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エデンの園の片隅で

狭苦しいアパートを出て「エデンの園」で日常を忘れる outnow.ch

監督マノ・カリル氏は、映画「われらがエデンの園」の中でスイスの多文化小宇宙を案内する。

このコンテンツは 2010/05/22 15:25

これは、「ベルンの西区 ( Berns Westen ) 」にある家庭菜園に故郷の一部を見出す移民の物語だ。

20カ国以上から

インゲン、トマト、サラダ菜、マンゴルド、ニンジン、そしてヒマワリにノバラ。生い茂る緑に囲まれてビールや果物酒で乾杯する男たち。スカーフで頭を覆った女性が1人、鍬 ( くわ ) で地面を掘り起こしている。石造りのバーベキューオーブンでトルコの平べったいパン「ピデ」を焼く女性、インゲンを採る黒人男性もいる。グリルの上で肉がジュージューと焼ける音は、バルカン地方のアコーデオン音楽や笑い声、あるいは歌声にかき消される。ベルンの「ボッティゲンモース ( Bottigenmoos ) 家庭菜園」にようこそ!

「スイス最高の生活は僕の庭の中にあるのさ」
と自慢するのはサングラスをかけ、パラソルの下のデッキチェアに寝そべっているクロアチア人男性だ。ここでは仕事をすっかり忘れ、仲間たちと一緒に楽しい時間を過ごせる。

ボッティゲンモースの小さな空間を分け合う人々の出身国は20カ国以上に及ぶ。148ある家庭菜園のうち89は外国人が借りている。1つの農園の広さは約150平方メートルだ。

木の板とトタンでガーデンハウスを造ったその場所は小さな逃避の場だ。高い建物の中にある狭苦しい住居から逃れ、緑の中に小さな自分たちの世界を作り上げた。自分たちの土地にはそれぞれのふるさとの国旗が掲げられている。ボッティゲンモースには、セルビア、ボスニア、トルコ、クルドの旗が並んではためいている。

1993年にシリアから逃れることになったクルド人映画監督のカリル氏は、さまざまな文化からなるこの共同体にひきつけられ、これを1本の映画にした。
「母国では挨拶さえしないような人々が、ここではみんなで一緒にバーベキューをしたりビールを飲んだりしている。わたしにとっては、これは生きたスイスの民主主義です」
とカリル氏は言う。

外国人の声を集める

カリル氏はドキュメンタリー映画「われらがエデンの園。家庭菜園物語 ( Unser Garten Eden. Geschichten aus dem Schrebergarten ) 」の中で、自分と同じ外国人の声を集めた。スイスでゼロから始めなければならなかった人々の声だ。

たとえばフランスで育ったアルジェリア人のモハメド。彼がベルンに来た頃は、スイスにはまだ黒人がほとんどいなかった。46年前にスイス人のマルゲリーテと結婚し、4人の子どもに恵まれた。

マルゲリーテは
「モハメドと知り合った頃、彼が黒人だということはまったく意識しなかったわ。ただただ、彼に魅了されてしまったの」
と笑う。
「私はプロテスタント教徒で夫はイスラム教徒。でも、問題になったことは一度もありません」
差別的な発言や敵視について、夫妻は皮肉ではなくユーモアを交えて語る。2人にとってこの結婚はまったく自然なことだったのだ。

ドメニコは45年前に、イタリア南部のカラブリア地方から短期労働者としてスイスへやってきた。漁師になりたかったのに、スイスにとどまることになってしまった。故郷へ帰るつもりだったので、今でもドイツ語を話さない。

スイスで道路やトンネルを何百キロメートルも作ってきたドメニコは
「今じゃ、スイスに来たときより貧乏だ」
と言う。
「もう二周り年を取っていたら、たとえパン一かけらしか持ってなくてもイタリアに住むんだがなあ」

「失われた夢」

「これが、ツバメのようにいずれは巣に帰ると思っている外国人の悲劇です」
とカリル氏は言う。
「彼らはここにとどまるつもりはなく、荷物を詰めたトランクをベッドの横に何年も置きっ放しにしているんですよ」
カリル氏は、家庭菜園にはためく無数の国旗を「失われた夢」のシンボルだと言う。かつて自らが後にした土地は、今もまだそのまま残っていると思い込むための一つの手段だというのだ。
「しかし彼らは、自分たちが国を離れた後、自分も、そして母国も変わってしまったことを忘れているのです」

カリル氏にとって家庭菜園はスイスの小宇宙だ。ここでも厳しいルールが適用されている。法規の遵守と数多くの禁令を管理し見張るのは、常にネクタイにスーツ、そしてビジネスシューズで現れるジュゼッペだ。

イタリア出身の美容師ジュゼッペは、まるでスイス全土に君臨するかのように、妥協せず、権限を大いに振るってボッティゲンモースを治めている。そして、 ( 安息日である ) 日曜日にも畑仕事をしようとしたり、ガーデンハウスに手を入れたり薪を積んだり、あるいは何かしら要求しようものなら、それこそ雷が落ちることになる。

ジュゼッペの「率い方」には不満の声も上がっている。総会でジュゼッペを「ベルルスコーニ」や「ムッソリーニ」呼ばわりした外国人の菜園所有者もいた。
「ブッシュ大統領は大砲を持っていたが、こちとらは図太い神経を持つだけだ。それがやせ細らないように気をつけなくちゃいけない」
とジュゼッペ会長は言う。

ブタとヒツジ

だが、本物の「エデンの園」のように、ここでも衝突はできるだけ解決しなくてはならない。
「最も大切なのは共通の言語です。話し合えなければ、問題の解決策を見つけることはできませんからね」
とカリル氏。

良い解決策の見つけ方は、映画の中に登場する。「非衛生的なバーベキュー」に苦情を申し立てたセルビア人とクロアチア人とスイス人の希望に応え、規定や規則について1年間建築検査委員会と書面でやり取りをした結果、子豚用グリルが作られることになった。

ところが、これがイスラム教徒の農園利用者の気に入らない。子豚用の串に自分たちの子羊を刺して焼くことなどできないからだ。串をめぐるこの奇妙な議論は、2009年にスイスで沸いたイスラム教寺院の塔「ミナレット」の建設禁止を巡る議論をほうふつとさせるが、結局グリルは作り直すことになった。

映画の最後に催される大きなガーデンパーティでは、同じグリルの火の上で、それぞれ別の串に刺されたブタとヒツジが焼かれている。

コリン・ブフサー、swissinfo.ch
( 独語からの翻訳、小山千早 )

作品履歴

1998年
「鉄の勝利 ( Triumph of Iron ) 」
2005年
「アル・アンファル―アラー、バート、サダムの名において ( Al-Anfal – “in Namen von Allah, Baath und Saddam” ) 」
2006年
「トルヒルダンのダヴィド ( David der Tolhildan ) 」
2009年
「われらがエデンの園 ( Unser Garten Eden ) 」

短編映画

1988年
「おお世界よ ( Oh World ) 」
1989年
「わが痛み、わが希望 ( My Pain, my Hope ) 」
1990年
「使命 ( Embassy ) 」
1991年
「おお父よ ( Oh Father ) 」
1992年
「わが神 ( My God ) 」
1993年
「神が眠る場所 ( The Place where God Sleeps ) 」
1995年
「キノアイ ( Kinoeye ) 」
2003年
「色とりどりの夢 ( Bunte Träume ) 」

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マノ・カリル氏 ( Mano Khalil ) 略歴

クルド人、1964年シリアに生まれる。

1981年から1986年までダマスカス大学で歴史と法律を学ぶ。

1987年から1994年まで旧チェコスロバキア、映画・テレビアカデミーの映画監督クラスで学ぶ。

1990年から1995年までチェコスロバキア国営テレビ、後のスロバキア国営テレビに監督として勤務。

1990年から1995年まで旧チェコスロバキアの映画に脇役として出演。

1995年以降、監督、プロデューサー、カメラマンとしてスイスで活動。

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