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幼児期のトラウマも精神疾患の一因

スイス人の3人に1人が人生で1度は精神疾患にかかるといわれている。精神疾患を扱うフランス語圏で唯一のニヨンにあるクリニック「ムテール(Metaire)」の内部 Keystone



精神疾患は、今後10年間スイス国民の健康課題の中で最上位を占めるようになるだろうといわれている。

だが、ジュネーブ大学医学部の遺伝子精神医学科のアラン・マラフォス教授によれば、適切な治療、特に個人に適した治療は、まだまったく行われていない。一方、マラフォス教授は遺伝子発現過程の研究で「幼児のころ受けたトラウマが大人になって精神疾患を引き起こす一要因だ」という結果を発表している。

最近、ヴォー州大学病院センター(CHUV)精神医学科のジャン・ニコラ・デスプラン教授は、「スイス国民の3人に1人が、人生の中で1度は精神的な疾患にかかっている」と発表した。

また、「ヨーロッパ神経精神病理学研究所(ECPN)」がヨーロッパ30カ国を対象に行い昨年9月に発表した調査によれば、スイスでは年間38.2%の国民が精神疾患にかかっているという。

マラフォス教授は、「この数字は、スイス各地の調査結果を総合して考えれば、決して大げさなものではない」と断言する。

マラフォス教授に、精神疾患のスイスでの状況、また教授の研究について聞いた。

swissinfo.ch : 国民の38%が精神疾患にかかっているという数字は驚くべきことではないでしょうか?

マラフォス : しかし、この数字は正しい。ヨーロッパのこの調査結果は間違ってはいない。ローザンヌ大学のマルタン・プライジック教授が行ったような突っ込んだ研究によれば、スイス国民の30~35%が精神疾患で苦しんでいるといわれているからだ。

「マニヤックなうつ病」の場合のような重症疾患は今や国民の約5~6%を占め、国民の健康という観点からは、重大な問題になってきている。

swissinfo.ch : スイスはこうした状況に十分対処できるのでしょうか?

マラフォス : この分野でスイスは、資金的に最も恵まれたヨーロッパの国の一つだ。精神疾患の予防という点でも資金的に恵まれている。

しかし、根本的には、初診の患者を診察する医師の教育レベルを高めなければならない。というのもうつ病や不安神経症の患者の9割が、一度も専門家に診てもらっていない。ないしは全く治療を受けていないといわれているからだ。

重大な問題点の一つは、すでに精神疾患を扱うためにクリニックを開業している医師たちが、専門性を高め最先端の情報を得るための継続教育を受けていないということだ。

swissinfo.ch : しかし、(スイスでは)精神疾患の治療は非常に進んでいるように思えますが。

マラフォス : 実は、医学のなかでも、精神医学は特に個人に適した治療を行うという点において、非常に遅れを取っている分野なのだ。

我々は、精神疾患のなかでも患者数の多い(うつ病などの)疾患について研究を推し進め、有効な治療法を探らなければならない。なぜなら、現在、研究はまだまだ不十分だからだ。それはスイスだけではなくほかの国でも同じ状況だ。

それでもスイスでは、かなりの努力が始められている。ただ、全体的に見ると、がんや心臓疾患などでの進歩に比べ遅れをとっている。

swissinfo.ch : なぜ遅れているのでしょうか?

マラフォス : さまざまな理由が考えられる。特に社会的要因が大きい。精神的な病気にかかると、本人も家族も特別で異常な病気にかかったいう恐れや不安を感じるようになる。そのため患者はなかなか病院の門をたたかない。

社会の意識を変える必要がある。がんや癲癇(てんかん)に対する意識が変わったように、精神疾患に対してももっとオープンであるべきだ。つまり、あきらめず早期治療を行うことだ。

一方、医療の内部でも問題があり、同じように意識改革が行われなくてはならない。つまり、精神疾患に関わる専門家である心理学者、生理学者、生物学者たちのアプローチの仕方がさまざまで、彼らの間で争いが続いている。こうした争いが、さらにこの精神医学の発展を遅らせている。

swissinfo.ch : マラフォス教授、あなたは遺伝子発現のメカニズムにおいて新しい発見をされました。これは、子どものときにひどい扱いを受けたことが引きがねとなって大人になってからストレスとして現れるというものですね。

マラフォス : その通りだ。多くの精神疾患は、遺伝子学的または生物学的要因と同時に、人生での出来事、例えば胎児のときも含めた幼いときのトラウマによって引き起こされるということだ。

こうした要因がいかに遺伝子の発現過程に影響を与えるかを研究した。その結果、こうした発現過程で受ける変化が、ほぼすべての精神疾患の原因になっていることが分かった。

swissinfo.ch : つまり、遺伝子発現のメカニズムの研究のお蔭で、精神疾患に対する我々の考えが変わるということですね。

マラフォス : そうあってほしいと思っている。遺伝子発現のメカニズムを知ることで精神医学界の研究者も専門家も、精神疾患を違う見方で捉えられるようになる。

精神疾患は生物学的であると同時に社会学的な要因によって引き起こされるということを容易に受け入れられるようになる。つまり、遺伝子発現のメカニズムをを理解することで、専門家がこうした幼児期のトラウマなどの要因を受け入れ、さらに患者を診る見方や治療の仕方を変えていける。

swissinfo.ch : 精神医学の現場や研究で、現在一番心配な現象は何でしょうか?

マラフォス : スイスのような国では、ある衝動的行動や暴力などの形で表現される精神疾患が増えており、それが心配だ。

これにもう一つの問題が付け加わる。それは麻薬依存だ。精神錯乱、不安症、うつ病などにかかった人は、麻薬に手を付けやすく、麻薬を始めるとそれがまた病気を重くするという悪循環になる。

以上の二つが、現在の大きな問題だ。

ヨーロッパの専門家は、精神疾患が今後もっとも重大な健康問題になると警告している。

先進国では、現在から2020~2025年において、精神疾患が病気や障害の最上位を占めるといわれている。

病院などで治療を受ける精神疾患患者の9割が法的に認可された(またはされていない)医薬品を使っている。

( 仏語からの翻訳・編集、里信邦子 )

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