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「民主主義ランキング」には意味があるのか

貧民に参政権なし 排外的だったスイスの民主主義

Armer Mann beim Suppe essen
貧困層向けに無料提供されたスープを飲む男性。1971年まで貧民には選挙権がなかった。 Walter Studer/Keystone

スイスで民主主義が導入された19世紀当時、参政権から除外されたのは女性だけではなかった。カトリック教徒、ユダヤ人、無神論者、貧民、乱暴者、犯罪者、浮浪者、行政拘禁の適用者など、除外者は多岐にわたる。彼らが民主主義に参加できるまでには幾世代もの時を要した。

1848年に現代のスイス連邦が建国されて以来、この国では有権者の輪が着実に広がっている。

しかし長い間、これを阻むものがあった。建国当初、連邦や州で権力の座に就いていたブルジョワたちは、極めて打算的な考えのもと、政治的敵対者への投票権・選挙権の付与を全力で拒んでいた。参政権から除外されたグループは多数あったが、ブルジョワたちは若干の悪知恵と大いなる執念で、彼らの政治参加を遅らせていた。

狙いは敵対階級

排除の標的にされたのが、カトリック保守派と社会的弱者だった。ブルジョアたちは社会的弱者を対象にして社会民主党にダメージを与えようとしていた。1888年に設立された社会民主党は、労働者階級の利益のまとめ役として政治の舞台に上がった。

周知のことだが、現代のスイスが建国された当初、投票権・選挙権を有したのは20歳以上のスイス人男性のみだった。人口の半数である女性は蚊帳の外に置かれた。

しかし、実際に投票権があったのは全人口の23%だけだった。つまり建国当初のスイスはせいぜい「4分の1民主主義」だった。では残りの人たちはどこに?残りの半数の男性はどこにいたのだろうか?

連邦レベルでの選挙権を得るには、憲法上、「居住の自由」と「納税」の二つのチケットが必要だった。ここで落脱したのがユダヤ人だった。ユダヤ人は1866年まで二つの基礎自治体にしか住めなかったからだ。そして税金を払えない貧民も排除された。特定の納税額に達しなければ、参政権は与えられなかったのだ。

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州が恣意的に除外者を決定

しかし連邦制を敷くスイスでは、選挙法に関しては連邦ではなく州に権限がある。そのため州は独自の都合に沿うよう恣意的に選挙法を定め、選挙権・投票権の除外者を次々とリストに追加していた。

除外グループに含まれていたのは(当時の行政用語によると)貧民、破産者、錯乱者、有罪判決を受けた犯罪者、行政拘禁の適用者、精神病患者、知的障害者、不道徳者など。また他州出身の男性、つまりスイス国内の移住者にも選挙権は与えられなかった。

相続を拒否した人も除外

しかし一部の州にはそれだけでは物足りなかった。ベルン、シュヴィーツ、フリブール、ソロトゥルン、アールガウの各州は、乱暴者、大酒飲み、無銭飲食者など飲食店で出入り禁止を受けた男性を除外した。またジュネーブ州とヌーシャテル州では傭兵が、ソロトゥルン州では物乞いと浮浪者が除外された。ティチーノ州で選挙公約違反者に選挙権が与えられなかったのは、おそらくそうした人物を巡る問題があったからだろう。

ベルン大学のアドリアン・ファッター教授(政治学)は、「もし参政権の拡大が男性による国民投票ではなく、政府や連邦議会を通して決定できていれば、女性参政権はもっと早くスイスで実現していただろう」と語る。

同氏は次のように説明する。「参政権の対象者に新たなグループを加えることに関して我々は矛盾を抱えている。直接民主制が排除と、包摂の引き延ばしを意味するのに対し、代表民主制はプロセスの加速を意味する」

少しかみ砕いて言えば、直接民主制は元祖民主主義ではあるが、参政権の対象拡大がスムーズに進みやすい代表民主制の方がより民主的と言える。

カトリック派のアッペンツェル・インナーローデン準州に至ってはさらに「宗教の授業を十分履修しなかった」男性が除外された。こうして現地の名士たちは罪人や無神論者、または厄介払いしたい嫌いな人間に向けて、冷酷な断頭台を設けたのだった。

そしてヴァレー(ヴァリス)州では、相続を拒否した人には政治参加が許されなかった。貧しい山岳地方の同州では、父親の借金を相続する意志のない人、またはそれができない人は、選挙権および投票権の喪失という罰を受けた。こうして参政権は地位の高い人や裕福な人に残された。

しかし連邦はやがてこうした排除の慣行に我慢の限界を迎えた。そこで連邦政府は1874年の連邦憲法の全面改正で、排除に関する州の権限をはく奪した。憲法の条文を定めた後はそれを実施するための法律が必要だったが、それを巡って反対が起きた。連邦議会は3度も(1875年、77年、82年)関連法案を否決した。

宗派、社会的立場、性別といった3重のフィルターは20世紀以降も部分的に続いた。連邦裁判所(最高裁判所)は1915年、納税額を理由とした選挙権・投票権のはく奪を憲法違反に認定したが、貧民であることを理由とした排除は合憲とした。納税を逃れるために故意に選挙登録をしない貧民が多かったためだ。有罪判決を受けた人や、アルコール依存などが原因で債務があるのに資産をみだりに失った者が投票や選挙に参加できるようになったのは、1971年になってのことだった。

123年かけて3段階

だが排除から包摂へのパラダイムシフトは1874年に始まっていた。

ベルン大学のアドリアン・ファッター教授(政治学)によれば、この年を境に特定のパターンに沿った進展があった。「包摂プロセスは二つの流れに沿って継続的に進んだ。一つは権力分散を目的とした制度の拡大の流れ。もう一つは19世紀末の社会分裂の流れだった」(ファッター氏)

ファッター氏は三つの段階を重要と考える。一つ目は直接参政権、つまりレファレンダム(1874年)とイニシアチブ(国民発議、1891年)の導入だ。「これらの権利を通し、特にカトリック保守派などの宗派グループが徐々に組み入れられるようになった」(同氏)

二つ目は1919年の比例代表制の導入で、労働者と社会民主党の包摂につながった。

それは非常に狡猾だった。急進民主党はスイスに民主国家を樹立した一方、政治的敵対者や気に入らない人物が権力を共有できないよう様々な策に出た。彼らの目標は、権力を共有しなくてもよい仕組みを作るという、著しく問題のあるものだった。これは民主主義国家スイスの先駆者、急進民主党による政治的な「技」であり、現在でも過小評価されている。

急進民主党はこの荒業で二つのグループを一気に排除した。一つは宗派グループで、彼らは新しい連邦国家の宿敵であるカトリック保守派をのけ者にした。もう一つは社会派グループだ。スイスの「貧民収容所」を参政権の対象から外すことで、社会民主党の支持基盤を排除した。

そして71年には三つ目のグループとして女性が続いた。「どの包摂プロセスにも解放のプロセスが伴った」とファッター氏は言う。次いで77年には在外スイス人に拡大され、91年には投票年齢が20歳から18歳に引き下げられた。

画期的な男性民主主義

スイスが歩んできた民主主義への包摂プロセスをファッター氏はどう評価するだろうか。同氏はまず時代背景に留意すべきだと指摘したうえで、参政権を有する男性による1847年のジュネーブ州政府選挙に注目する。国民が政府を選ぶのは今では当たり前だが、「あれは欧州初のことだった」と同氏は指摘する。

同氏によれば、スイスは1848年以降、権威主義や君主制政府の周辺国に囲まれながら、欧州初の男性民主主義を築いた。「人口の4分の1にしか選挙権・投票権は付与されなかったが、それでもこれは大きな一歩だった」。そのため男性による選挙は、スイスの民主主義を「民主化」する長い道のりの始まりだったという。

よそ者との境界線

しかし今日の状況に関しては良い面もあるが問題点もあるとファッター氏は考える。「一方で、スイスは政治的包摂の模範とされる。文化的、社会的に多様なため、様々なマイノリティの包摂に成功している」

参政権のない人の比率
保護監督下にある約1万6千人(継続的な判断能力の欠如から包括的補助を受けている人)も同様に参政権はない。 swissinfo.ch

だが「こうした包摂は自分たちの輪の中にいるグループに厳密に限られている。つまり同じ言語を話し、自分たちと同じ宗派を持つグループだ」とファッター氏は相対化する。

同氏によれば、外国人居住者の中でも自国語と違う言葉を話し、根本的に異なる価値観を持つグループは「よそ者グループ」として境界線が引かれている。「そのため、スイスでは外国人参政権が連邦レベルで導入される見込みは全くない。一方、欧州連合(EU)では少なくとも基礎自治体レベルでの外国人参政権はスタンダードだ」

唯一のチャンスは州に

外国人参政権を導入するには州憲法の全面改正が唯一の手段だとファッター氏は考える。十分な圧力が「下から」生じなければ、外国人の地方参政権が連邦レベルの国民投票で可決される見込みはないという。

しかし今はそこまで機が熟してないようにみえる。この点に関して言えば、今もなお除外されている別のグループ、「若者」にチャンスがあるだろう。気候ストライキがうなりを上げ、昨年の連邦議会総選挙は緑の党が歴史的快挙を遂げた「気候選挙」となった。こうした流れに勢いづいた一部の若者が、投票年齢を18歳から16歳に引き下げるよう求めている。

もし彼らが「内輪のグループ」であれば、つまり正しい言語を話し、正しいパスポートを所持しているのであれば、参政権を得るチャンスは高いだろう。

連邦レベルで投票権・選挙権を得る唯一の方法が帰化だ。しかし外国人にはスイス国籍取得へのハードルは高い。手続きは長期に及び、費用がかかるうえ、自治体が恣意的な判断を下す場合があるからだ。

主にフランス語圏の五つの州では、州および基礎自治体レベルに限り、外国人は選挙および住民投票に参加できる。また全国に2202ある基礎自治体のうち約600の基礎自治体でも外国人参政権が導入されている。

(独語からの翻訳・鹿島田芙美)

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