、新しい所有者は核シェルターを金庫に変え、海外の顧客向けに「金、銀、プラチナ、レアアース、現金、芸術作品、ダイヤモンドや貴金属」を保管。「厄介な財政当局の査察が入る心配がない」のを売り文句にしているのだという。
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アウフデアマウアー氏は歴史的な批評に加え、スイスの特異性を細部まで見つめる目を持つ優れた語り手であるだけでなく、ジャーナリストでもある。同氏は「バンカー建設に当たり、1万人が死亡したのは間違いない。少なくとも5万人が生命を脅かされた」と指摘し、「戦時中のような(死者の)数だ。私たちのためにこの『戦い』に生死をかけたのは外国人であり、ここを追悼と感謝の地としてもよいくらいだ」と語る。
(ヨスト・アウフデアマウアー著「Die Schweiz unter Tag(地下のスイス)」、図解付き全144ページ、発行元Echtzeit-Verlag)
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