未確認生物に魅了された2人のスイス人
ルツェルン出身の孤児、ルネ・ダヒンデンとスイス西部出身の地質学者、フランソワ・ド・ロアは未確認動物学に大きな影響を与えた人物だ。この2人には、謎に満ちた生き物に魅了されたという共通点がある。
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ヒマラヤのイエティ、スコットランドの「ネッシー」、北米のビッグフットなどの未確認生物は、長年、人々を魅了し続けてきた。科学界からの懐疑的な声をものともせず、未確認動物学者(クリプトズーオロジスト)と呼ばれる世界各地の熱心な愛好家たちは未確認生物の探求に情熱を注いでいる。
こうした想像上の生き物の研究活動に加わり、悪名高い「証拠」を公表したことで未確認動物学に疑似科学的なイメージを与えたスイス人がいた。その中の最も有名な1人が、20世紀半ばにカナダの森に移住し、伝説のビッグフットの足跡を追ったルツェルン出身のルネ・ダヒンデンだ。
ダヒンデンは、北米に猿人がいたことを示す証拠として今なお最重要視されている映像、「パターソン・ギムリン・フィルム」の権利を取得した。
>> 「パターソン・ギムリン・フィルム」の映像。森を歩いているのは、本当にビッグフットなのだろうか?(YouTube動画)
未確認動物学に貢献したもう1人の人物は、スイス西部出身の地質学者、フランソワ・ド・ロアだ。1920年、ド・ロアはベネズエラで奇妙な見た目をしたサルの姿をカメラに収めた。その写真は、南米に未知の大型霊長類が存在する証拠として、現在でもよく引き合いに出される。
「パターソン・ギムリン・フィルム」とド・ロアによる写真は、現在まで数多くの書籍、テレビ番組、ウェブサイトなどで掲載されている。
ダヒンデンとド・ロアはどちらも未確認動物学における重要人物だが、両者はまったく正反対の人生を歩んだ。
カナダへ移住したダヒンデン
1930年、非嫡出子としてルツェルンで誕生したルネ・ダヒンデンの生い立ちには困難が付きまとった。まず孤児院に預けられ、その1年後、年配の夫婦に養子として引き取られた。
しかし、養母の死後、養父が再婚すると、ダヒンデンは寄宿学校へ送られた。ダヒンデンは後年、寄宿学校時代に「自分は誰からも望まれていない」と学んだと述べている。こうした経験から、ダヒンデンは強い自立心を持つようになった。
13歳の時、ダヒンデンは生物学上の母親と再び暮らすようになるが、その生活は数カ月で破綻した。ダヒンデンは農場に預けられ、そこで重労働の日々を送った。
ダヒンデンは15歳でその農場を離れると、自らの力で世界を切り開いていき、青年期には職を転々としながらヨーロッパ中を放浪した。1952年、スウェーデンにて、後に妻となる女性、ワーニャ・トワンと出会った。
そのわずか数カ月後、ダヒンデンはカナダへの移住を決意し、すぐにカルガリー近郊の農場で働きはじめたが、そこで初めて、イエティについての伝説や、ブリティッシュ・コロンビア州で同様の生き物の目撃情報があることを耳にした。そうした未確認生物の物語によって呼び起こされた好奇心が発端となり、ダヒンデンはその後の生涯にわたりサスカッチ(カナダ版ビッグフットの通称)を追い求め続けた。
1955年、ブリティッシュ・コロンビア州のウィリアムズ・レイクへ移住すると、製材工場での勤務時間を除くすべての時間をサスカッチ研究に費やすようになった。1956年、ダヒンデンの後を追いワーニャがカナダに移住すると、2人は結婚し、エーリク、マルティンという2人の息子が生まれた。
しかし、息子の誕生後もダヒンデンのサスカッチ研究への情熱は高まり続けた。その情熱が家族にとっては大きな負担となり、1967年、ダヒンデンとワーニャは破局を迎えた。
ビッグフット研究における立役者の1人となったダヒンデンは、有名な「パターソン・ギムリン・フィルム」(1967年)の分析を含む重大イベントの中心的役割を果たした。「パターソン・ギムリン・フィルム」とは北カリフォルニアで撮影された手ぶれの多い35mmフィルム映像で、森の中の空き地を歩くビッグフットが映っているとされている。今なお、この映像はビッグフットの存在を証明する有力な証拠だと信じる人は多い。
>> 「サスカッチ」を追い求めたダヒンデンの生涯(英語のYouTube動画)
1971年、ダヒンデンは科学者からの支持を得るために世界中を旅して回った。ソビエト連邦を含む各地で「パターソン・ギムリン・フィルム」を上映し、この映像資料に然るべき科学的注目が向けられるよう奔走した。
その粘り強い姿勢と、とりわけ特徴的なスイス訛りにより、ダヒンデンは未確認動物学の枠を越え、唯一無二の存在となった。ダヒンデンは多数のインタビュー番組でテレビ出演し、1990年代にはカナダのビールのCM外部リンクにも起用された。
晩年、ダヒンデンは「パターソン・ギムリン・ファイル」に関する権利の一部を取得したために、長年にわたる法律的問題を抱えた。高齢になってもビッグフット研究界で活発な活動を続けたが、2001年、ビッグフットとの遭遇を果たすことなくこの世を去った。
ベネズエラを探検したド・ロア
自発的にビッグフット研究に携わったダヒンデンとは異なり、フランソワ・ド・ロアは偶発的に未確認動物学の世界に引き込まれた。1892年、スイス西部の名家に生まれたド・ロアは、1912年にローザンヌ大学に入学し、1917年に地質学の博士号を取得した。
博士号を取得した同年、オランダの石油会社から依頼を受け、地質調査のためにベネズエラへ渡った。しかし、ド・ロアが派遣された地域の大部分は当時、前人未踏の地だった。待ち受けていたのはアクセスの悪い地形、熱帯病、敵対的な先住民だった。
1920年、辺境のタラ川周辺地域での調査中、ド・ロアは2匹の奇妙な生物に遭遇したとされている。ド・ロアの報告によると、タラ川の岸辺で発見されたその大型のサルは、赤みがかった毛に覆われており、驚くべきことに直立歩行していたという。
調査隊に接近してきそのた2匹のサルは著しい興奮状態にあり、大きな鳴き声をあげながら両腕を振り回し、恐怖に震える調査隊の人々に向かって糞便を投げつけた、とド・ロアは後年、記録を残している。緊迫した状況下で調査隊のメンバーの1人がサルへの発砲を決意し、雌ザル1匹を射殺した。
ド・ロアは死んだ雌ザルの姿を写真に残した。雌ザルは輸送用の木箱に座らされ、異常に発達した頭部は枝の上に据えられている。Ameranthropoides loysi(アメラントロポイデス・ロイシ) と学名が付けられたこの生き物の写真は物議を醸した。
1929年、フランス系スイス人の人類学者、ジョルジュ・モンタンドンが「ド・ロアのサル」の写真について取り上げた論文がフランスの研究雑誌、アメリカ研究協会誌外部リンクに掲載された。
モンタンドンは、人類は大陸ごとに異なる進化を遂げたとする進化論を提唱しており、
ド・ロアの写真は自身の仮説を裏付ける証拠だと評価した。その人種差別的・優生学的空論には、モンタンドンが持つナチズムとの親和性が反映されていた。
そうした価値観は、モンタンドンがド・ロアの写真を評価する際にも影響を与えた。南米での類人猿の発見は、自身の進化論の立証になると考えたからだ。その「発見者」であるド・ロア自身も同年6月、発見したサルに関する記事を英週刊紙イラストレイテッド・ロンドン・ニュースで発表した。
これに異を唱えたのが多数の著名な動物学者たちだ。なかでも米国の霊長類学者、フィリップ・ハーシュコヴィッツはド・ロアの主張に痛烈な反論を展開した。タラ川流域に詳しいハーシュコヴィッツは、該当地域にド・ロアが主張するようなサルの存在を示す痕跡は見当たらないとし、発見など虚偽であると断じた。
ハーシュコヴィッツはド・ロアを信用に値しない科学者だと批判し、ド・ロアは現地に生息する既知の種類のサルを単に誤解しただけか、あるいは意図的に詐欺を働こうとしていると主張した。
今日に至るまで、アメラントロポイデス・ロイシの存在を示す新たな証拠は見つかっていないものの、ド・ロアの主張を否定する手紙は見つかっている。その手紙は1962年、雑誌ザ・ユニバーサルに掲載されたド・ロアのサルに関する論文を目にしたエンリケ・テヘーラ博士なる人物が、その著者に宛てて書いたものだ。
後に公開されたその手紙には、「ド・ロアのサル」にまつわるまったく異なる見解が記されていた。手紙によると、テヘーラはかつてベネズエラの石油会社でド・ロアとともに働いた人物であり、写真に写っているのはド・ロアに贈られた現地のクモザルだったらしい。そのクモザルは尻尾の先端に傷を負ったために尻尾を切断され、その後間もなく死亡したが、ド・ロアはその機会を利用し、未知の類人猿に見せかけた写真を撮影したと書かれていた。
ド・ロアとテヘーラのどちらの主張が真実なのか、明らかになることは恐らく永遠にないだろう。
ベネズエラでの冒険の後も地質学者として仕事を継続したド・ロアは、特に石油産業のトルコ国営石油会社でキャリアを築いた。長年にわたり中東で勤務し、1953年、同地で病死した。
スイス出身のレネ・ダヒンデンとフランソワ・ド・ロアは、未確認動物学界にその名を残した。しかし、彼らをしのぐ影響力を発揮した人物はベルナール・ユーヴェルマンス (1916~2001)だ。未確認動物学の父と見なされているユーヴェルマンスが1999年にローザンヌの州立自然科学博物館Naturéum外部リンクに寄贈した収集品の数々は、同館の保管庫に収蔵されている。
著者クリストフ・クンマーは、一般的な歴史認識から取りこぼされた人々や出来事に焦点を当てる、歴史家兼フリージャーナリスト。
独語からの翻訳:鈴木寿枝、校正:宇田薫
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