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VIII 秩父宮殿下の思い出 -6-

モンテローザ

 七日、午前五時小屋を発ち、氷河上をモンテローザに向って登る。九時十五分鞍部に達しデュフォルスピッツエ(四六三八メートル)の頂きに立ったのは十一時であった。イタリアとスイスの国境線にあることはマッターホルンと同じである。南方は緑、北は白雪と眺めも爽やかである。この山の東面はレオナルド・ダ・ヴィンチも試みたことがあると言われている。
 頂上に立って眺望をほしいままにした後、尾根を伝ってシグナルクッペ(四五〇〇メートル)に登り、イタリア側にあるマーガリータヒュッテに午後一時四〇分に到着し半日を小屋に休息して一泊した。四〇〇〇メートルを越えた小屋だけに息苦しさを感ずる。この小屋はスイスの山小屋から来ると、ひどく不潔である。この番人がおっての不潔さに一行は辟易しながらも、故国の山小屋のそれを思うて余り偉そうな口は利けなかった。
 八日午前六時小屋を発って雪稜をリスカム(四四七八メートル)へ向う。雪面が凍って急なので初めてシュタイグアイゼン (かんじき) を使って急いだ。八時半頂上に達し、そこからツゥイリンゲ氷河を渡りゴルナー氷河に下って午後二時半ベタンヒュツテに着いた。小屋を後にしてゴルナーグラードに出でリッフェルアルプから電車でツェルマットヘ帰った。
 この二日間は主として雪稜と氷河の登降であったが、好天のためまことに長閑な登山であった。これをもってツェルマットを中心とする殿下のご登山は終った。殿下はその夜ホテル・モンセルヴァンの前の喫茶店に、山案内人一同を招いて慰労の集りを催された。望まれるままに案内手帖に署名もされた。「私はもう三十年ほど各国の人を山へ案内して来たが、このたびのプリンスの一行ほど愉快であったことはない」と案内人の一人が渡辺氏に洩らしたと聞くが、確かに若々しい生気に溢れ、いつも笑い声の絶えたことのない、がっちりした強い登山隊であった。
 約一ヶ月の間に、たとえ好天気に恵まれたとはいえ殿下がこれだけの高峰を登られたことは、ヨーロッパ各国の登山界から驚異を以て高く評価されることになった。そして自国の皇族でも業績がなければ会員に推さぬイギリスのアルパインクラブは殿下を名誉会員に推挙した。
 殿下は九月九日ツェルマットを後にロンドンに向われた。
 なお思い出されるのは、グリンデルヴァルトでのウェストン師である。いっもニッカボッカーの古い登山服を着て腰に日本の手拭を下げ、一行を送ったり迎えたりされていた寡言の姿である。
 この年の秋、私は帰国した。

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