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3・11から1年、「低線量被曝との終わりなき戦いは続く」


里信邦子 ( さとのぶ くにこ), チューリヒにて


南相馬市大甕(おおみか)小学校で2012年2月17日、体育の授業を受ける生徒たち。「河北新報社」によれば、原発から21キロメートルにある同校は大規模除染を実施し昨年10月から再開。しかし、親たちの放射線汚染への不安は強く生徒は4割しか復帰していないという (Keystone)

南相馬市大甕(おおみか)小学校で2012年2月17日、体育の授業を受ける生徒たち。「河北新報社」によれば、原発から21キロメートルにある同校は大規模除染を実施し昨年10月から再開。しかし、親たちの放射線汚染への不安は強く生徒は4割しか復帰していないという

(Keystone)

「3・11」からまもなく1年。しかし原発事故による放射線被害は改善を見ないままだ。「低線量被曝と戦う親や子どものストレスは並大抵のものではない。しかもそれに終わりはない」と、スーザン・ボース氏は語る。

ボース氏は、左派の重要なスイスの週刊新聞「ヴォッツ(WOZ)」の編集長。昨年2回福島県を訪れた。その計40日間にわたる滞在で、東京電力や福島県庁の関係者、南相馬市や飯館村の村長、さらに多くの県内の一般市民と対話を重ね、今年1月末に福島についての本を出版している。

原発事故についての本はこれで2冊目。1996年にチェルノブイリ原発事故についても書いた。「最初から原発を専門にしていたわけではない。1993年にウクライナに行き、原発の傍に住んでいた避難民に偶然会ったのがきっかけだ」。その後、1995年に写真家と一緒に数カ月間、強制避難区域に滞在。原発の事故処理作業員にも会った。

原発事故のさまざまな側面の中でも特に「事故の結果が与える社会の変化」に興味を持つ。

福島でも、この社会へのインパクトをテーマに、福島市、郡山市、南相馬市、飯館村を回り、半径20キロ圏内の警戒区域にも入った。

チェルノブイリでの体験と福島を比較しながら、ボース氏に原発事故を多側面から聞いてみた。

swissinfo.ch : チェルノブイリでは、甲状腺がん以外にも心臓病などの疾患が多発したといわれますが、実際どんな状況だったのでしょうか?

ボース : もちろんがんや、子どもでは甲状腺がんが多発したが、血圧の疾患、心臓病、免疫力の低下といった症状が重要な問題になっていた。また、原発から半径30キロ地点の学校の先生たちが、子どもの集中力や記憶力が低下したとも証言している。

低線量被曝の被害は「まるで20歳年を取ったような状態になる」といわれるが、実際、避難者や現地に住む人を見るとそうだった。放射線は細胞レベルのストレスを引き起こす。つまり、人間にはDNAの損傷を修復するシステムが本来備わっているが、放射線を絶えず浴びるとこの修復システムが追いつけなくなる。それがこうした病気の原因となる。

日本でも今後、汚染された地域で同様の現象が起こることは確実だと思う。

ただ、福島では汚染の放射性物質の種類が違う。骨に溜まり体外に出ないストロンチウムやチェルノブイリで多量に排出されたプルトニウムが福島にはほとんどない。これは良いニュースだ。問題はセシウム137。このセシウム137との戦いが福島では続いていく。

チェルノブイリの話に戻ると、チェルノブイリ事故のもう一つの問題は、甲状腺がん以外の疾患についてのレポートがなかったということだ。実際はウクライナやロシアの学者が、こうした疾患についての研究を行っていた。しかし、それが国際的に認められるには、英語で書いて科学雑誌に投稿しほかの研究機関によって承認されなければならない。だが彼らはこうしたプロセスを踏まなかった。そのため、WHO(世界保健機関)などがこうした研究を承認していない。また、研究が正しかったとしてもほかの言語に翻訳されていないため、我々も目にすることができない。

 同じようなことがこれから福島でも起こると思う。というのは、すでに多くの研究が発表されているが、公式のものが英語に翻訳されていない。これは深刻な問題だ。

swissinfo.ch : ところで、福島での年間の許容放射線量の上限が20ミリシーベルトなのをどう思われますか?

ボース : 20ミリシーベルトは非常に高く、子どもや妊婦には決して許されないものだ。スイスでは専門の作業員にのみ許可されている量。事故時でもスイスの上限は1ミリシーベルトだ。

ところで、この20ミリシーベルトは、国際放射線防護委員会(ICRP)が3月21日に出した勧告に基づいている。ICRPは年間の許容放射線量などについて言及する機関。だが、原発産業に非常に近く、民主的な監視下に置かれていない。ただ世界的に強い影響力を持っているため、多くの国がその勧告に従ってしまう。日本政府も、その勧告に従わざるを得なかったのだろう。

この20ミリシーベルトを基準に色分けされた地図を福島県庁からもらった(右図参照)。オレンジのゾーンは福島第一原発を中心とした20ミリシーベルト以上の地域。黄色のゾーンは1~20ミリシーベルトだ。

swissinfo.ch : まさにこのオレンジと黄色のゾーンは、2013年をめどに除染される予定ですが、除染についてどう思われますか?

ボース : チェルノブイリでも除染を考えた。しかし除染できるのは50%から60%。残りは地域に残ってしまう。埃(ほこり)などに付着した放射能はその辺りに漂っていて、雨や風などでまた戻ってくるからだ。また、森などは全く除染できない。飯館村の村長は私に森や畑も除染したいと言っていたが、それは不可能だろう。

そのため、オレンジ色のゾーンでは、たとえ半分除染されたとしても年間線量が10ミリシーベルト以上になる。よって高齢者は帰郷して住めるかもしれないが、子どものいる若い人達は無理だ。もし子どもたちがそこに住むことで将来ガンになったら彼らになんと言い訳したらいいのだろうか。

さらに問題は、福島市などを含む現在20ミリシーベルト以下の黄色ゾーンだろう。このゾーンには約180万人の人が住む(オレンジゾーンは約17万人)。

ここには、除染で2~5ミリシーベルトに落ち着いたら住めるかもしれない。しかし、地形などの関係で除染されずに残るところが近くにあれば、そこから雲や風に乗って放射能が再び運び込まれる可能性がある。

そのため、子どもの通学路にホットスポットはないかなどを記載した詳細な地図を作り、最終的に避難させるべきか否かを総合的に判断し、指示する必要があるだろう。たとえ残るとなっても、絶えず線量を計測し正確な地図を入手し続けなければならないだろう。

今回の福島での悲劇は、このゾーンで不安におびえながら、他県に避難すべきか否かと悩みながら日々を送ることだ。子どももマスクをして学校に行き、外で体育もできず公園でも遊べない生活を送っている。当然、森や山にも行けない。それは人間の生活ではない。子どもや親の精神的ストレスは並大抵のものではない。

また、もう一つの悲劇は避難した人の中でも、個人の意思で戻る場合は別だが、経済的理由(家を新築したばかり、仕事が福島にしかないなど)で戻ることを強制される場合だろう。

swissinfo.ch : そのほか、チェルノブイリと福島で、違いに驚いたことがありましたか?

ボース : ウクライナでは、福島のように避難すべきかどうかを個人で悩むことはなかった。年間線量10ミリシーベルト以上の所は強制避難。つまり旧ソ連体制だったため、有無を言わせず「全員すぐに移動」と決行した。

また、一般市民の保護においても、ウクライナの方が優れていたと思う。例えば汚染された地域の学校では、汚染されていない地域から食品を輸送させ何年間もそれだけを使用し、朝、昼、晩三食を学校で食べさせた。こうすれば子どもたちに、内部被曝は起こらないからだ。家では、大人たちが(貧しいが故に)家庭菜園のものや森のキノコなどを食べていたが。

ところが福島では今でも子どもたちに地域の産物を食べさせている。それには驚いた。また現在、食品に含まれる放射性物質の量は1キログラム当たり500ベクレルと高い。今年4月から100ベクレルに下げられると聞いたが、なぜ事故直後に100ベクレルにしなかったのか、それも理解に苦しむ。

民主主義国家の方が、個人の意思を重視するが故に原発事故が起こった場合は複雑になるのかと思ったりする。

もう一つ、福島で驚いたのは、放射能のホットスポットを示す標識が一つもなかったことだ。ウクライナではあちこちに立っていた。ところが福島では、20キロメートルのボーダーでさえこの標識がなかった。

さらに、日本が外国の専門家の調査協力を拒否したことは、大きな問題だと思う。例えば、スイス政府が管理する「アク・ラボ・スピーツ(ACLabor Spiez)」は、詳細な放射線量の測定を専門とする組織でチェルノブイリにも派遣された。汚染地図作成に優れ、ホールボディーカウンターも備えていた。それらを全てを持ち込んで日本で協力したいと申し出たが断られた。

こうした外部団体による客観的なデータを市民に与えることは、安全と信頼性を確保する上で非常に大切だ。病気でのセカンドオピニオンに当たる。それに民主主義の国では、困難な状況にあるときは助け合うのが当然。それにあれだけの事故だったのだから。なぜ拒否されたのか理解に苦しむ。

ただ、もしスイスで同じことが起これば、スイス政府も混乱し同じような対応をしていたかもしれないが。

swissinfo.ch : 今の福島第一原発の状況をどう捉えていらっしゃいますか?

ボース : 東電と話したが、彼らさえ、何が内部で起こっているか把握していない。もともと、あれほどの放射能がどこから出てきたのか理解に苦しんでいる。

また、今後どうなるのかもよく分かっていない。高線量のため(格納容器近辺)には近づけず詳細に把握できないからだ。今のまま、水で冷やし続けるとしても炉心溶融(メルトダウン)した核燃料を取り出すのに30年はかかる。また、今の方法で冷却が続けられていること自体、多くの学者が「奇跡」で人類が経験したことのない唯一のケースだと言っている。

皮肉でだが、あるロシアの物理学者は「チェルノブイリはラッキーだった」と言っている。なぜならチェルノブイリでは、核燃料のほぼ7、8割が放射能として外部に出てしまった(もちろん汚染を引き起こしたが)。したがって、残った仕事はいかに除染するか、いかに原発に覆いをかけるかだけだった。

ところが、福島の場合、核燃料の8割は格納容器内にとどまっているとされる。今後、これをどう扱っていくかは、物理学者にとって「まるで月での探検のような」、未知のチャレンジになるという。

swissinfo.ch : 最後に現在日本では原発54基中、2基しか稼動していません。日本は、このまま脱原発してもやっていけると思われますか?

ボース : 短期的には火力発電で補って十分にやっていける。もちろん、温暖化対策のためには、数年後には火力は減らすべきだが。

2008年にドイツと日本の共同研究「エナジー・リッチ・ジャパン(Energy Rich Japan)」が出ている。それによると、数年間の間は火力発電で賄い、その間自然エネルギーを推進すれば、うまくいくと書いてある。さらに日本には節電という「エネルギー源」もある。日本人ならやれるだろうと思う。

スーザン・ボース( Susan Boos ) 氏略歴

1963年、ザンクトガレン州に生まれる。

 1984年、教師養成学校卒業。

 1984~1989年、ザンクトガレン大学で政治学、チューリヒ大学で人類学を学ぶ。

 1989年からザンクトガレン州新聞「オストシュヴァイツァー・アー・ツェット(Ostschweizer AZ)」で記者として働く。

 1991年からチューリヒ州の重要な左派新聞「ヴォッツ(WOZ)」の記者として働く。

 2005年から同新聞の編集長。

1996年にチェルノブイリ、1999年に原子力産業に関する本を出版。2012年1月に、福島についての『福島からの挨拶( Fukushima Lässt Grüssen )』を出版している。

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