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スイス製薬業界、対米関税交渉の「アキレス腱」に

医薬品陳列棚
アメリカではスイス製医薬品がスイス価格の2.5倍で販売されている Keystone-SDA

製薬産業はスイス経済の屋台骨だ。だがその強さゆえに、米ドナルド・トランプ政権との関税交渉ではスイスの弱点にもなっている。

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トランプ大統領が1日(スイス時間)スイス製品に39%の関税を課すと発表したことは、スイス経済界を不安に陥れ、政治家たちをワシントンに駆り立てた。39%は欧州連合(EU)に課される関税率の2倍を超え、世界的にも最高水準だ。

一方、安堵のため息をつく業界もあった。39%の対象外とされた医薬品業界だ。

製薬業界に非難の矛先が向けられるのに時間はかからなかった。スイスの時計メーカー、ブライトリングのジョージ・ケルン最高経営責任者(CEO)は2日、ドイツ語圏大手紙NZZで「この関税は全ての輸出企業に影響するが、1つ例外がある。皮肉なことに、この状況を招いた責任を持つ製薬業界は、今のところ高関税から除外されている」と指摘した。

トランプ氏はこれまで、医薬品に200%以上の関税をかけると脅してきた。だがEU製医薬品に15%の関税をかけた以外は、米国内の価格上昇を恐れて実行に移していない。

ケルン氏が不満をもらすのももっともだ。8月7日に発効した関税が交渉によって引き下げられたとしても、時計産業は苦境に立たされる可能性がある。スイス時計は、「スイス製」と表示されるために60%を国内で製造する必要があり、関税を回避するために生産拠点を移すことが難しい。

医薬品はスイスの対米輸出の50~60%を占めており、トランプ氏が問題視する400億ドル(約5.9兆円)の貿易赤字の大きな要因だ。トランプ氏は5日付の米CNBCのインタビュー外部リンクで、 スイスのカリン・ケラー・ズッター大統領の関税引き下げ要求を拒否し、スイスは「医薬品で大儲けしている」と主張した。

アメリカが課した関税は、スイス製薬業界に薬価を引き下げるよう圧力をかける狙いがあると指摘する専門家もいる。スイスの関税率を発表した同じ日、トランプ大統領は世界大手製薬会社17社に書簡外部リンクを送り、米国での薬価引き下げに向け措置を講じるよう求めた。スイスのノヴァルティスや、ロシュの米国子会社ジェネンテック(Genentech)も書簡を受け取った。

ピーターソン国際経済研究所のシニアフェロー、セシリア・マルムストローム氏はスイスインフォに「トランプ氏は関税を一種の恐喝の道具として使っている」と話した。第1次トランプ政権時代に貿易担当の欧州委員を務めたマルムストローム氏は、「それはトランプ氏が気に食わない行動を罰する方法だ」と指摘。スイスの場合、医薬品の高額さがそれだったというわけだ。

スイスの対米貿易黒字はきんの輸入によって膨らんでいる。2024年11月のトランプ当選後、アメリカのトレーダーは関税を恐れてこぞって金を備蓄した。このために金取引の主要拠点であるスイスからの輸出が急増した。スイスの対米黒字480億フランは、金を除くと250億フランに減る。

製薬業界の政治力

チューリヒのコンサル企業、ヴェラースホーフ&パートナーズのヨハネス・フォン・マンダッハ氏は、スイス経済が製薬業界の人質になっているという考えは、誤解を招きかねないし、経済的にも成り立たないと指摘する。

同氏はスイスインフォのメール取材に「国際貿易はゼロサムゲームではない」と答えた。「スイスのようにある国が特定の製品・サービスに特化していることは、不当に優位に立っているわけではなく、分業に基づく国際経済の望ましい結果である」

マルムストロム氏も、米国が不利益を被っているというトランプ氏の主張には欠陥があると述べる。「物事をプラスとマイナスに単純化することはできない。対等な貿易条件であれば、貿易は必ずしも均衡している必要はない」

スイスでは低税率、熟練した労働力、ヨーロッパの中心という立地条件のおかげで、30年以上にわたって製薬業が発展してきた。

フォン・マンダッハ氏は、製薬業界は「今日、スイス経済に残された数少ない成長の牽引役のひとつだ」とみる。「製薬業界がなければ、近年の1人当たりGDP伸び率はごくわずかだっただろう」。銀行業や製造業など、高コストと規制のために成長が鈍化しているという。

製薬会社は現在、スイスGDPの約7%を稼ぎ出し、5万人を雇用する。スイスにはロシュとノバルティスという世界最大級の製薬会社がある。ほかにも、メルク(MSD)やアッヴィなど米製薬大手もスイスに拠点を構える。スイスの研究所で生まれた救命薬の多くは、アメリカの患者にも恩恵をもたらしている。

だがスイス製医薬品は、アメリカではるかに高額で販売されている。米シンクタンクのランド研究所の試算によると、アメリカ人はヨーロッパ人に比べ2.5倍も高い処方箋料を支払っている。ヨーロッパによる価格規制が主な原因だという。

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スイスは国内市場が小さいため、スイス製薬はアメリカへの依存度が高い。その依存性は、今やトランプ氏にとって交渉の切り札となっている。スイス・ライファイゼン銀行のエコノミスト、ドマゴ・アラポヴィッチ氏は、ドイツ語圏日刊紙ターゲス・アンツァイガーで「スイスを見せしめにしたいのだろう」との見方を示した。

同じような圧力はヨーロッパも受けているが、EUの方が市場が大きく、多様性に富んでいるため、駆け引きの余地がある。

スイスのジレンマ

スイス政府は今、ジレンマに直面している。スイスは2024年1月にアメリカ製工業製品に対する関税を撤廃した。現在アメリカからの輸入品の99%が無税となっている。関税率を引き下げたくても、引き下げの余地が無いのだ。

フォン・マンダッハ氏は「これ以上アメリカに譲歩することはできない」とみる。「対米貿易はすでにほぼ自由化されており、スイスは米国にとって最も重要な投資国のひとつだ」

スイスのケラー・ズッター大統領は、すでに約1500億ドルの対米投資を約束した。ロシュもノバルティスも、それぞれ数十億ドルに及ぶ対米投資を発表した。米国患者向けの主要医薬品を米国で生産する計画もある。

スイスの一部の政治家は、製薬業界に圧力をかけるよう連邦政府に求めている。ロシュは仲介業者を排除し、医薬品を患者に直接販売するために米国政府と交渉中だ。だがアメリカ国内での薬価引き下げは、数社の企業が努力するだけでは解決が難しい。

フォン・マンダッハ氏は「責任はアメリカの政治家にある」と指摘する。トランプ氏は5月、アメリカの薬価を先進国の薬価に連動させる「最恵国待遇」命令に署名した。アメリカ人が世界の医療への補助金を払わされていると主張し、ヨーロッパにイノベーションを維持するための値上げを求めた。薬価を決めるためには、米議会が法改正に同意し、薬価を引き下げる必要がある。

トランプ氏は製薬企業に宛てた書簡で、9月29日までに最恵国待遇命令に従って価格を引き下げるよう要求した。医薬品に最大250%の関税をかけることも提案しているが、有効成分の多くが他国で製造されていることから、スイスがどのような影響を受けるかは不明だ。EU製医薬品への15%の関税が薬価の上昇につながるかどうかも見通せない。

マルムストローム氏は「各国はディール(取引)への圧力をかけられている。誠意をもって相手と交渉するこれまでの取引ではなく、脅しによる交渉だ」と話す。関税発効直前の7日(スイス時間)、ケラー・ズッター氏とギー・パルムラン経済相はワシントンでマルコ・ルビオ米国務長官と会談したが、関税引き下げという成果は得られなかった。

編集:Virginie Mangin/dos、英語からのDeepL翻訳:ムートゥ朋子

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