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シアヌーク時代の名残、クメールのノスタルジー

ヴァン・モリヴァン氏が建設を手掛けた外国語教育機関の建物 swissinfo.ch

カンボジアでは、昨年死去したカンボジア王国「独立の父」、シアヌーク前国王の葬儀の準備が行われている。彼の時代を象徴したのが、建築家ヴァン・モリヴァン氏の建造物だった。人々はシアヌーク前国王が確立したカンボジアを、誇りとノスタルジーを持って今、再発見している。

 独立後のカンボジアで初の建築家となったヴァン・モリヴァン氏は、今年86歳。今は、1970年に建てたプノンペンの邸宅で暮らしている。内戦中から90年代まではスイスに亡命していたが、大胆なデザインの彼の邸宅は無傷で残った。騒音と排煙の立ち込める首都幹線道路マオツェトン通り(Mao Tse Toung)沿いにありながらも、この邸宅は静かなオアシスだ。

 「シアヌーク前国王は頻繁に私を呼び、例えば『近々(注:1966年)ド・ゴール将軍が来訪する。招待客の数に見合ったレセプション会場を作ってもらわなければならない。私はこのように考えているのだが…』などと言いながら自分で描いたラフな見取り図を見せてくださった。そして、私はそのあとすぐに、図面も何もないまま工事に取り掛かることになった」。モリヴァン氏は当時をそう振り返る。

 建築家でありながら都市計画家と政府の高官を歴任し、また大学学長にも就任したことのあるモリヴァン氏は、1954年から1970年にわたるシアヌーク時代の重要な立役者だ。彼の建築は、カンボジア独立の父が目指していた理想の王国を表現している。それは、クメール文化古来の技術と、彼の心の師であるスイス人建築家ル・コルビュジエの大胆さを融合させた建築だ。

2012年10月に北京で死去したカンボジアのノロドム・シアヌーク前国王の葬儀が2月1日から執り行われ、4日の火葬で幕を閉じる予定。

葬儀に立ち会うために、数十万人のカンボジア人がプノンペンに集まるとみられる。政府の予想では150万人から250万人。プノンペンの人口はすでに200万人。当局は、準備万端と明言する。

人権団体「カンボジア人権促進擁護同盟(LICADHO)」のナリー・ピロージュ代表は、カンボジア政府は5年ごとに行われる国民議会選挙の資金を充ててでも、4日間にわたる葬儀をうまく取り仕切るだろうと言う。

「これから、カンボジア政体の硬化を見ることになるだろう」とピロージュさんは予想。「東南アジア諸国の中でも、カンボジアはかなり自由な国だ。しかし、自由に対する抑圧や検閲などは定期的に起こっている」

90年代以降、カンボジアで11人のジャーナリストが殺害されている。2012年10月には、政治的に独立したラジオ局ビーハイブ(Beehive)のマム・ソナンド代表が、政府を批判し、国家からの分離独立を目指す運動に加担したとし、20年の懲役刑を宣告されている。

エコロジストの先駆け

 モリヴァン氏は、ピロティ(高床)式でレンガや木材を使用するという、クメールの農民と貴族の伝統様式を取り込んだ。これは、うだるような暑さとスコールが特徴的な熱帯気候に完璧に対応した伝統様式で、この風土ならではの知恵が生かされたものだ。モリヴァン氏はそこに、鉄筋コンクリートを使用することで、耐久性と近代性を組み込んだ。

 モリヴァン氏はミニマリスト(最小限主義者)ではないが、彼の建築には無駄やエネルギーの浪費が一切ない。熱を吸収するレンガ造りの外壁とコンクリート製の内壁の間には空間が設けられている。これが空気の循環を促し、雨水は再利用されて自然の冷却装置になる。灼熱の太陽には、ブリーズソレイユと呼ばれる日よけが使われる。こうして、クーラーを大量に使用しなくても居住空間は快適に保たれる。モリヴァン氏は、環境と経済開発を共存させる「持続可能な開発」の先駆者であったと言える。

 このクメール近代建築の第一人者による数々の建造物は、今なおシアヌーク前国王の時代のカンボジアを彷彿とさせる。しかし、高度経済成長期にある今の首都プノンペンでは、彼の建築に魅了される建築家は少なくなっている。

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無秩序な発展

 「プノンペンは中国の無秩序な開発と、きらびやかな高層ビルをまねながら発展している」。クメール建築ツアーズ(Khmer Architecture Tours)に勤める29歳のカンボジア人建築家、シム・シトーさんはそう嘆く。2003年に設立されたこの協会は、カンボジアで建築を学ぶ学生のために、クメール現代建築の主要な建造物を訪ねるガイド付きのツアーを企画したり、現代建築の動きを紹介したりするなどしている。

 プノンペンに60年代に建てられた建築物を回るトゥクトゥク(三輪タクシー)に乗りながら、シトーさんは憤る。「プノンペンの建築家のほとんどが中国人。彼らは、金持ち向けの雑誌にあるような建物を、そっくりそのままコピーしている。都市環境を考慮する人など誰もいない。彼らにとって重要なのは、高層ビルが作り出す幻惑と、それをどれだけ早く建てられるか、ということだけだ。中国人の基準は『90階建てを90日で』。これが実現できるのはガラス張りの塔しかない。しかし、ガラス張りの建物は、熱帯性気候には全く適していない」

 一方、政府のスポークスマン、キュー・カナリット情報大臣は、こうした建物は妥当だと説く。「60年代、プノンペンの人口は60万人足らずだった。しかし今日200万人を超え、土地価格は高騰している(注:1平方メートル約1500ドル、約13万2千円)。そうなると、都市の需要に応えるには空に向かって建設するしかない。ただし、最も高い高層ビルは郊外に建てられる。現在都市中心部にあるビルはせいぜい40階建てだ」

 だが、ヴァン・モリヴァン氏は主張する。「かつては、建築や都市計画を実社会から切り離してとらえるのは不可能だった。ところが今では、都市計画や国土整備と、実社会の間には大きな隔たりがある。私が亡命中にスイスで見てきたものと全く逆のものだ」。また、国内外の実業家による土地の買占めや、特にカンボジア少数民族に対する強制的な立ち退きも問題があると、同氏は批判する。

カンボジアの中立性

 民俗学者アン・チュリアンさんは「シアヌーク前国王は専制君主でありながら、国民に愛される術(すべ)を知っていた」と振り返る。「国民の敬愛」は、社会主義人民共同体サンクム・リアス・ニユム(Sangkum Reastr Niyum/国民のお気に入り組織)を特徴づけるフレーズでもあった。この団体は、シアヌーク前国王が中立政策を貫くために結成した政治団体で、カンボジアの独立に大きく貢献した。

 60年代終わりに行き詰まりを見せる東西冷戦の真っ只中で、「ノロドム・シアヌーク前国王は国のために徹底的に力を尽くした」と、63歳になるこの民俗学者は懐古する。「正式に王位を退いてからも、例えばカンボジア王国の豪華、盛大さを誇示する祭典の指揮や、国民の生活条件を改善するプロジェクトへの着手など、代々伝わってきた王家の職務を遂行し、実際には国王であり続けた。シアヌーク前国王は、伝統と近代化を結びつけることで、国の隠れた可能性を見出すことに実に長けていた。そして絶えずその可能性ばかりを考えていた」

1926年11月23日、カンポット州リアムに生まれる。カンボジアがフランスの保護国であった当時、フランス政府から奨学金を獲得する。

パリ国立高等美術学校(Ecole nationale supérieure des Beaux-Arts de Paris)で学んだ後、エコール・デュ・ルーヴル(Ecole du Louvre)でクメール文化を研究。将来のクメール・ルージュ(カンボジア共産党)幹部と出会った後、カンボジアの独立から2年後の1956年に帰国。

帰国後間もなく、シアヌーク国王から公共事業責任者および政府の建築家に任命される。その後、政府高官としてキャリアを積み、外務大臣などに就任。また自ら設立した王立芸術大学学長にも就任した。

その当時、将来の妻となるスイス人女性トルーディと出会う。トルーディはカンボジアの国連職員だった。

14年間で100件にも及ぶ建造物を考案・建築し、そのほとんどがシアヌーク前国王の時代(1954~1970)の公務用の建築物や記念建造物などである。

1970年、ロン・ノル将軍のクーデターによりシアヌーク政権が打倒された直後、モリヴァン氏は家族と共にスイスに亡命。スイス国籍を取得し、建築家として働いた後、国連に採用される。その間、クメールルージュの度重なる帰国依頼や誘いを拒否する。

シアヌークが再即位する前の1991年、カンボジアに戻る。ユネスコと共同でアンコール遺跡整備公団(アプサラ公団/APSARA)を設立。

2008年、82歳にして、フランスで博士論文「東南アジアの都市、過去と現在」の審査に合格する。

(仏語からの翻訳・編集 由比かおり)

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